今回は、いつもの自分史でも、よもやま話でもありません。
私の人生再起動の、その手前にあった、もう一つの転機に関するお話です。
1 長年感じた生きづらさの正体
「私は、あなたを命懸けで育ててきたの。」
小学校低学年の頃、母から真剣な眼差しで言われたことを、私は今でも覚えている。
私の家庭は、傍目からは、ごく普通の幸せな家族に見えていたかもしれない。
しかし、私は、家では常に怯えていた。
ちょっとした行き違いをきっかけに、普段優しかった母は豹変し、口汚く父を罵った。
週に数回、母の怒声が居間に響き渡り、父は諦めたかのように、ただそれを黙って聞いていた。
今にも壊れそうな家族を繋ぎ止めようと、私は必死に「いい子」を演じ、母はそんな私を過保護なまでに可愛がった。
母は、自分の人生をいつも嘆きつつ、私の将来に希望を託していたようだ。そんな自分の思いの丈が、冒頭の告白に繋がるのである。
私は、母のご機嫌を取るべく、学業に勤しむとともに、常に明るい道化を演じ、幸せな家族を「演出」しようと試みた。
幼心に、「自分が家庭の平和を保っている」という歪んだ自尊心が原動力になっていたのかもしれない。
しかし、そのような歪な頑張りは、思春期による自我の芽生えとともに、徐々に支障を来すようになった。
私は、常に家族、特に母の意向を第一に考え、行動している自分に違和感を覚え始め、やがて自らへの不満や劣等感を募らせていった。
この頃からである。漠たる「生きづらさ」のようなものを感じるようになったのは。
この生きづらさは、私の内面を徐々に蝕み、社会人になっていよいよ表面化した。
私は、社会人になっても相変わらず親孝行な息子であろうとした。
しかし、仕事が多忙を極めたことも災いして、たびたび心身の不調を訴えることになった。
私は、不調の原因はあくまで自分の弱さにあるとして、自己嫌悪と虚無感に苛まれる日々をしばらく送った。
そんなどん底状態の私を救ってくれたのが、カウンセラーのH先生(仮名)だった。
H先生は、カウンセリングを通して、
私の生きづらさは、私のせいではなく、生まれ育った環境により後天的に植え付けられたものであること
そのような生きづらさは、人間関係、特に母との関係を見直し、自分の人生を大事にするように心がければ塗り替えられること
を私に気づかせてくれた。
当時の私にとって、母の意向に反し、親子の関係性を見直すことは「あり得ない」ことであり、まさに恐怖でしかなかった。
しかし、H先生は、時に厳しく、時に温かく諭し続けてくれた。
私は、後ろめたさや恐怖感と戦いながら、少しずつ両親(特に母)と対峙し、自分の人生を歩ませてほしいと主張していった。
母は私の豹変を嘆き、親不孝者と責め立てた。
それでも数年かけて、私は母との距離を取ることができるようになった。
その後、私は自分の家族を持ち、子供にも恵まれた。
それでも、生きづらさは完全には消えなかった。
両親との関係でも、わだかまりを残したまま、年老いていく2人を支えなければならない場面が増えたことで、肉体的・精神的負担も増し、私は徐々に疲弊していった。
私は、H先生に、思い切って再度相談をした。
そこで、H先生から言われたのが、
「サンチさん、『集中内観』、やってみない?」
だった。
2 内観との出会い―拭えぬ不安と、一縷の望み―
H先生の説明によれば、「内観」とは、
自分の肉親、兄弟、妻や子など自分の人生で関わりの深い人々を対象に、
①していただいたこと
②逆に自分がお返ししたこと
③迷惑をかけたこと
の3点について、時系列で自分の記憶を辿りつつ、振り返る自己観察法
とのことだった。
そして、今回H先生が私に勧めた「集中内観」とは、
インターネットやテレビなど外部からの情報が遮断された特殊な環境下で、屏風で囲まれた半畳のスペースに身を置き、1週間ひたすら内観を行うことで自分と向き合うもの
とのことだった。
H先生の知人に、集中内観を専門に扱う研修所の所長さん(S所長(仮名))がいるとのことで、その研修所に1週間泊まり込み、集中内観をしてみてはどうかという提案だった。
私は当初、現状を打開するのに良いヒントが得られるのでは?と漠たる期待を抱いた。
ところが、研修所のウェブサイトで内観体験者の体験談を読んでいるうちに、その期待感を上回る強い不安と迷いに襲われた。
内観は、自分が生まれた瞬間から一番お世話になる母親を対象に始めるのが一般的とされる。
このため、体験談には、「内観を深めることで、自分がいかに母親の世話になり、そして迷惑をかけてきたかに気付けた」として、母親への心からの謝罪と感謝を述べるものが少なからず含まれていた。
もし集中内観で母への感謝の気持ちが湧いてしまったら、せっかく取った距離が崩れ、また飲み込まれてしまうのではないか?
