日記 | 心電図は、大嫌い
健康診断の申し込み手続きをした。
8月実施だけれど、今から「げんなり」である。
バリウムも嫌いだけれど、一番嫌いなのは心電図。
まず、仰向けになるのが儀式的で嫌。
それから両手両足首につけられる、洗濯バサミのボスみたいなやつの、ひんやり感とガッチリした拘束感も嫌。
続いて「ちょっと失礼しますね」と言われて、
無防備な胸に、これもちょっとひんやりしたゴム製の吸盤を、ペトッ、ペトッっといくつかつけられるのも嫌。
心からの善意で言ってくださる「リラックスしてください」とか「そのまま呼吸を続けてください」という言葉も嫌。
何もかも嫌だけれど、「本番の嫌」はここから。
この後じっとしていなきゃいけない、
時間にして「数十秒間」が、本当に、本当に耐えられない!
もちろん、顔は「なんでもねーぜ」っていう表情をしているし、何だったら目をつぶってなるべく情報を遮断し、沈黙に集中している。
でも、胸元のペトペトの吸盤が、
なんだろう⋯⋯
ジワジワ、ジワジワと、ゆっくり、じんわりと確実に神経を刺激する。
やがて強烈な「くすぐったさ」の波動が押し寄せてくる。
(あー⋯⋯笑ってはいけない)
こう思えば思うほど、口元が歪みはじめ、
(ダメダメダメ!! ダメ! 絶対!)
と脳内で唱えるほど、みぞおちあたりから笑いの泡が発生し、鼻まで上ってこようとする。
(私は、死体役。そう、感情なき死体役⋯⋯)
ときには謎の計算式を解こうとしたり、今夜の夕飯メニューのことなどを思い、何度かの波動をかわしていく。
⋯⋯ここで少し、思い出話をしよう。
私が心電図を嫌いなのは、小学生の頃から。
あの時はまだ、くすぐったさに対する防護術は心得ていなかった。
校内で春に行われる検診期間。そこに、心電図もあった。
動いちゃダメ、笑っちゃダメ、と言われても無理である。
耐えかねて、「ブフッ」っと吹き出し、胸部が震える。
「やりなおしね」と言われ、列の最後尾に並びなおす。
2回目、胸部を震えさせるどころではない。
先程のペトペトを思い出し、吹き出して腹筋まで揺らしてしまい、お医者さんにため息をつかれる。
また最後尾に並ぶ。
看護師さんの表情も冷たいし、先生にも「ちゃんとやらないと」とたしなめられ、「今度こそ!」と自分でも強く意識する。
3回目、横になっただけで思い出して吹き出し、呼吸困難になるほど笑いが止まらなくなる。
笑いのダム、崩壊。
先生の呆れ顔、イラついたお医者さんの表情、
つい立てカーテンから這い出た私に刺さる、クラスのみんなの汚いものでも見るかのような眼差し。
もはや、それすらも笑いの対象として脳内に取り込まれ、私の笑い声は悲鳴に近いものになった。
静まり返った体育館の真ん中で、私のけたたましい「ヒイ~ヒイ~イッヒッヒッヒ」という笑い声だけが反響し⋯⋯
その後、無事に心電図はできたのか、諦められたのか、どうなったのかは記憶にない。
翌日から、校内健康診断のちょっとした伝説にはなった。
そんな恐ろしい過去を経て、大人になった私は、今や超人的な精神力で何とかあの波動をねじ伏せられるようになった。
脳内で激しいバトルを繰り広げた末に、ようやく聞こえてくるのがこのセリフ。
「はい、終わりました。外しますね」
ああ、勝った⋯⋯!
今年も無事、心電図を終えられた!
しかし、まだ終わっていない。
「吸盤はずし」が待っている。
これは、技師さんが「丁寧派」か「ワイルド派」かに分かれる。
「丁寧派」は、1つずつ優しく剥がしてくれるが、その分時間はかかる。触られるたびに不快であり、ジレンマを感じる。
「ワイルド派」は、プチプチプチンッ!と一気に引っこ抜いて終わらせてくれるが、地味に痛い。そして音が笑いを誘う。
こればかりはどちらにしろ嫌なので、下唇を噛み、呼吸を止めてひたすら耐える。
そして洗濯バサミのボスも外され、晴れて自由の身となった私は、
「なんでもねーぜ」の表情で身支度をし、部屋から颯爽と出る。
医療技術はこれだけ進歩しているのだ。
あの「冷たくてくすぐったいペトペト」に代わる、もっとスマートで無感覚な測定法が、8月までに開発されてくれないだろうか。
ダメだよねー。間に合うわけがない⋯⋯。
だから今、8月のカレンダーを眺めて小さくため息をついている。
はあ~⋯⋯嫌だ。
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