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読書における没入 [没入 #2]

 勢いというのは怖いものである。「よし、行くぞ」と意気込んで始めた「没入」というこのマガジン、前回は「プレイヤーの観客化」について考えていたことを放出しまくり「ふむふむ」なんて満足そうに記事を読み返しちゃったりしていた。この素朴かつ当然の質問を聞くまでは…。

「ところで、没入ってなんですか。」

 確かに。もちろん、第1回を書くまえに色々と考えて、「没入」がキーワードになりそうだと思ったから、このマガジンに「没入」というタイトルを付けたわけだが、前回の後半に自分で「没入感が〜」とか書いている時に何だか不透明だなという感想を抱いた。
 本来であれば、第1回にするべき主題を定義する記事を、第2回に回すことで順番が前後している状態になり若干の気持ち悪さは残るが、今回は前回の「個人と私について書きます」という次回予告を盛大に撤回し、「没入」とは何であるのかについてまとめていこうと思う。

読書における物語世界への没入

 「ではゲームにおける没入とは」と行きたいところではあるが、まずは今回取り扱う「没入」の意味にについて、読書における没入を例に挙げながら定めていく。
 まず、物語を読んでいると情景描写と心情描写がある。読者である私たちは紙の上に印刷された文字から、その物語世界における時間・空間、登場人物像を想像する。 

 金属バットの快音が狭い部屋に鳴り響いた。また何人かの青春が終わった。僕は水と氷をたっぷり張ったタライに足を入れたまま、そう思った。外には鬱陶しい蝉の声の間に子どもがはしゃぐ声があった。

 たとえばこんな文章があったとしよう。「金属バットの快音が狭い部屋に鳴り響いた」の一文から、家で野球を見ていることが想像できる。さらに、「蝉・水と氷をたっぷり張ったタライに足を入れる」から、夏であろうということもわかる。これらに加えて、「何人かの青春が終わった」という一文から「暑い昼下がり、狭い部屋で夏の甲子園を家で見ている」という想像ができる。タライに足を入れているということは、狭い部屋にクーラーはついていないのかもしれないなどと考えていくこともできる。これらは、情景描写から得られる物語世界の空間と時間の情報だ
 次に、「また何人かの青春が終わった。」に注目すると、野球の試合であれば勝ったチームと負けたチームが存在し、快音が鳴り響いたことで青春が終わるということはサヨナラであることが考えられる。その劇的な状況の中で、負けたチームに焦点を当て、さらに「また青春が終わった」と、その前も同じことを思ったことを連想させることから「僕」は、物事のマイナス面を注目する悲観的な性格かもしれない。さらに「僕」は蝉の声を「鬱陶しい」と思っていることから、セミが苦手なのかもしれない、もしくは夏という季節が嫌いなのかもしれないと連想することもできる。これらは、心情描写から得られる物語世界の登場人物の情報だ
 私たちは、情景描写や心情描写から物語世界を想像力をもって創造していくことで、物語を楽しんでいる

 そしてこのように物語を楽しんでいると、しばしば周囲の会話や呼びかけが聞こえなくなったり、いつの間にか数時間が過ぎていたりということがないだろうか。Melanie C. Green (2021)は、「物語世界への移入仮説」としてこのような現象を、次のように説明している。

 物語を読むとき読者は周囲の情報を知ることができなくなり、時間の感覚を失う代わりに、物語世界に入り込んでいる感覚を抱く。

(Green  2021、pp.  87-101)

 さらに関連した言葉として「フロー体験」というのが存在する。これは、特定の行為に注意が集中することで、自分が行っている行為と自分とが切り離されているという感覚がなくなる状態(小山内 2013)である。つまり、普通であれば「本を開き、字を読んでいる自分」という身体的な自分と、「物語世界を楽しんでいる自分」という精神的な自分は切り離されているが、読んでいる文字から物語世界を創造することに集中することで、それらの区別がつかなくなるということである。
 これらに共通するのは、意識や感覚が薄れたり、それらを喪失することと引き換えに、私たちは鮮明に物語世界を創造することができるという点だ。

 物語世界における没入を定義する上で、もう2つほど概念を説明しておきたい。1つ目は「登場人物への同一化」である。Jonathan Cohen(2001)は、これについて次のように述べている。

 読者は、ある登場人物に共感しながら、自分がその登場人物になったつもりで、読者のアイデンティティや役割を、文章内の登場人物のアイデンティティや役割に置き換える。同一化している間、読者は読者としての社会的役割を意識しなくなり、一時的に同一化している登場人物に成り代わる。

Cohen 2001、pp.250-251

 つまり、「本を読んでいる私」として物語を楽しむのではなく、「私という人間」を忘れ、登場人物に成り代わり物語世界を登場人物の視点で過ごすようになるということだ。これは、登場人物への共感、つまり登場人物の心情をそのまま読者が感じることで起こる。

 そして2つ目は、「感情移入」である。共感と感情移入は同一のものとして扱われることもあるが、これらの違いとして、共感は登場人物の心情をそのまま読者が感じることであり、感情移入は出来事や登場人物に対する読者自身の感情反応であるとしている(Cohen 2001)。つまり、共感は登場人物となっている「私」が心情を感じることであり、感情移入は出来事や登場人物に対する「私」からの評価であると考えることができるだろう。

 さらに、同一化と共感・感情移入の区別としては、同一化が役割やアイデンティティなどの認知的側面を重視するのに対し、共感や感情移入は情動的側面を重視することで区別されている(小山内 2013)。

 さて、ザッと没入に関する概念を紹介してきたわけだが、最後にこれらがどのように関わり合って没入体験に繋がるのかについてまとめていく。
 今回参考にさせていただいた論文が、非常にわかりやすい図を作成していたので、それを引用しながら、解説していく。大丈夫、怖くない。

没入 − 物語読解モデルの概念図

 まずは、本の情景描写や心情描写から時間や空間、登場人物の情報を得ることで、体験の基盤が提供される。そして、物語世界を想像することに注意が集中する事によって自己意識が減退し、より鮮明な時間や空間のイメージ化、登場人物への同一化・共感、感情移入が起こる。そしてそれらを想像する事によってさらに詳細な物語世界の構築を可能とし、情景描写や心情描写からそれを体験の基盤として得ることで、より現実感が増していく…。このサイクルの中で私たちは物語世界に没入していくのである。

 この物語読解モデルの概念図が、どの程度ゲームに対して応用が効くのか、読書における物語世界への没入とゲームにおける物語世界への没入に、どの程度共通点があり、相違点があるのかについてもこの記事内でまとめようとしたが、あまりにも長くなりそうなので、次回に回すことにする。なので次回はいよいよ、「ゲームにおける没入」についてまとめていく。

参考文献


Melanie C. Green. 2021. Transportation into Narrative Worlds. In: Frank, L.B., Falzone, P.(Ed.),  Entertainment-Education Behind the Scenes (pp.87-101). UK: Palagrave Macmillan, Cham. 
https://doi.org/10.1007/978-3-030-63614-2_6(最終アクセス:2022/05/12)


Jonathan Cohen. 2001. Defining Identification: A Theoretical Look at the Identification of Audiences With Media Characters. In: Carol J. Pardon.(Ed.), Mass Communication and Society Volume4 - Issue 3 (pp.245-264). UK: Taylor & Francis Group.
https://doi.org/10.1207/S15327825MCS0403_01(最終アクセス:2022/05/12)


小山内秀和、2014、『物語世界への没入体験 ー測定ツールの開発と読解における役割ー』、京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI)
https://core.ac.uk/download/pdf/39313194.pdf(最終アクセス:2022/05/12)

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