そんな不安を抑えることが当時の自分にはできなかった。
私は、S所長に直接メールを送り、そんな自分の迷いを赤裸々に打ち明けた。
これに対し、S所長は、
「内観はあくまで自分を知る方法であり、それによって心が整い、様々な拘りから解放されていくものです。必ずしも母親への感謝を目的に行うものではありません。」
とご回答いただいた。その上で、
「もしかしたら想像したのとは全く異質の何かがあるかもしれません。今まで解らなかったことが自分の力で分かるのは、マイナスにはならないので、是非一度ご体験されることを願っています。」
と、そっと私の背中を押してくれた。
ようやく吹っ切れた私は、S所長の研修所で集中内観に取り組むことを決心したのだった。
3 集中内観に臨む―掴めぬ手応え―
電車で約2時間。片田舎の駅に降り立った私。
約10分後、S所長が黒っぽいセダンの乗用車で迎えに来た。私と、駅を出たところに佇んでいたもう1人の男性を乗せて車は一路、研修所に向かった。
車内では、FMラジオが流れており、明るい声の女性パーソナリティが少し昔のヒット曲を紹介していた。
これから集中内観という非日常に身を置こうとしている中、現実と地続きなラジオの音声を聴いている私。
知らずのうちに世にも奇妙な物語の世界に迷い込んだようで、何とも言えない居心地の悪さを感じた。
研修所に到着後しばらくして、S所長から研修所での過ごし方についてオリエンテーションを受けた。
1日のスケジュールは、朝6時起床、夜9時半就寝。 その間の約14時間は、ひたすら屏風の中で内観をして過ごすと至ってシンプル。
3食の食事も屏風の中で頂く。
そして、重要なのが、「外からの情報の遮断」。
スマホ、書籍など外部の情報に触れるものは一切禁止であり、スマホは事前に研修所側に預ける徹底ぶりだった。ちなみに他の内観者との会話も厳禁である。
以上の説明を聞いて、私は、閉所恐怖症気味、かつスマホ中毒の自分にこんな生活が耐えられるのだろうか…と甚だ途方に暮れていた。
しかし、もう後戻りはできない。
S所長に促され、自分の寝る部屋に置かれた屏風を隅に立てかけた私は、おもむろに屏風の中に入った。
畳半畳しかない空間に座布団を敷き、とりあえず胡座をかいて座る。
目の前はすぐ屏風。
余分なスペースなど殆どないし、当然寝転がることなどできない。
若干息が詰まるような感覚を覚えた。
とりあえず言われたとおり、自分が生まれてから3歳までの母に対する内観を行ってみる。
…静かだ。
庭先の鳥のさえずりや、遠くにあるらしい学校のチャイムの音などがよく聞こえる。
これまで暇さえあればスマホの情報に入り浸る日々だった自分にとって、狭さよりも、この静けさは、新鮮だった。
そうこうしているうちに、屏風の外に人の気配。
面接者が入室してきたのだ。
屏風を少し開けて深々と一礼し、「ただいまの時間、どなたのいつのことをお調べになりましたか」と問う。
私も正座のまま、調べた内容を話す。
話し終わると、面接者は再び一礼し、屏風を閉じて去る。
これを1日7回ほど、7日間繰り返す——それが集中内観だった。
私は、スマホが手元にないことによる影響を懸念していたが、面接者に話す内容をまとめなければという気持ちも手伝って、イライラする気持ち等は特段湧かなかった。
むしろこの空間に留まることに安心感さえ抱くようになった。
また、S所長の奥様手作りの毎回献立の違う美味しい食事のお陰で、長時間屏風の中に籠もることへの辛さは、当初想像していたよりも感じなかった。
ただ、肝心の内観については、自分が懸念していたとおり、母に対するわだかまりの気持ちばかり頭をもたげ、
「自分がしてあげたこと」や、
「自分に対して迷惑がかかったこと」
など、しばらく思い出さずに済んでいた昔の辛い記憶ばかり頭によぎる始末。
