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展覧会「生誕100年記念 ダリ回顧展」(上野の森美術館・2006年11月)

※過去のレビューです

2006.11.21 Tuesday

初日から大混雑!ダリの「人間性」に迫る大回顧展


好きな画家はと聞かれたら、必ず三本の指には入るダリ。

上野の森美術館で、かなり長い会期だったにも関わらず、最初からずーっとぶっ飛ばして混んでると噂のダリ展。私が行ったのは平日でしたがやっぱり通常の展覧会とは違う!

外で並んでる人こそいなかったものの、一歩中に入るとスゴい人!でも上手に回れば、きちんと目の前で絵が見られたし、それほど私はストレスを感じずに見られました。

今までもダリの絵はいたるところで見てきたし、15年位前に大掛かりな回顧展のようなものも見た記憶があります。でも、今回ようやく、ダリの「人間像」を理解できたような気がします。

ひさしぶりに借りた音声ガイドも、とってもよかったです。これがあるとないとでは、理解度に雲泥の差がありそう。


ダリ vs ピカソ 2人の天才の違いとは?


特にラストの絵の前での、ダリの友人の言葉が響きました。
「ピカソは画家でしかなかったけれど、ダリは画家であり、作家であり、映画監督であり、ありとあらゆる芸術家であった。その意味でピカソの先を行く」
そんな意味だったと思います。

同じく20世紀を生き、偉大な芸術家であるピカソと比較することは愚なことかもしれません。それでも比較せずにはいられないわたしたち。それだけこの2人は天才性において、他の追従を許さない存在だったといえます。

その世界の追求を絵画のみに求めたピカソ(※)はもちろん偉大です。(※陶芸や彫刻作品は残しています)。しかし、ピカソの芸術家としての姿勢には時代性もあるのかなと思います。

ダリは1904年生まれ(1989年没)、ピカソは1881年生まれ(1973年没)でピカソの方が20歳以上年長です。20年遅く生まれて「先を行った」というより、ダリが活躍する頃には、ピカソは偉大ではあったけれど「前時代のモデルの芸術家」だったのかもしれません。

我々とも重なるダリの生きた「時代」が求めていた芸術家は、ダリのように多方面から自分や自分の作品を演出できるマルチアーティストだったといえるのではないでしょうか。

ピカソとダリの恋愛観、女性への愛情の違いも感じました。

ピカソが自分自身の恋愛を芸術に昇華させた結果、相手の女性を翻弄して、不幸のそこに突き落とす、というようなことを繰り返したのに対し、ダリは若き日に出会った年上の人妻と結婚後は、生涯をかけてただひとりのミューズとして愛し続けたことが素敵です。

最愛の妻・ガラの死後、彼は絵が描けなくなり、あとを追うように亡くなってしまいます。愛ですねぇ。


愛着あるモチーフと精神世界

   
ダリが終生大切にしていたモチーフがそこかしこに登場して、解説が加えられていたのが面白かったです。パン、アリ、タマゴ、あとは・・・なんだっけ?パンのモチーフは、ダリ美術館の外壁一面に貼付けられたほどお気に入りだったようです。

彼は独特の美意識や審美眼を持っていましたが、人を見分けるために一番大切な要素は「肌の質感」だとしていたというのは、興味深かったです。

それから特筆すべきは彼の絵の技術的な完成度の高さです。シュールリアリズムの不可思議な世界が、違和感無く成立し、どこか不可思議ながらも説得力があるのはすべて、彼の卓越したデッザン力、描写力の賜物。

ルネッサンスに大いなる影響を受け、リスペクトした作品を多く残していますが、ここまで見事に描ききれば、もはやアカデミックな筋からも文句は言われないでしょう。

そしてとても勉強家でもありました。
精神世界(フロイト・ユングなど)をモチーフにした作品群は、有名ですが、後半は科学の分野でも独自の研究と解釈を重ね、核をモチーフにした作品も残しています。

独特のパフォーマンスで、自分自身を演出することも忘れず、舞台や映画にも積極的に取り組んだ彼は真の意味での総合芸術家だといえるでしょう。


まさに展覧会日和の秋の日


いいお天気だったので、上野公園は気持よかったです。 結構混んでいたけど、ちゃんと全部見られました。 個展ではほとんど図録は買わないのです大好きなダリなので迷わず購入。

エミール・ノルデもザオ・ウーキーも我慢したのに、やっぱダリには勝てなかった☆ そういえば、行けなかったフジタの展覧会、あまりに悔しくて図録だけ買ったのだったのでした。未だに思い出すと悲しいフジタ(涙)

