【第17回】巨大プラットフォーマーと戦争~イーロン・マスクの帝国とスターリンク
東京大学大学院情報学環を拠点とする「プラットフォーム研究会」は、国内外のさまざまなプラットフォーマーの経営、歴史、思想、創業者群像、政治との関係、生成AI戦略などについて、2025年6月まで25回の会合で議論を重ねてきました。
本noteでは、西村陽一・東京大学大学院客員教授による「情報社会論」講義(情報学環教育部、2024年度)の一部を再録するとともに、研究会での議論内容を特集記事として順次紹介していきます。
第8回~第14回は、2回目の講義「プラットフォームビジネスのメカニズム~その急成長とパワーの源泉について」(2024年4月)の再録を分割してお届けしました。
第15回からは3回目の講義「戦争と情報~ウクライナ戦争とプラットフォーマーについて」(2024年4月)の再録をお届けしています。
この第17回配信では、政府の介入を嫌う「テクノリバアリアン」であり、テクノロジーが人類社会に革命をもたらすと信じる「テクノユートピアン」であるイーロン・マスクが、スターリンクを使って国家間の戦争の行方をも左右している現実について説明しています。
ウクライナ版オードリー・タン
ウクライナにミハイロ・フェドロフという33歳(2024年4月の講義時点)の政治家がいます。ゼレンスキー大統領に次いで世界で有名になった人物です。
台湾のデジタル担当大臣に35歳の若さで就任したオードリー・タン氏は、来月(2024年5月)の台湾新政権の発足に伴い大臣を辞任しますが、フェドロフ氏はこの人物になぞらえて、「ウクライナのオードリー・タン」と評されていました。

フェドロフは1991年生。ウクライナ政府の大臣としては最年少です。
サポリージャ国立大学を卒業後、フェイスブックやインスタグラムに特化した広告会社を立ち上げ、ゼレンスキーが勝利した大統領選でSNSキャンペーンを仕切りました。
2019年に28歳の若さで副首相兼デジタル改革相に就任し、政府のSNS戦略を統括しました。戦争前の彼の任務は、公共サービスを100%オンラインで届けるためのアプリの開発と普及でした。
戦争が始まった後、彼はBBCにこう語っていました。
「どのプラットフォームも非常に重要だ。ウクライナで起きている恐怖について大企業に興味を持ってもらうため、あらゆる機会を利用している。ロシア人が戦争に抗議するよう、真実を伝えようとしている」
「ツイッターは、ロシアの軍事侵略に対抗するための効率的なツールになった。我々にとっては、ロシア経済を破壊するためのスマートで平和的なツールだ」
彼にとってこれはテクノロジー戦争でもあったわけです。

彼はまた、ロシア侵攻直後は手作りの改造で済ませていたドローンを攻撃用兵器として開発するための国家プロジェクトを主導し、多くのドローン開発スタートアップを育てました。
ちなみに、このドローン国産体制を支援したのが、巨大プラットフォーマー、グーグルの元CEOであるエリック・シュミットでした。

イーロン・マスクに直訴
ロシアはテレビ塔を爆破し、ウクライナ国外に情報が出ないようにしようとしました。
ロシアが侵攻を開始した2日後、フェドロフは宇宙開発企業「スペースX」を経営するイーロン・マスク氏にツイッターで協力を呼びかけます。彼はテスラの経営者であり、旧ツイッターの買収者でもありました。
ツイッター上で交わされたフェドロフとマスクのやりとりは、いまではすっかり有名になりました。
「あなたが火星を植民地にしようとしている間に、ロシアがウクライナを占領しようとしています! あなたのロケットは宇宙から無事に着陸しましたが、ロシアのミサイルはウクライナ市民を攻撃しています。ウクライナにスターリンクでのインターネットアクセスを提供し、まともなロシア人に立ち上がるよう呼び掛けてください」
彼はマスクにそう直訴しました。
マスクからの返信は数時間後に届きました。
「スターリンクはウクライナで稼働を始めました。受信端末もそれに続きます」