一応型どおりに面接者にお話はするのだが、事務的な報告をしているようで、一向に気持ちが入らず、何の手応えも掴めずにいた。
私は、結局母の内観を一通り終えるのに丸2日間以上を費やしたが、もどかしく、苦しい時間が続いた。
4 蘇る父との記憶、流れ落ちる涙
ところが、3日目の午後から、父への内観を始めたとき、驚くべきことが起きた。
父は口下手で、余計な一言を口にしては母の逆鱗に触れ、いつも詰られていた。
私も中学・高校生の頃は、母の態度に迎合し、父を軽んじる傲慢な態度をよく取っていたと思う。
そんな父について内観したところで、内観は深まらないだろうと思っていた。
ところが、いざ父の内観を始めると、
幼い頃、体の弱かった私が、風邪や発熱で頻繁にかかりつけの内科に受診するたびに、父が出勤前の早朝に受付をしてくれたこと
幼稚園のときに扁桃炎で入院したとき、病室に寝泊まりして側にいてくれたこと
週末になると、父が趣味のドライブに家族を誘い、色々な場所に連れて行ってくれたこと
父にお世話になった記憶が次々蘇ってきた。
そして、それに対して何の感謝や恩返しのできていない自分に気づき、心から申し訳ない気持ちが湧き上がってきたのである。
そしてその後も内観を続ける中で、私が30代前半のときの記憶が鮮やかに蘇った。
当時、父に認知症の症状が表れ始め、自家用車を運転したまま行方不明になってしまったことがあった。
私は狼狽した母からの一報を受け、慌てて実家に帰省したところ、その日の深夜に、隣県の警察から路肩に停車している父を保護したとの通報を受けた。
私は、始発に飛び乗って父を引き取りに伺い、帰りは、ペーパードライバーの私が必死にハンドルを握りつつ、実家まで父を乗せて帰る羽目になった。
天気の良い海岸線を父と二人で車でドライブ。
自分の置かれている状況を正しく認識できない父は、私の運転の拙さに茶々を入れつつ、終始上機嫌だった。
実際の記憶よりも美化されていたかもしれない。
ただ、驚くほど鮮明にそのときの記憶が蘇ったとき、あれが父との最初で最後のサシのドライブであり、数少ない親孝行だったことに、はたと気づいた。
そのときである。
自分の目から、突然ぽろぽろと止めどなく涙が溢れ出してきたのだ。
私は、自分の内面の劇的な変化に正直大いに驚き、戸惑った。しかし、父への感謝や謝罪の気持ちが自然に心に芽生えたことについて、それ以上の安らぎを感じられるようになった。
これが自分の中で内観が少し深まったと感じた最初の端緒だった。
5 母へのわだかまりの核心
また、4日目の午前中に、S所長から声がかかり、個別に面談する時間をいただいた。
内観を行っている母屋とは別の離れに私は案内された。
「いかがですか、これまでの内観は?」と聞かれた私は、外に出られた開放感も手伝い、私と母との過去の軋轢、それにより長年感じていた生きづらさ等について思いつくままに話した。
S所長は、そんな私の話にじっくり耳を傾けつつ、過去の内観者のエピソードや、親子関係に関する自身の考えなどをお話してくれた。
内観の面接の際の物静かな印象とはだいぶ違う、ユーモアを交えた明晰かつ熱のこもった語り口に、私は正直驚いた。
しかし、お陰で、内観のやり方が少し腑に落ちた気がした。
そして、S所長のアドバイスに従い、いったん内観を中断した上で、「自分から見た母はどんなだったか」についてひたすら原稿用紙に書き出す、という作業に取り組むことにした。
気の済むまで書き出すように言われた私は、屏風の中に戻って、原稿用紙に箇条書きで、母に迷惑をかけられた過去の所業を挙げ連ねた。
原稿用紙は、これまで自分が受けてきた様々な迷惑や母への悪口雑言でたちまち埋まっていった。
しかし、90項目を超えたあたりだろうか。
