『存在しなかったキミへーー人生の原則』#12
存在しなかったキミへ
キミに会ったことはない。
これからも、たぶんない。
それでも私は、この11回、キミのことを考えながら書いた。キミが誰なのか…。想像上の子供なのか、20年前の自分なのか、今どこかで消耗している誰かなのか。書いているうちに、どれでもあるような気がしてきた。
幾つかの記事を書いて、気づいたことがある。
私はずっと、同じ場所でつまずいていた。
他人を変えようとして消耗した。完璧を求めて、後輩を追い出した。完璧に作ったものを、直せなかった。結果をコントロールしようとして、代官山を泣きながら歩いた。正しい努力の存在を、お金を払って初めて知った。センターピンを自分で見つけられないと知った。斉藤元彦の再選で、自分が空気を吸って生きていたと気づいた。8,000円払って、体に合わない方法を途中まで試した。LINEの返信を1時間ごとに確認した。インジケーターを足し続けて、何も見えなくなった。借金を背負って、それでも「失敗」という言葉がずれている気がした。
バラバラに見えるかもしれない。でも私の中では、一本の糸でつながっている。
「自分でコントロールできないものを、コントロールしようとし続けた」
それだけだ。
母を変えようとした。社員に完璧を求めた。相場の結果を自分のものだと思った。恋愛の方法を自分で生み出そうとした。ニュースを疑わなかった。講師の方法を自分に合わせて考えなかった。彼女の返信を期待した。インジケーターを重ねれば答えが出ると信じた。起業の結果を「失敗」と呼ぶ誰かの定義を、鵜呑みにし続けた。
全部、コントロールできないものに手を伸ばし続けた記録だ。
ここまで書いてきて、一つだけ言い訳をさせてほしい。
私はこれらを、すぐに学んだわけじゃない。
FXは4年かかった。恋愛のコーチングは2回目でようやく素直に動けた。母のことは3ヶ月かかった。完璧主義は今もまだ、抜け出しきれていない。起業の選択が失敗じゃないと腹の底から思えるようになったのは、ずいぶん後になってからだ。
遠回りした、と言えばそうだ。でも遠回りしなかったら、ここには来られなかった。
これは教訓集ではない。遠回りの記録だ。
キミへ、最後に一つだけ。
ここまでの記事を読んで、「こんなにつまずいて、それでも答えが出ていないじゃないか」と思った人がいるとしたら、その通りだ。
完璧主義はまだある。期待することもある。足してしまうことも。結果にこだわることも。
それでも、つまずき方が変わった。
以前は気づかずにつまずいていた。今は、つまずきながら「また同じところだ」とわかる。わかるから、少し早く立てる。それだけだ。
キミも、いつかつまずく。何度でもつまずく。
そのとき思い出してほしい。
存在しなかった私が、同じ場所でつまずいていたことを。
それで十分だ。
続きは、また書く。
