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「夜見枯古書店心書譚」第十二話

「夏笠妹の本分は学生だろ。学生の範囲内で『心書』が関わることがあれば、僕は動くかもな」

―――単純だったけど、美夜子は、その言葉で目の前の道が開けたような気がした。

「じゃあ、図書館だ! お邪魔しました、夜見枯さん!」

そう言ったときにはすでに頭の上から阿光の手は離れており、彼の態勢もまた、先ほど同じ腹立たしい本を寝ながら読む状態へと戻っていた。

美夜子の言葉に返事もせず無視を貫き、美夜子もまた、その状態に文句を言うことなく店から出る。

「……今の、励ましてくれたのかな……」

頭の上に乗せられた手の感触が、くすぐったく残っている。兄の優しいそれとは違うが、確かに美夜子を励ますために乗せられた手。

「……なんか、意外……」

小さな声で呟き、自分の頬が熱くなっていることは気にせずに、美夜子は店を後にした。


「やほー阿光君。今日のお夕飯だよー」

那々が店を訪れると、阿光は必ず起き上がる。なぜなら、それが閉店時間の証だからだ。

だが、口数は少ない。もともと多い方ではないのだから仕方がないと、那々はすでにいろいろと悟りきっている。だが、今日は少し様子が違った。

――なんだか、そわそわしてるなぁ。

「阿光君、今日もあの子来てたよね。『心書』関係でしょう?」

「ああ、そうだよ」

「さすが夏笠君の妹さん。そういう勘は似るのかしらねぇ、夏笠君もすごく興味津々だったものね、『心書』に」

「こんなものに、な」

そういいながら彼の手に会ったのは、真っ黒な装丁の古書だった。

呪いの本と言われてもすぐに納得しそうなほど貫禄のある本であり、昨日、阿光が深夜に手に入れてきた一冊だ。

「それ? 夏笠君の部屋にあったっていう?」

「普通の人間が手にできるわけがないから、夏笠か別の奴が部屋に置いたんだろうな。年代は浅い本だから、比較的、手に入りやすくはある。問題は、夏笠妹がこれにしっかり反応していたこと」

「『使い手』ではないんでしょう? そんな簡単に反応できるものじゃないのに」

那々と阿光にとって、この手の話は日常茶飯事である。

なぜなら、阿光がひっきりなしに、この手の話題に引っ張られていくからだ。

決して引っ張ってくるのではなく、阿光が否応なしに引っ張られるのである。まるで、本に好かれているみたいだな、と那々は思っているが、阿光本人は不本意であることも多々あるので、そんな言葉を軽々しく口にすることはない。

本人は何も言わないが、いつも大変な目に合っているのだ。それを救済しようした人間は、那々の知る限りは夏笠悟志しかいなかった。

そんな、自分を助けようとした人間の大切な妹。表面に出しこそしないけれど、実は自分に関わった人間には世話焼きになる阿光が心配しないはずがなかった。

しかも、消息を絶った兄を追いかけようとする頑張り屋な女の子である。阿光にとっても、実のところ妹に近い存在なのではないだろうか、と那々は邪推していた。

―――しかも、いろいろと特別みたいだしねぇ。

彼女は阿光から何も詳細は聞いていないが、状況を察するのに超能力的な洞察力を持つ。阿光にとって美夜子が、理由あって特別な少女であることは、彼の様子から察しがついていた。

――たぶん、物語を食べることについて。

那々は、阿光の能力を知る数少ない人間の一人である。

「阿光君、あの子、どんな子なの?」

テーブルの上に二人分の取り皿を分け、ピクニックバスケットに入れておいたラップをかけたサンドイッチを取り出す。

ハム、サーモン、たまごなどオーソドックスなものばかりだが、お店で出しているものよりも少しだけボリュームを増やしている。

水筒から淹れておいた紅茶をマグカップに注ぎ、阿光の方に置きながら聞いてみた。

どんな子、という言葉は、阿光と那々の間では普通の意味ではなくなる。

『物語』を読んだ上で『どんな人生を生きてきた』のかを、聞いているのである。

那々の洞察力が異常なのであれば、阿光の『人生を読む』能力はどれだけ恐ろしいものなのだろうか、と那々は常にどこかで考えていた。

那々の質問に、阿光はしばらく考えるように紅茶がなみなみと入ったマグカップを手の中で弄び、言葉選びに苦労したように疲れた声で答えた。

「―――何もない」

「え?」

「あの娘、白紙なんだ。初めて見た」

「……そんなことって、あるの?」

物語は人生のこと。生きている人間である限り必ず持つ、その人だけの一冊。

それ白紙ということは、生きていないことと同意だ。

「普通、死んでると思うんだけどな」

「でも、あの子は何もへんじゃなかったよ? 阿光君が今まで食べてきた人達とも違うし……」

「あれだけ何もなきゃ、食べられもしないけどな。――だから、悟志は僕に頼らせたんだろうな……」

少し途方に暮れたように言う阿光は新鮮だ。常に現実に飽きたような表情しかしていない青年なのだから。

――あら、これはこれは。

那々はこの時、夏笠悟志の意図をしっかりと汲み取っていたのだった。本人たちには決して伝えないようにしないと、と固く誓いながら。

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