そこにはウクライナ全土でスターリンクのサービスを使えるようにし、必要なハードウェアもほどなく到着すると記されていました。実際、数日経つと、トラックが続々とウクライナに到着しました。衛星との通信に使われる、ピザくらいの大きさの平たいアンテナを満載したトラックでした。

スターリンクとは?
スターリンクとは、マスクが経営する宇宙企業スペースXの衛星通信網です。
2019年に初めて衛星を打ち上げ、現在(24年4月の講義当時)、スターリンクの小型の通信衛星5700基弱が、高度約550キロの低軌道の上を周回しています。顧客は世界に270万人います。
これらの衛星群が一体となって、地上のユーザーに高速インターネットサービスを提供しています。通信インフラが整っていないところでも、地上の専用端末とつなげれば、高速インターネットの接続サービスが可能になる、つまりネット環境を直接提供できる―そんな衛星ネットワークシステムです。
端末セットは、アンテナとルーターとケーブル。アプリをダウンロードして契約手続きを終えればネット接続は数分でできます。

ウクライナの電力インフラや通信インフラはロシアの攻撃に対して決定的にもろいものでした。そんなウクライナにとって、これはインターネットや通信網が壊されたときの復旧に大いに役立ちました。
これを使うことで、ウクライナで使われている従来の通信衛星システムがロシアによって破壊されても、インターネットを継続して使うことができ、コミュニケーションも遮断される心配はなくなるというわけです。
こうしてスターリンクはウクライナの生命線となりました。
英エコノミスト誌の表現を借りれば、スターリンクによる安くて効率的なインターネット接続によって、「まるでウーバーの配達のように」攻撃が簡単にできるということになったわけです。
ウクライナ軍の兵士は、標的になりうる場所の写真を何枚か撮ります。次いで、その画像をスターリンクで利用可能なモバイルネットワークにアップロードします。するとこれらの画像は、砲兵部隊の司令官たちの暗号化グループチャットに送られます。
司令官たちはそこで標的に砲撃を加えるかどうかを決め、砲撃する場合はどこから砲撃するのかも決めます。こうして、前よりもはるかに迅速な砲撃ができるようになりました。

イーロン・マスクのスターリンクは、もともとは彼自身の壮大な夢である人類の火星移住計画の資金を稼ぐために、スペースXのサイドビジネスとして始めた宇宙事業だったとされています。
それがいまや、ウクライナ軍の作戦にとって必要不可欠なインフラとなりました。
「スターリンクがわれわれの酸素です。あれがなくなったら軍は大混乱です」(ある兵士)
「スターリンクがなければ、この戦争は負けていたでしょう」(ある小隊長)
いずれもさまざまな西側メディアに引用された言葉です。ウクライナは2022年12月時点で約2万2000台のスターリンク端末を保有していました。
スペースXの衛星通信システム「スターリンク」
イーロン・マスク経営の宇宙企業スペースXの衛星通信網
高速ネット接続を可能にする衛星ネットワークシステム
小型の通信衛星5700基弱
高度約550キロの低軌道上を周回
顧客270万人
ネット接続は数分
戦場でインターネット通信確保
標的候補地の画像をモバイルネットワークにアップロード
→暗号化された司令官たちのグループチャット
→砲撃の決断
「スターリンクはわれわれの酸素。なくなったら軍は大混乱する」
「スターリンクがなければ、この戦争は負けていた」
スターリンクの強みとは?
スターリンクに対するロシアのサイバー攻撃はいまのところ成果をあげていません。スペースXがシステムのソフトウェアのアップデートを迅速にしていることが功を奏している面もあります。
また、スターリンクには、スペースXのロケット打ち上げ能力という大きな強みがあります。同社のファルコン9は、現在、世界一の衛星打ち上げシステムです。だから衛星の打ち上げを、他の追随を許さないペースで実行できるというわけです。
スペースXは、完全に再使用可能な巨大ロケット「スターシップ」の打ち上げにも取り組んでいます。この巨大ロケットなら1回でスターリンクの衛星を400基ほど打ち上げられるので、スターリンクの衛星の数は数千基から数万基に増えることになります。
スターリンクの強みとは?
・システムソフトウェアの素早いアップデート
・スペースXのロケット打ち上げ能力
・再使用可能な巨大ロケット「スターシップ」
1回でスターリンクの衛星400基
クリミアではスターリンクを遮断
イーロン・マスクは、衛星打ち上げ事業、衛星インターネット事業、電気自動車の事業で支配的な地位を築き、X(旧ツイッター)も持っています。巨大プラットフォーマーが国家をもしのぐ力を持つ実態については次回の講義で詳しく話しますが、「マスク帝国」もそうした力を持ちました。
「イーロン・マスクの帝国」が軍事的、政治的に大きな力を持つことを表すエピソードがあります。
マスクはつい2か月ほど前(24年2月)には、米上院でのウクライナ支援法案の可決を阻止するロビー活動を行うようX上で呼びかけています。
世界のマスコミには当初ウクライナの応援団長のように描かれていたマスクですが、実は彼にはもう一つの顔がありました。世界的なベストセラーとなった彼の評伝でもそれが明らかにされています。