展覧会とも絵画との出会いも一期一会。 混雑にひるみながらも、後悔しないように、 出来るだけ脚を運びたいと思うのです。

SALVADOR DALI
生誕100年記念 ダリ回顧展

20世紀美術界、最大の奇才として知られるサルバドール・ダリ(1904-1989)は、独自の表現方法を用いて、さまざまな幻想的で非現実的
はたまた精神錯乱的な世界を描き、シュールリアリストのなかでも特異な
位置でありつづけました。奇抜な振る舞いや独特の物言い、生涯創作の女神
(ミューズ)であった妻ガラとの関係も広く知られています。

本展は、スペイン・ガラ=サルバドール・ダリ財団とアメリカ・サルバドール・ダリ美術館からそれぞれ、日本初公開の作品を含む主要な油彩画約60点を中心に、貴重な初期のドローイングや写真なども展示し、1989年に84歳で生涯を閉じるまでの巨匠ダリの足跡をたどる大回顧展となります。

会期 2006年9/23(土)~2007年1/4(木)
午前10時~午後6時(入館は閉館30分前まで)
会期中無休
料金
    当日  当日団体  障害者
一般  1500  1300   750
大高生 1100  1000   550
中小生 500   400   250
*団体は20名以上。
*未就学児は無料。障害者の介護者1名は無料です。
入館の際、障害者手帳などをご提示ください。
*チケット各主要プレイガイドでも販売しています。
お問い合せ ハローダイヤル 03-5777-8600
主催 フジテレビジョン、朝日新聞社、
ガラ=サルバドール・ダリ財団、サルバドール・ダリ美術館
共催 日本美術協会・上野の森美術館
展覧会監修 東京造形大学教授 岡村多佳夫

ダリ回顧展の公式ページ→  http://www.dali2006.jp/(リンク切れ)

https://www.ueno-mori.org/special/dali/index.html

 1920年代後半の細密に描かれた「パン籠」のように、古典主義的傾向を持った作品群(「ラファエロ風の首をした自画像」、「カタルーニャのパン」、「自らの栄光の中でマルガリータ王女を描くベラスケス」など)は、彼が賛美するラファエロやベラスケス、あるいはスルバランといった過去の画家、さらにはミケランジェロたちの表現に着想を得ている。これらの作品は、そこからいかに自分の方法論による新たな表現世界を提示できるかを示そうとしたものである。

 また、「早春の日々」のような作品群は、精神の内的領域が単なる現実の物質的理解よりも無限に見返りがあり、それこそが「現実」であるというシュールレアリスムの支配的な考えの一つに基づいている。その考えから「パラノイアック・クリティック(偏執狂的批判的)」な方法も生み出された。例えば、「子供-女の記憶」や「ミレーの『晩鐘』の考古学的記憶の増大」、「夜のメクラグモ・・・希望!」、「ヴォルテールの見えない胸像」など彼の最も知られた作品たちにはこうした方法が用いられている。
すなわち、二重(ダブル)イメージ、あるいは複数の読みを可能にするそれらの作品は、視覚のトリックを見せるためのものではなく、目の前にある世界は多様な読みができるということを暗示したものである。

 さらに、彼の表現でよく知られた、溶け出すような柔らかな物質が描かれた「焼いたベーコンのある自画像」や「記憶の固執の崩壊」などは、20世紀前半のアーティストに興味を抱かせた非ユークリッド幾何学やアインシュタインらの新しい物理学の理論からイメージを発展させたものである。とりわけ、「時空の歪み」という考えは、多くのアーティストたちを刺激し、新しい表現を生み出させていった。溶けた時計など、ダリの柔らかな構造体もまたその一つであった。

 いずれにせよ、ダリの表現はさまざまな意味を持って表されており、一枚の絵の中にある複数の読みを可能にしてくれる。そこには彼の本当の考えとは異なる読みも当然出てくる。しかしながら、彼自身はその読みもまた重要であり、見る側一人ひとりが一枚の絵を借りてそれぞれの内的世界を広げ、想像力に遊ぶことを望むとともに、それを見て自ら楽しんでいたのである。

 今回展示される作品もまた細部を見ていけば、さまざまな発見があり、自由に読み取ることができる。現代の表現にたった一つの解答しかないということはない フだ。
                    東京造形大学教授 岡村多佳夫

https://www.museum.or.jp/event/30087

名古屋市美術館のチラシのデザインも素敵。

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