何者かになろうとしていた私が、気づいたこと
毎日書くことが、生活の一部となり、
書くことでイロドリよい人生になってきたように感じます。
でも、最近何故かモヤモヤする。
「私は一体、何を届ける人なんだろう?」
自分の記事たちが、取っ散らかっているように感じる。
「こういう内容で発信しているんだろうな」
と、一見して分かる人を見ると
必要とされる人のために、必要とされる内容を書き、
置いていることで、誰かの役に立っているんだな、
そんな風に感じていたんです。
読まれたいとか
フォローされたいとか、
その願いよりも、
必要な人に届くようでいてほしい。
自分の経験が、誰かの心のよりどころになり
肩の力を抜く、ホッと安心できるスペースでありたい。
そんな気持ちが強くなっていることに気づきました。
「特化しなければ届かない」それが当然だと思っていました。
noteの世界だけでなく、明確なテーマで発信している人が世の中には多い。
もちろん、日記のように付き合っている人もいて
だけど、私は書き続けている中で、
育児なら育児。
療育なら療育。
50代なら50代。
そういう分かりやすいテーマがある方が
探しやすい、探して貰いやすいと思うようになっていました。
だから、私も何かに特化して
「これについて書いている人」
になろうとして模索してきたように思います。
分かりやすい方がいいと思いながらも
何か一つに絞るとなると苦しくなる私がいます。
なぜなら私は、
次男に感じてきたことも書きたい。
長男とのバトルの様子も書きたい。
夫婦関係のことも書きたい。
50代のリアル、自分の変容も書きたい。
全部、私の人生だから。
ほんの少し、ジタバタしました。
「何者かにならねば、私でいられない」
そんな私が顔を出したのだと思います。
ある方の道しるべを辿り、過去の記事を見返してみると、
バラバラに見えていた記事に、共通点があるのが分かりました。
子育ても。
夫婦関係も。
自分自身のことも。
書いていたのは出来事ではなく、
その時、私が何を感じ、
物の見方をどう変えたのか。
そこだったんです。
私は専門家ではないし、
正解を教えられるわけでもない。
でも、
「あの時の私みたいに、誰にも言えない気持ちを抱えている人」に、
私が経験したこと、感じたこと、
これまでの軌跡を見せることはできる。
それを読みたいように、解釈したいように、
そっと、自分に何かに置き換えるヒントになることが
私の幸せだと感じていることに気づきます。
「テーマが散らかっている」と思っていたけれど、
そうではなかったのかもしれません。
私の人生が、一つのテーマだけでは語れないだけでした。
次男のことを書くのも、長男との関わりを書くのも、夫婦のことを書くのも、50代の自分を書くのも。
すべての根っこにあるのは、
「大切な人を守りながら、自分自身を大切に取り戻していく」
ということでした。
これからも、誰かの答えになるような文章ではなく、
「”あの時の私”のような人が、少しだけ楽になる文章」
を残していきたいなと思います。
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これからも続けて書いていくので、
また読みに来てもらえたらうれしいです(^o^)