それによると、マスクは、クリミアの海岸から100キロはスターリンクのサービスを切るよう技術者に指示しています。このため、ウクライナの無人潜水艦はロシアの艦隊に近づくとインターネット接続が切れ、岸に打ち上げられる結果となりました。
クリミア地域のスターリンクが切られていることに、作戦途中で気づいたウクライナ軍は、サービスを回復してくれと、電話やメッセージで、やいのやいのとマスクに訴えました。
先ほど紹介したあのフェドロフも、無人潜水艦は戦いを左右しかねない存在だと、暗号通信アプリを使ってマスクに説明しました。
核の報復を懸念
しかし、マスクは拒否します。
なぜでしょうか。
彼は、ウクライナがクリミアを攻撃するとロシアが核兵器による報復に出る恐れがあると考えたからです。
先ほど、クリミアは私が新聞社のロシア特派員だったころに定点観測地点として何度も足を運んだ場所だったという話をしました。それは、ロシアにとってこの地が、歴史的、民族的、軍事的に特別な場所だったからでした。
ここがウクライナの攻撃で陥落するということは、ロシアにとっての決定的なレッドラインを超えることを意味します。
その場合、プーチンが核兵器を使って報復するかどうかはわかりません。しかし、少なくとも大規模な攻撃をウクライナ側にしかけ、それがロシアとNATOとの戦争に広がる恐れは確かにありました。
クリミアでスターリンクを遮断したマスク
・海岸から100キロはサービス切断を指示
ウクライナの無人潜水艦に被害
・ウクライナ軍とフェドロフの訴え
→マスクは拒否
・ウクライナのクリミア攻撃がロシアの核報復を誘発?
・クリミアはロシアにとっての「レッドライン」
スターリンクの提供によってウクライナを有利に導いたのがマスクなら、それを遮断して戦況に大きな影響を与えたのもまたマスクでした。
一民間企業の先端的な技術を使った商業サービスが、戦争の行方、国際関係の構図にこれほどの大きな影響を与えたのは初めてといってもいいでしょう。
戦況を左右したスターリンク
・スターリンクの提供でウクライナ軍を支援
・スターリンクの遮断でウクライナ軍と距離
→民間企業の最先端サービスが戦争に大きな影響
スターリンクのブラックマーケット
最近は、スターリンク端末の影のサプライチェーン、闇市場があるという報道もでてきました。
ウォール・ストリート・ジャーナルによると、ロシアでは、仲介業者が米国のサイトや中央アジア、ドバイ、東南アジアのブラックマーケットで端末を購入して密輸入し、ウクライナの前線のロシア軍兵士に運ばれているとのことです。
つまり、ウクライナとロシアが入り乱れてスターリンクを使って戦争しているというカオスの状況が生まれつつあります。
何の手も打たなければ、おそらくこれから、ネットオークションを通じて専用端末がどこか別の内戦国にも売り渡されることになるでしょう。

