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【第6回】ジャーナリズムの活性化のために

東京大学大学院情報学環を拠点とする「プラットフォーム研究会」は、国内外のさまざまなプラットフォーマーの経営、歴史、思想、創業者群像、政治との関係、生成AI戦略などについて、2025年5月まで24回の会合で議論を重ねてきました。

本noteでは、西村陽一・客員教授による「情報社会論」講義(2024年度)の一部を再録するとともに、研究会での議論内容を特集記事として順次紹介していきます。

初回講義(2024年4月)再録の第6回配信は、フェイクニュースや偽・誤情報、操作情報が氾濫する時代におけるジャーナリズム活性化の道について考えます。フォーラム機能、知的謙虚さ、発見の大切さ、ジャーナリズムのインテグリティについて論じたあと、西村氏が記者生活のなかで集めてきた国内外の先人、同時代人の発言を紹介して初回講義を終えます。


(▶)AIモデレーターによる要約を聞く・7:51min

本記事をもとに、NotebookLM(Google)を使って生成したポッドキャストです。
読み上げ内容には複数のミスが含まれます。あくまで理解の補助としてお使いください。

ジャーナリズムの活性化

「ほんもの」の情報への渇望

 フェイクニュース、偽情報、誤情報、操作情報の氾濫や安易なレッテル貼りに見られる状況は、メディア界に大きな困難を突きつけています。
 
同時に、これは大きなチャンスでもあります。この状況は、ジャーナリズムに「透明性」や「説明責任」といった点で大いなる反省を迫ると同時に、ジャーナリズムの活性化をもたらす可能性があると私は信じています。
 
このような危機の時代、何が正しい情報で、何が間違っているのか、社会不安も重なって、判断するのが難しい状況を迎えています。いわゆるインフォデミックの時代です。


今年(2024年)は、秋のアメリカ大統領選は言うまでもなく、世界各国で重要な選挙が目白押しの年となります。1年間に世界の人口の半分近い国で選挙が行われることになります。日本でも今年は都知事選などが予定されています(注:この年は結局、総選挙や兵庫県知事選なども行われた)。そして、AIが生成する政治広告、偽情報や誤情報が選挙を混乱させるという、民主主義に及ぼすリスクは大いにあります。

そんな時代だからこそ、読者は、判断の材料となる「ほんもの」の情報を探しています。
 
現場を徹底的に歩く「足」。起きたことを歴史的な文脈に置いて冷静に論評する経験と知識を備えた「頭」。こうしたことに対する期待はいまも残っている、いや高まっていると実感しています。そんな期待に応えられるか、それとも期待を裏切ってしまうのか。世界のメディアにとって、今年(2024年)の選挙報道は分岐点になると思います。

「フォーラム」を同質化させるな

徹底して事実を踏まえた調査報道や検証報道に力を入れるのは言うまでもありません。データジャーナリズム、社会課題の解決のためのソリューション・ジャーナリズム、デジタルの特性を存分に生かした新しい表現方法、多様な意見をたたかわせ、読者との双方向コミュニケーションを深めるフォーラム機能。これらのニーズに応えられなければジャーナリズムに明日はありません。
 
とくに、メディアが用意する議論のフォーラム空間が媒体ごと、メディアごとにどんどん同質化、画一化しては、時代に取り残されるだけです。安易な両論併記も、単純な善悪二元論に依った両論併記糾弾も、フォーラム空間を先細りさせるだけです。


これらは古くて新しい問題ですが、国家を凌駕する巨大な力をもったプラットフォーマーと、ジャーナリズムを実践するメディアが、どのような関係にあるのか、その関係はどうあるべきか、というのは、まさに現在進行形の新しいテーマであり、メディアの将来を規定するテーマでもあります。
 
イントロの本日はジャーナリズムをとりまくこんにちの問題を指摘しましたが、次回以降の授業でジャーナリズムの観点から巨大プラットフォーマーの役割を取り上げる理由がここにあります。

民主主義とジャーナリズム

知的謙虚さについて

 バイデン政権(2024年当時)は民主主義と専制主義の対立という構図で世界を切り取っています。しかし、民主主義が簡単に専制的な色彩を帯びたり、権威主義的な体制に変わったりしうるという危険性は、別にワイマール共和国を見るまでもなく、つい最近のトランプ(一次政権)時代のアメリカを見ても明らかです。
 
民主主義はいったん形が整えば自動的に永続するような生易しいものではありません。油断するといつ変質するかわからないもろさを抱えています。だから、民主主義が権威主義、専制政治に転化しないようチェックする、歯止めをかけることが大事であり、そこにジャーナリズムの役割があります。


