美人じゃないけどチャラにしてあげよう。
昨晩子どもを寝かしつけてから夫が言った。
「ビリーちゃんは今が一番可愛い。」
「おっ。ありがとう。」と返したけれど
素直に受け取れず半信半疑のまま
テキトーに流すのには理由がある。
昔のが痩せていたとか、
2回の出産で下っ腹はまだ戻らないとか
自分の中で、可愛さに直結する装備が少なくなってきていることもあるけれど
それらは大した理由じゃなくて
1番は夫が付き合い始めの10年前に言った言葉。
「これまで付き合ってきた人はすごく美人が多くて、ビリーちゃんみたいなタイプははじめて!」
オラ。
実際に付き合う前彼女の写真を見せられたこともあって、確かに稀に見る美人だった。アナウンサー系の。その後2人は別れることになったのだけど。
心の中では
(わたしだってこれまではクールな人のクールな部分に惹かれて付き合ってきたから、あなたみたいに第一印象が「ゲイの方かな?!良い人そう!親友になりたい!」と思った人と付き合うなんて思ってなかったよ)
そう思ったけれど、わたしは自分の品性を保ち同じ土俵に立たない為に言わなかった。
付き合うまでに加点方式で良いところを貯めておいたから良かったけれど、元カノの話をするなんてマッチングアプリで出会ったその日に言ってたら普通1発アウトな発言だ。
しかしたまたまわたしは元カノにはめっきり興味がないタイプで、【どちらからにせよ別れる理由があった彼女たち】と【別れる理由のない(多分)わたし】とで比べることはしないのだ。
美人なら尚更、美人なのに別れたんだ?(ドヤ)と考える。
それが10年の時を経て
「今が一番可愛い」と言われたことを引き金に
「覚えてる?付き合った後に元カノたちは美人だったからビリーちゃんみたいな人はじめてって言ったの。」と聞いてみた。
我ながら、事あるごとに言うより10年間覚えていましたってタイミングで出すのは怖いなと思う。
夫は覚えていなかった。そりゃそう、言う側はいつだって覚えていないのよ。
「かっこつけたかったから言ったんだと思う」と弁明する夫。
(いや、普通にかっこ悪かったよ)と言うのもやめておいた。わたしの品性は保たれた。
「子どもが産まれてから語尾が優しくなって、子どもたちに喋りかけるのをみて毎日可愛いと思う」
「俺に話しかける時にも語尾が優しいから、前と話し方が違う。今が一番可愛い!」と言ってくれた。
美人かそうじゃないかでもなく、
出てる下っ腹も可愛いとかでもなく、
見た目以外で可愛いところを探してくれるのは
これまで「可愛い」では戦わないと何故か決めつけてきたわたしを包み込んでくれるようだった。
過去に言われてきた見た目に対する言葉って
気にしていないつもりでもやっぱり残ってる。
小4の頃の担任の先生は歴史を語る時に「昔の人は二重がモテなくて一重がモテた。田中ビリー!昔に生まれていたら1番モテてたぞ!」と言った。
それでもわたしは傷つかなかった。
そこで先生がわたしの名前を出せるということは、わたしの強さを先生が分かってる。いじめにならずに笑って良いんだとみんなが思えるのはわたしの器の広さゆえだと考えた。大丈夫。わたしは一重なのにモテるから現代でも最強だ。
母がウーパールーパーに似てると何度も言ってきたせいで、
女性の顔タイプ別でたぬき顔、きつね顔という分類を見かけると(例:たぬき有村架純/きつね北川景子)
数多く並ぶその二つのタイプの写真の横で
わたし1人がウーパールーパー顔という分類に載っているのを想像してうふふと笑った。
わたしは傷ついていない。
ウーパールーパーの中で一位を目指す。たぬきやきつねとは戦わない。
傷つかないようにするために「可愛い」で戦うことはやめ、
良い人とか、面白いとか、物事をよく考えていることとか、姿勢の良さ、よく笑うこと、気遣いができること、仕事のミスはよくするけど会社を出た瞬間ケロッとしてファミチキ食べながら歩くところ、悪口を言ったほうが盛り上がる相手とやめておいたほうがいい相手を見極めることができることなどが自分の武器だと考えた。
それらが他の人の「可愛い」を上回るように。
自分の内面の良さが顔、表情、仕草に出るように。
そうやって生きてきたわたしに
「話し方が可愛いからあなたは可愛い」と言ってくれた夫。
自分で自分を幸せに、自分で自分を認めてあげるって大切だけれど、やっぱり人に言われるのって嬉しい。
夫のかっこいいところも
見た目や地位ではなく、日常の小さなところから探していこう。
子どもたちや自分の大切な人みんなに対して
わたしも「可愛いね」と声に出していきたい。
