火事になったら、母からもらった3通の手紙を持って逃げることにする。~きょうだい児と母の愛情~
前回のおすすめ本にリアクションしてくださった元きょうだい児の同志の皆様、ありがとうございます!
私のとっても尊敬している、ゆうゆうさんの記事でも取り上げていただきました!感謝です♡
同じような経験をして、今でもあの時を思い出したり、
抱えきれないなにかを背負って生きている仲間がいっぱいいるんだ…
って改めて思いました。
勇気をだしてコメントくださる方もいて、嬉しいです。
もともと難病のオットとのことを書くつもりだったnoteも
気付けば自分の抱える生きづらさの根源を紐解き、向き合う大事な空間になってます。
みなさんとの出会いに今日も感謝です!
さて、前回でさらっと、母との和解(?)について書きましたが、
このことも今、振り返ってみようと思います。
「もし、泥船に3人乗ってたら誰を選ぶ?」
これは、わたしが小さい時から、ずーっと思っていて
そして親に聞けないこと。
①病気の兄②健康で人並みに優秀な私③甘えたがりでかわいい妹
この3人が、同時に泥船に乗っていて
もし一人しか助けられない、って状況だったら
うちの両親は誰を取るかな?
お兄ちゃんにはもっともっと生きて、やりたかったことさせたいだろうな。
妹は、とにかく可愛くて(顔も!)、昔から周りにも可愛がられていて、甘えるのも上手で、とっさに手を取っちゃうかもなぁ。
・・・わたしは?
それなりに自分でやりたいこと決めて、進んできて、
健康で、友達もいて、もう人生謳歌したでしょ?
だから、ほかの2人に譲ってあげて。って、思うだろうな。
つまり、両親は、私を選ばない。
それが私の答えだった。そういう気持ちで、小さい時から生きてきたのだ。
そして、大人になってあるとき、心を許した会社の先輩に、
「先輩と、弟と、2人が泥船に乗ってて、沈みそうだったら、
先輩の親ってどっち助けると思いますか?」
って聞いたら、
「何その質問。どっち選ぶかって、決めらんないでしょ。
2人とも助けるか、2人と沈むか。それが親じゃない?」
って返ってきた。
衝撃だった。
同時に、私の考えってちょっと歪んでたのかな?と気づくきっかけになった。
オットからの一言
結婚式を迎えるまでに、うちの両親にも何回か会ったオットが
信じられない一言を放った。
「ぴっぴちゃんのお母さんって、ぴっぴちゃんのこと、大好きなんだね。」「やりとり見てたらそう思うよ。お父さんより、お母さんのほうが、
ぴっぴちゃんへの愛情は強いと思うよ。」と。
私はまっっっったく信じられなくて、なんでそう思ったのか不思議でしょうがなかった。
お兄ちゃんや妹のほうがかわいいに決まってんじゃん。と思ってた。
けれど、私が世の中で一番信じてるオットが言うことなので、
「そうなのかな?」と、ちょっとだけ、本当にちょっとだけそう思いだすようになった。
そして結婚式では、きょうだい児として過ごした数年間が、つらいと思っていたということをスピーチの中で触れた。
母からもらった3通の手紙
結婚式のとき、こっそり母から手紙をもらった。
式のときに読んだら泣くと思ったので、
家に帰って読んだ。
明日はあなたの結婚式です。
思えば生まれた時から健康優良児で、一番しっかり者で勉強もできて、
あまり手のかからない子でしたね。それはお母さんの自慢であり誇りでもありました。しかし、以前「お兄ちゃんにお母さんを取られた」という言葉をきいてとてもびっくりしたしショックでした。
自分なりに一生懸命しているつもりだったけど、寂しくツライ思いをさせてごめんね。
あなたが大学で一人暮らしを始めてお母さんもさみしかったです。
女の子はいつかお嫁にいくんだと覚悟はできていましたが、その日がとうとうきましたね。
お兄ちゃんを産んでお母さんも大病をしたけれど、あなたという「希望」を授かりました。幼い時にいつも病弱なお母さんを支えてくれて、いつもそばにいてくれて、ありがとう。あなたの存在と笑顔にどれほど救われたことでしょう。そして、お父さんとお母さんの子どもに生まれてきてくれてありがとう。お母さんは幸せものです。
明日は私たちにとって、最高に嬉しくて寂しい日です。
2通目の手紙が届く
結婚式が終わり、2日後、母から手紙か届いた!