これまで書き出した(自分から見た)母の嫌な面や短所の多くが、自分にも多かれ少なかれ当てはまることに、はたと気づかされたのだ。
自己中で、短気なくせに臆病なこと
他者からどう見られるかばかり気にして、外面ばかり取り繕うこと
自分の信じた道を歩めないこと
結局私は、私自身の至らない部分、嫌な部分を母に投影し、過剰に反応しているだけで、母自身の姿を見ようとはしていなかったのだ。
それが分かったとき、私は、
これ以上、自分視点で母の悪い部分を上げ連ねることにもはや意味はないこと
内観はそのような自分視点から離れて、相手と自分自身を見ることなのだということ
に気づくことができた。
私は、原稿用紙に書き連ねる作業に丁度100項目で区切りをつけ、S所長に原稿用紙の束を提出した。
ほどなくS所長からお声がかかり、2度目の面談をしていただいた。
S所長はその原稿用紙にじっくり目を通した後、
「まあ、あなたのお母さんは典型的な、自分中心で物事を考える、精神的に幼い方だと感じますね。」
と淡々とした口調でおっしゃった。
まるで、大したことではないことのように。
以前の私であれば、そのようなS所長の感想に、
「そんな綺麗な言葉で片付けないでほしい!自分は母に長年苦しめられてきた!」
などと強い反感を抱いたかもしれない。
しかし、そのときの自分は、どこかほっとした、穏やかな気持ちになれていた。
この面談の後、自分は中断していた内観を再開したが、相手へのネガティブな記憶や感情に囚われすぎず、よりニュートラルな視点で内観に取り組めるようになったように思う。
6 嘘と盗み、自分の素の「闇」
そして、私は、父、妻への内観がひととおり終わったあと、「嘘と盗み」というテーマでの内観に取り組んだ。
この内観は、通常のものとは異なり、自分が他者との関係でついてきた「嘘」や、犯してきた「盗み」を年代別に思い出すというものであった。
本来は2日ほどかけて取り組むべき内容を、残された時間があまりなかったこともあり、1日で行ったため、正直かなり粗い内観だったと思う。
しかし、それでも私は、小さい頃からの自分が犯した嘘や盗みを紐解くうちに、曲がりなりにも自分は善人寄りだと思っていた自分が、たまらなく恥ずかしくなってきた。
落ちていた小銭を拾って、駄菓子屋で買い食いをした
親に叱られたくない一心で、成績の悪かったテストをこっそり捨てた
その他、卑しい自分が重ねてきた、ここで口にするのも憚られるような数多の浅ましい所業
いかに自分が上辺を取り繕いつつ、半ば呼吸するかのように嘘や盗みを繰り返してきたか
その事実と直面することの恐ろしさに、誇張ではなく、本当に体が震えていた。
そして、自分の奥底から次々と噴き出してくる過去の負の記憶と向き合う中で、
そのような姿こそ、まさに「ありのまま」の自分なんだ
という心境に至ったとき、自分の中で、
あ、これが自己受容ということか
と、心の底から腑に落ちたような感覚を抱いた。
これまで経験したことのない、心が満たされる感覚だった。
こうして、嘘と盗みに関する内観を終えた後、残り1日程度の時間で、私は、再度母に対する内観を行った。
これまで頭の中で思い浮かんだ同じエピソードをなぞるかたちではあった。
しかし、始めた当初と比較すると、私の心持ちはだいぶ変わったと思う。
母へのわだかまりがだいぶ減り、母への感謝や色々苦労をかけた思い出などを素直に思い出せるようになったのだ。
おかげで、面接者に同じ内容を話した時も、その解像度は大幅に上がり、お世話になったこと、迷惑をかけたことを、流れるように、かつより具体的にお話しすることができたのである。
7 内観を終えて―輝いて見えた世界、そして―
こうして、私の7日間の集中内観は終わった。
土曜の昼に屏風の外に出たとき、目に入るものがいつもより輝いて見えた。
