「夜見枯古書店心書譚」第八話
「なぁ……っ!?」
「不法侵入、失礼」
阿光はあっという間に、美夜子の手からするりとハサミを抜き取ってしまう。
「っ! 返して! あいつを壊さなきゃ! ……はうっ!?」
ハサミを取られて暴れだそうとした美夜子だったが、額に痛烈なデコピンを浴びせられて意識が一瞬真っ白になる。
――そして、我に返った。
心の中にあった真っ黒な声も暴力性も、今のデコピン一つで逃げだすように消え去る。
「あれ……。私、どうしてあんなに……」
壊したかったんだろう。
「やっとまともに戻ったか」
「あ、不法侵入!」
「それについては謝罪済みだ。というか、ここはお前の家じゃない」
阿光が指さすのは、真っ暗で果てのない兄の部屋だ。
先ほどまですぐ近くにいた兎はというと、先ほどまで美夜子を襲っていた激しい怒りが乗り移ったかのように毛を逆立てている。そして、まっすぐに阿光をにらんでいた。
今のその様子は、もう、ウサギではない。
バスケットボールなんてかわいいサイズではない。すでに軽自動車一台ぐらいの大きさに肥大し、ハリネズミのように隙間なく広がる棘はハサミなんて可愛いレベルの凶器として周囲に散っている。
それを見た瞬間、美夜子の中でやっと正しい感情が現れた。恐怖だ。
あれはもう、通常の生き物ではない。化け物と呼ぶのがふさわしい存在だ。
それに太刀打ちできると、どうして自分は思っていたのだろう。
それに、この真っ暗な部屋。これが部屋なわけがなかった。これは空間だ。
すでに足を踏み入れてしまった美夜子には出口が見当たらず、それは阿光も同様だろうに、狼狽の一つも見せてはいない。
いつも通りの不機嫌な様子で、阿光は手の中のハサミを弄びながらため息を吐いた。
「だから、あんなに入るなって言ったんだよ……」
「わ、私、自分の意志で入ったわけじゃない!」
「誘いこまれたんだろうな。あいつに。だけど扉を開けたのは間違いなくお前の意志だろ」
「ぐっ……」
釘を刺されるようにそういわれ、ぐうの音も出なくなる。
確かに、阿光の忠告を思い出すこともなく扉を開けてしまったのは美夜子だ。
「わ、私が操られていたとかは?」
「あいつにそんな力はない」
ズバッといわれ、もううなだれるしかない。
だが、同時に疑問も浮かぶ。なぜ、阿光はそう言い切れるのだ。
そんな美夜子の疑問を制するように、阿光は美夜子の前へと進み出た。
「あれはお前の心の闇でも何でもない。『心書』の影響が出たんだろう」
「……しん、しょ?」
「昼間に言ったな。物語を食べるとはどういうことかと。こういう――」
阿光が美夜子に視線を投げて言おうとした瞬間、怒りの頂点の達した黒い兎が襲い掛かってきた。
「危ない!」
美夜子は思わず叫んだが、阿光は手の中で弄んでいたハサミに、何かをした。
途端、先端の丸い安全だったハサミがヒュッと音を立てて伸び、西洋の騎士が持つような両刃の刃へと姿を変える。
「えっ」
言葉を失う美夜子を背に、阿光は無言で襲い掛かってきたウサギと剣をかち合わせる。
しばらく拮抗するようにウサギが圧をかけてきていたが、阿光がふっと底の知れない笑みを浮かべた途端、怯えたように慌てて後ずさった。
「へぇ、勘はいいわけだ」
ゆらり、と阿光が佇む。かすかな微笑を浮かべたその様子は、ウサギだけでなく、美夜子にまで正体不明の恐怖心を抱かずにはいられない。
だが、美夜子が目を見張ったのは、阿光が軽く手を掲げたときだった。
(蛇……?)
阿光の腕に、この部屋よりもどす黒い蛇が巻き付いているように見えたのだ。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます。
頂いたサポートは、より人に届く物語を書くための糧にさせていただきます(*´▽`*)