なんと、次はオット宛だった。
なにが書いてるのや…と思いながら、手紙を読むオットをチラチラ見る。
「これ、読んでごらん。」と、オットが私に手紙を読ませてくれた。
今朝メールをいただきましたお礼の返事をどうしても言いたくて手紙を書きました。結婚式の前夜に娘にあてて手紙を書きましたが、結婚式のスピーチでもなお、今でもあの時の寂しい気持ちがこみあげてくる時があると聞き、
こころに傷を作ってしまったのだと思いました。
多分お聞きのことと思いますが、長男は小学生で骨肉腫の悪性度の悪い癌に侵されていることがわかりました。今とは違い、病名は告知する時代ではありませんでした。本当は妹たちにも告知しておけばよかったのかもしれませんが、まだ幼い子どもたちに負担をかけまいと内緒にしていました。左ひざの癌は大きく、14センチにもなっていて、まずはその癌を小さくする手術から始まり、14時間かけて人工関節を入れる手術をしました。
兄は楽しみだった修学旅行にも行けず、毎日を病院のベッドで苦しい癌の治療に耐え、親子して毎日不安と絶望の中で生活していました。
2人の娘が寂しい思いをしないように、少しの時間を見ては家に帰り、毎日家と病院を4往復していました。寝食を忘れるとはこのことだと思いました。
でも悲しいことに癌が肺に転移しており、院内学級で受験準備をしながら長期入院をすることとなり中学には全く通えませんでした。
短い言葉では言い尽くせませんが、長く苦しい病院生活を送る兄と、それをひたすら心配して見守り留守番を待っている妹たちと、3人3様の多感な小・中高時代を毎日毎日私なりに精一杯愛情を注いできました。
兄の病気は大変だったけど、愚痴もこぼさずにいれくれた家族の協力もありみんなで乗り越えられた奇跡だと思っています。
ぴっぴが、兄の病気でいっぱいがまんをしたからこそ、あなたという尊敬できる人に巡り会えた、神様からのギフトだと私は強く信じています。
あの子に与えてしまった寂しさも、あなたと出会い、あなたの愛情で溶けてゆくことと思います。
「ほらね?だから、お母さんはぴっぴちゃんのこと、大好きなんだって。」
と言いながら、オットは大泣きする私の頭をなでてくれた。
3通目が届く
その翌日、また手紙が届いた!笑
さすがに、お母さんどんだけ!!!笑 ってオットと笑った。
結婚式の感想と、
あなたのスピーチをきいて、本当に傷が深かったのだと、反省しています。
幼いときにあなたが欲した愛情を、これからのお母さんの残された時間で償い恩返ししていく気持ちです。
いつでも甘えてくださいね。旦那様の愛情には叶わないけど、お母さんの課題ですね。
と書いてあった。
お母さんありがとう。
「甘えてね」
ずっと、わたしが欲しかった言葉だった。
分かるまでに、こんなにかかった
約30年の時間、
300万弱の結婚式、
オットのことば、
3通の手紙、
これだけのことを通して、やっと、やっと
私は母にとても愛されていたんだと気づいた。
3通目のお手紙は、うれしくて通勤カバンに毎日入れていたら
若干ボロボロになってしまった。笑
大事な大事な、わたしの宝物。
もしおうちが火事になったら、
オットを連れて、この3通の手紙を持って逃げよう。
きっと母は、泥船から
私を見捨てないでいてくれると思うから。
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