 民主主義においては、批判の自由、思想の自由が保証されなければなりませんが、ここでジャーナリストが原点に据えるべきは、「自分たちはしばしば過ちを犯すものだ」ということを受け入れる謙虚さ、自分の価値や尺度を相手に押し付けない寛容さだと思います。これがこんにちのメディアに最も求められることだと思います。
 
記者個人も媒体各社もしばしば誤りを犯します。講義の別の回ではフェイスブック(現メタ)の大きな失敗を取り上げます。過ちを犯さない人間がいないように、過ちを犯さないメディアもありません。
 
民主主義と専制政治を分かつ基準の根底にある知的謙虚さ、寛容さというのが、実はメディア人に最も求められる規範です。それがジャーナリズムの「インテグリティ」、つまり誠実さ、高潔さ、ということにもなります。

確認で終わるか、発見するか

ここにいる皆さんが将来、もし記者や編集者になったら、ある問題に直面します。
 
知的謙虚さという場合、「虚心坦懐に事実に向き合えという意味だ」という言葉をよく聞きます。しかし、私たち凡人に文字通りの虚心坦懐はありえません。
 
一定の解釈を介在しない事実はありません。時間との競争のなかで、記者は、あるいはデスクは、特定の解釈に基づく仮説をもって取材にのぞんだり、あるいは現場の記者にそうした指示をしたりします。


往々にして記者が現場で陥りがちな罠があります。
 
それはせっかくの現場取材が、立ててみた仮説、言われた仮説の単なる確認になってしまうことです。そこに「確認」はあっても「発見」はありません。
 
皆さんが、将来、メディア業界に進むなら、まず仮説を立ててみることです。しかし、それは簡単に裏切られます。仮説を裏付ける事実が足りなかった、説得力のある反証にあった、仮説がひっくり返った、そんなことはよくあります。毎日がそんなことの積み重ねです。それを受け入れることが先ほど話した知的謙虚さであり、他人の反証への寛容さです。
 
記者の場合、そんなことをしても真実には永遠にたどり着かないかもしれません。しかし、仮説、取材、反証、再取材、再仮説・・・というプロセスを重ねていくことこそが、真実に肉薄する、真実に一歩でも近づくプロセスとなります。フェイクニュースがあふれるいま、それが本来のジャーナリズムに求められることであり、そうした報道の蓄積こそが民主主義を支えるものと信じます。

先人、同時代人の言葉から

私が記者時代にメモにとどめてきた国内外のさまざまな言葉の一端を紹介して初回の講義を終えます。
 
最初は、約100年前の朝日新聞記者、杉村楚人冠の言葉です。

どうでしょうか?デジタル時代のこんにちもそのまま通じる不変の原則ではないでしょうか。
 
次の三つを順次紹介します。

最初は、私が日本記者クラブの企画委員長として東京での記者会見にお招きした米国のAP通信の女性記者の言葉です。調査報道でピュリツァー賞を受賞した彼女が日本の記者に対するメッセージとして述べたのがこの言葉でした。
 
その次は、私がワシントンに勤務していたころに取材した、実際に起きた事件をテーマに制作された映画「Truth」のなかのせりふです。映画の中でベテランニュースキャスターが若い記者に言ったのがこの言葉でした。
 
最後が共同通信の編集主幹を務め、ジャーナリズム界の長老として発言を続けた故・原寿雄さんの言葉です。
 
ここまでが問いを発することの大切さです。


次はノーベル平和賞受賞のフィリピンのネットメディア「ラップラー」代表マリア・レッサさん。私は彼女の話を、コロナ禍前、いくつかの国際会議で直接聞く機会がありました。

 最後がニューヨーク・タイムズ発行人、アーサー・グレッグ・サルツバーガー氏。私がニューヨークで彼にインタビューしたときの言葉です。

 

 本日の初回講義はここまでです。
では皆さん、質問をどうぞ。
(第7回配信へ続く)

初回講義「イントロダクション~プラットフォーマーとメディアを取り巻く潮流について」
第1回配信 初回講義その1 三つの革命と三つのトンネル
第2回配信 初回講義その2 巨大プラットフォーマーの破壊力
第3回配信 初回講義その3 変革の移り変わりをとらえるためのキーワード
第4回配信 初回講義その4 メディアのパワーシフトとAI
第5回配信 初回講義その5 未来につなげるための変換作業
第6回配信 初回講義その6 ジャーナリズムの活性化のために
 
第7回配信 初回講義の「Q&A」、「講義を聴いて今思うこと」

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