ラッキーとアンラッキーは自分次第
「今日はラッキーだったね。」
「それは全くアンラッキーだ。」
毎日のように
そう思いながら生きているわけですが、
なぜそんな結論に至るのか。
娘の体調不良をきっかけに見返したことを
今回は書いてみます。
ラッキーかアンラッキーかは誰が決めるのか
娘がインフルエンザにかかり、
今週はずっとこども園を休んでいます。
来週からは登園できそうですが、
月曜日はなんと卒園式。
ああ、お友達と遊べる最後の週にお休みなんて、
なんてアンラッキー!
いや待てよ、卒園式にはなんとか出られそうだから
実はラッキー!?
「休んだ」という事実から
ラッキーとアンラッキーの
両方の思いが浮かび上がるってなんだか不思議です。
でも自分にとってはどちらも正解で
どちらを選ぶかは自分次第です。
「ラッキーかアンラッキーかは
実際の出来事が決めるのではなく、
自分の感覚が決めている」
そう強く感じました。
同じ状況でも、人によって捉え方は全く違います。
そして、私たちは無意識のうちに、
その都度「これはラッキー」「これはアンラッキー」と
決めてしまってるのです。
「たぶんね」としか言わない男の話
ここで思い出したのが、ある短い物語です。
あるところに、物静かな男性がいました。
遠くへ旅行に行く予定があり、
近所の人や友達は「いいね、ラッキーだね」と言います。
でも彼は「たぶんね」としか答えません。
出発直前、彼はケガをしてしまい入院することになり、
旅行にも行けなくなります。
お見舞いに来た人たちは「かわいそうに、アンラッキーだね」と言います。
それでも彼は「たぶんね」と答えます。
その後、旅行先で地震が起き、
宿泊予定だった建物が崩壊します。
もし行っていたら危なかったかもしれません。
周りの人は「行かなくてよかったね、ラッキーだったね」と言います。
それでも彼は「たぶんね」としか言いません。
このように男性は常に中立の立場を取ります。
ここで、ぼくの印象に残ったのが
当事者である男性とは対照的に
周りの人たちが、他人の出来事に対して
毎回反応していたことです。
起きたことに良し悪しを決めないと気が済まないのが、
人間なのかもしれません。
そして、実は自分の事となると
特にその傾向が強くなります。
ついつい自分に厳しくなってしまうんです。
物事には必ず両面がある
この男性がいつも「たぶんね」と答えていたのは
出来事には常に両面があると
思っていたからかもしれません。
「ラッキー」と「アンラッキー」は常にペアになっている。
何かを「良かった」と思った瞬間に、
その裏側には「悪かった」側面もある。
逆に「最悪だ」と思った出来事にも、
後から振り返れば、
「起きて良かった」部分もあるかと思います。
この視点を持っているだけで
毎回、ラッキーかアンラッキーかを判断する必要もなくなり、
気持ちも少し楽になります。
周囲の反応が気になって悩んだり、
自己評価に振り回されたりすることも減っていきます。
もちろん、「たぶんね」と
言い続けるのは難しいかもしれません。
それでも、「どちらとも言えるよね」と
一歩引いて見ることが大事かと思います。
しなやかに受け取るという選択
3月は変化の多い時期です。
仕事や環境の変わり目で
体調を崩したり、
思い通りにいかないことも増えてきます。
そんな時こそ、
「ラッキー」か「アンラッキー」を決めつける前に、
一呼吸してみる。
どちらの側面もあると知っておくだけで、
必要以上に気持ちの揺れもおさまります。
娘の体調も、今は落ち着いているので
このまま卒園式を迎えられそうです。
当日また、ラッキーとアンラッキーに
直面するかもしれません。
そんな時は、
あの男性の「たぶんね」を思い出して
目の前の事実をしなやかに受け止めようと思います。
面白そうと思ったら
「たぶんね」を試してみてくださいね。
(終)
