「夜見枯古書店心書譚」第六話
「ただいまー」
と、玄関で声を上げても、誰もいない。
ここはそういう家になった。なってしまった。
父も母も仕事に明け暮れている。至極真面目に、残された美夜子により良い環境で過ごさせてあげられるようにと、いつも頑張っている。
兄がいなくなってから、二人の過保護がひどくなった。兄の分も美夜子が背負っているのだと、否応なく感じさせる過保護さだ。
けれど、両親が家に寄りつかないのは、兄悟志が抜けてしまった部分を見たくないからだ。
ただの独り立ちであればよかった。
ただ、温厚で優しい悟志がかけられていた期待は「普通に」「ちゃんとした」世界でなければならなかったのだ。
軽い食事をして、シャワーを浴びる。今日は湯船につかる気にはなれなかった。
『説明はしてやる。ただし、それはお前のお兄さんの部屋でだ』
阿光はそういって、完全に日が暮れる前に美夜子を家に帰してくれた。
意外に、そういう部分には常識がある人物だったようで、那々に「またね」と見送られながら、夜見枯古書店を去ったのが先ほど。
「なんか、疲れた」
兄の友達、夜見枯阿光。
確かにあの人は、普通ではなく、ちゃんとしてもいなかった。
兄が影響を受けたのもうなずける、強烈な引力を持った人であることも分かった。
本当に彼と相対するには、自分は力不足だ。けれど。
自分の部屋に戻る直前、隣にある兄の部屋に目を向ける。阿光に今はまだ、うかつに触れない方がいいと言われた部屋だ。
「……お兄ちゃんを探すためなら」
兄は、大事な人だ。美夜子にとっても、家族にとってもなくてはならない人だ。
ベッドに腰掛けながら、兄が出ていった四年に思いをはせた。
――電気、暗くない?
母は、いつもそういうようになった。部屋の明るさが足りないと。電気をどれほど明るく調節しても、何かが足りないと。
そうしてハッと気づいた表情になって、次には黙り込んでしまう。美夜子が視線を向けると、取り繕うように曖昧に微笑む。
父は、なんでもないようにいつも通り。
四年前の通りに働いている。だけど、家族と話すことはめっきり少なくなってしまった。元から陽気な人ではなく、真面目がスーツを着てい歩いているような人だったから、いつも通りのようにできてしまう。
けど、実際は違う。いつもいつも、悩んで苦しんでいる。どうして悟志は自分達が望んでいた「普通」にならなかったのかと。
―――もし、夜見枯阿光が、この家族を見たら、なんというだろう。
普通に縛られて落ち込む両親を見て、鼻で笑うだろうか。それとも先程も見せていたつまらなそうな一瞥を、家族に向けるだろうか。
――いや、これは、阿光じゃない。
阿光じゃなく、美夜子が両親に抱いている感情だ。
普通って何。ちゃんとしたって何。
私たちの未来を、なんでそんな言葉で勝手に決めつけているの。お兄ちゃんは間違っているなんて、どうしてそんなこと言えるの。
お兄ちゃんは言っていた。
みんなの役に立ちたいとのだと。だから、探偵になるんだと。
それのどこが、身勝手なんだろう。それのどこが、間違っているんだろう。
普通の会社に行って、ちゃんとした人生を送ることは選択肢の一つでしかない。
選ぶのは自分だ。
自分で納得して、腹をくくって、それで進んでいる人生なら、それでいいじゃないか。両親をかわいそうだと思う反面、美夜子は、自分の心の奥底にそういう言葉が眠っていることもわかっていた。
――夜見枯阿光だ。
彼に会って、美夜子の中に眠っていた両親へのもやもやした感情が一気に噴き出した。
なんてことはない、小さな不満の種。
だけど……今日は何だか……耳に響く。
「どうして」「どうして」「どうして」どうしてどうしてどうしてどうして!?
「えっ……」
これは自分の内側の声ではないと気付くのに、時間は必要なかった。
なぜなら、窓ガラスがびりびりと音を立てて揺れたからだ。それは紛れもなく、「音」だった。
美夜子が慌ててベッドから飛び降りると、ベッドの上にずどん!と大きな音を立てて真っ黒い兎が飛び降りた。
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