台湾問題とスターリンク
スターリンクは台湾問題でも注目を集めています。
マスクのビジネス上の利害関係が影響する可能性があるからです。
マスクが経営するテスラにとって、上海のギガファクトリーは会社の命運を左右するほどの重要性を持ちます。このビジネス上の意味を踏まえれば、たとえば中国国内の反体制派がスターリンクを使えるようになるとは考えられません。同時に、台湾有事の際も、台湾がウクライナのようにはスターリンクに頼れないだろということも予想できます。
テクノリバタリアンと国家
シリコンバレーの巨大プラットフォーマーの創業者たちの系譜は、「グーグルの巨大化と監視資本主義」(注:第12回配信)で触れたように、これから講義のなかで順次取り上げていきます。
イーロン・マスクという天才は、徹底して政府の介入と規制を嫌う究極の「テクノリバアリアン」です。テクノロジーの力によって人類社会に革命をもたらすことができると信じる「テクノユートピアン」です。
しかし、そうでありながら、彼は、スターリンクを使って国家対国家の戦争の行方を左右する存在となりました。米国防総省とはスターリンクの契約を結んでいます。彼は、メディア(X=旧ツイッター)と通信(スターリンク)という、国家にとって死活的な二大手段を手にしています。
昨年(2023年)10月に始まったイスラエルとハマスの中東戦争でも、ガザで活動する支援団体にスターリンクのインターネット接続サービスを提供すると発表したマスクに対して、イスラエルが強く反対しました。ここでも、スターリンクの存在が、軍事活動と人道支援に大きな影響を与えていることがわかります。
それだけではありません。
これからの技術、経済、政治に決定的な影響を与えるAIの開発のうえで、マスクは2枚のオールマイティカードを持っています。
一日で5億のツイートがされているXの膨大なメッセージ、つまり言語情報と、テスラの車載カメラの画像に収められたドライバーの動きです。
言語データと運転データ。この両輪を回すことで、マスクはすでにAIの巨大資源を手に収めたことになります。
国家の束縛や規制を断ち切ろうとしている経営者が、国家を単位とする地政学的な争いのカギを握る存在となったわけです。スターリンクはそのことを最も雄弁に物語っています。
(注:この講義の後に誕生したトランプ第二次政権におけるトランプ大統領とマスク氏との関係については、改めてこのプラットフォーム研究会の特集記事としてお届けします)
それでは巨大プラットフォーマーたちはウクライナ戦争においてどんな役割を果たしたのか、具体的に見ていきましょう。
(第18回配信に続く)
・初回講義「イントロダクション~プラットフォーマーとメディアを取り巻く潮流について」
第1回配信 三つの革命と三つのトンネル
第2回配信 巨大プラットフォーマーの破壊力
第3回配信 変革の移り変わりをとらえるためのキーワード
第4回配信 メディアのパワーシフトとAI
第5回配信 未来につなげるための変換作業
第6回配信 ジャーナリズムの活性化のために
第7回配信 「Q&A」「講義を聴いて今思うこと」
・2回目の講義「プラットフォームビジネスのメカニズム~その急成長とパワーの源泉について」
第8回配信 主戦場はモバイルからAIへ
第9回配信 オンラインとオフラインの二刀流
第10回配信 ネットワークの魔法とは?
第11回配信 ツーサイド効果と成長の壁
第12回配信 グーグルの巨大化と監視資本主義
第13回配信 パイプラインからプラットフォームへ
第14回配信 「Q&A」
・3回目の講義「戦争と情報~ウクライナ戦争とプラットフォーマーについて」
第15回配信 ウクライナのSNS戦争とアルゴリズム戦争
第16回配信 ウクライナでの情報戦の威力、地上の冷酷な現実
第17回配信 イーロン・マスクの帝国とスターリンク
第18回配信 巨大プラットフォーマーとウクライナ
第19回配信 戦争とディープフェイク
第20回配信 戦争とスプリンターネット
第21回配信 「Q&A」