窓の外から見える木々の緑が、殊の外鮮やかに感じられた。このような自然の美しさに目を向けられるようになったのは、いつぶりのことだろうか。
ここ数年感じたことのない穏やかさと、とても爽やかな心持ちだった。
最後に、1日目にオリエンテーションを受けた部屋で、他の内観者との座談会が催され、それぞれの内観体験の感想をシェアした。
私は、この1週間の体験を思い返し、集中内観をして本当によかったとそのとき感じていた気持ちを素直に述べた。
恥ずかしながら、感想を述べている最中に少し涙ぐんでしまったが、その涙は、悲しみや苦しみを伴うものではなく、私の心を優しく癒してくれるような、温かさを感じた。
帰りの電車の中で、私は、早くに家族に会いたいという気持ちでどこかウキウキしていた。
そして、夜7時過ぎに自宅に着いたとき、
「おかえり!」
といつもどおり迎えてくれた妻や子どもたちの顔を1週間ぶりに見て、心から幸せな気持ちになれた。
その日の夕飯は、普段より贅沢な、出前寿司だった。
そのとき食卓を囲んだ時の情景は、今でも鮮明に覚えている。
その後、集中内観直後に感じた爽快感や多幸感は、日を追うごとに落ち着いていき、程なく、よくも悪くもいつもどおりの自分に戻った。
しかし、「ありのままの自分を認められた」というあの感覚と、自然に湧いた感謝の気持ちは、その後も私の中に静かに根付いていた。
集中内観から1ヶ月ほど経ったある日、私は母に電話をかけた。久しぶりにお茶でもしないか、と。
母は最初、訝しげな声を返した。
けれど、二、三言交わすうちに、母の自宅近くにある百貨店の喫茶店で会うことになった。
久しぶりに会った母は、相変わらず髪を黒く染めていたこともあり、実年齢よりも若く見えたが、少し小さくなったようにも見えた。
私と母は、お互い色々言いたいことはあったのかもしれないが、なるべく踏み込まないように、最近見たテレビ番組など、他愛もない会話に終始した。
ぎこちないやりとり。 それでも、一時の刺々しさはなく、穏やかな空気が流れていた。
私は、集中内観の話をして、研修所のパンフレットを渡し、もしよかったら体験してみて、と誘ってみた。
正直母にこそ、内観は必要だと思っていた。
母から出た言葉は、
「ありがとう。考えてみるわ。」
あまり気乗りはしない様子だった。
母と別れたあと、私は、どっと疲れている自分を感じていた。
母は、やはり変わっていなかった。
「昔の関係に戻りたい」というすがるような気持ちが、表情の端々ににじんでいた。
それを受け流しながら穏やかに話し続けたことで、私はかなり気疲れしていたのだと思う。
ごめん。その気持ちには応えられない。
でも、きっと大丈夫。
少しずつ、母との関係を、再構築していこう。
そして、機会を見つけて、また内観の話をしてみよう。
そんなことを思いながら、帰りの電車に揺られていた。
それから約2年後、母は、癌でこの世を去った。
私は、病院に駆けつけて昏睡状態の母を見舞うことはできたが、最期を看取ることはできなかった。
もっと話しておけばよかった。
もっと寄り添えたんじゃないか。
悔いがないと言えば嘘になる。
しかし、屏風の中で内観を深めたあの7日間がなければ、私は、あの喫茶店でのやりとりのように、ささやかながら、普通の親子の会話を、再びすることは叶わなかっただろう。
私は、今、毎朝、朝食の前に、居間にある仏壇に線香を立て、手を合わせることを日課にしている。
そのとき、心の中で、父、母、祖父母達に感謝の気持ちを述べるたびに、私は、集中内観を終えた日のあの清々しい気持ちを思い出すのである。
私のチューバとの出会い、15年のブランク、そして再起動までの全記録【第1部・全11話】
👋 このnoteについて、そして私について
