情報から体験へ―稼げるメディアは今、何をしているのか
毎日すごい量の情報が流れてくるけど、ひとつ気になることがある。
情報は、それ単体でどこまで価値を持てるのか。
情報は生活に不可欠だが、ニュースや解説記事を読むたびに料金を払っているわけではない。多くの場合、無料前提で利用している。
なぜ必要不可欠なはずの情報にお金が払われにくいのか。そして、情報そのものに課金することが難しいのであれば、情報はどのようにして価値づけできるのか、できないのか。
今回は、そのあたりを考えてみたい。
なぜ人は情報に対してお金を払わないのか
朝から晩まで情報を使っている。
天気を調べ、ニュースを読み、仕事では業界動向を調べる。商品を買う前にはレビューを読み、旅行するときには店やホテルを検索する。
ところが、「その情報に直接お金を払うか」と聞かれると、多くの人は慎重になる。
オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所の『デジタル・ニュース・レポート2026』によれば、オンラインニュースへの課金が比較的定着している20か国でも、過去1年間にオンラインニュースへお金を払った人は17%にとどまっている。
2025年の18%からほぼ横ばいであり、読者から直接収益を得ることの難しさがうかがえる。
理由はいくつかありそうだ。
単純に、その情報そのものに価格ほどの価値を感じていないからだろう。知らなかったからといって大きく困るわけではないと思われているのだろう。
また、ほかの情報源で代替できることもある。ある記事が有料なら別の記事を探せばいい。専門家の解説が有料ならYouTubeを見る。AIに聞くこともできる。まったく同じ情報でなくても、「だいたいわかればいい」という用途なら代替手段は大量にある。
そして、その情報がもたらす価値に期待していないということもありそう。
さらに、買ってみるまで品質がわからない、発信者が信頼できるかわからない、読む時間がない、無料部分だけで十分だった、といった理由もありそう。
こう考えると、人間は情報にお金を払わないのではなく、
その情報源でなければならない理由が無いとか、その情報への期待(リターンへの期待感)が大きくないときに、お金を払わないと捉えたほうが良いのかもしれない。
かつてマスメディアがあった頃は、TVを見るほかに、お金を出して新聞や雑誌を買わないと情報に接触できない環境だった。
現代はAIエージェント、各種ポータルサイトやSNSによりお金を出さずとも情報にアクセスできる。情報の価値がなくなったわけじゃないけど、情報の希少性は下がった。
今も昔も、
情報メディアが「発信する情報の価値」
情報メディアが「価値を得る手段(マネタイズ手段)」
視聴者や閲覧者が「情報に対して感じる価値」
は一貫していないことがあり、それは今も昔も変わらない。
だから、発信される情報の価値だけ、を考えても冒頭の答えが出なそうだ。
私は最近、情報の価値を論じるよりも、ほかのいくつかの観点で考えたほうが良いのではないかと思っている。
今回は次の観点で考えたい。
メディアのマネタイズ方法
デジタル空間は、情報の価値を感じられる環境なのか
視聴者・閲覧者はメディアの何に魅力を感じてお金を払うか
①情報メディアは、そもそも何を売って稼いできたのか(マネタイズ)
情報メディアの収益モデルをものすごく単純化すると、大きく二つある。
ひとつは、情報を受け取る人から直接お金をもらう方法である。購読料だ。
もうひとつが、情報によって人を集め、その人々の視線を広告主に売る方法である。新聞や雑誌の広告、テレビCM、ウェブ広告、動画広告などがこれ。
後者のモデルでは、メディアで情報を受け取っている人と、メディアにお金を払っている人が別だ。
そうすると、メディアにとって「良い情報を提供すること」と「収益を増やすこと」が、必ずしも完全には一致しなくなることがある。
丁寧に読めば10分かかる重要な記事より、多くの人が思わずクリックしたくなる、1分で読めるゴシップ記事のほうが広告収益を生みやすいのは往々としてある。
広告モデルでは、情報そのものを売っているというより、情報によって生まれる人々の注意や関心を売っている。
とはいえ、かつて、広告と情報メディアは本来、相性のよい組み合わせでもあった。
大量生産・大量消費、マスマーケティングが中心だった時代には、広告そのものに「新しいものを知る」という情報価値があった。
情報コンテンツの横に置かれた邪魔者ではなく、広告そのものがひとつの情報だった。
デジタル広告が登場した当初にも、別の新しさがあった。
マスメディアのように全員へ同じ広告を見せるのではなく、自分が検索したものや興味を持ったものに近い広告が表示されるようになった。利用者から見ても、自分に関係のない広告より、関心のある商品の情報が出てきたほうが便利である。
ところが、問題はその先だった。
広告によって無料で情報を提供できるモデルがデジタル上で徹底されていくと、広告を表示する場所を増やし、人を長く滞在させ、できるだけ多く広告を見せること自体が合理的になっていった。
ここから、情報のマネタイズと情報体験の間に、少しずつねじれが生まれてくる。
②デジタル空間は、情報の価値を感じられる環境なのか
現在のウェブメディアを開いていると、情報へのアクセスはかつてないほど便利になった一方で、情報を受け取る体験そのものは悪くなったと思うことがある。
記事を開くと画面を覆う広告が現れ、本文を読み始めると画面下部には広告が常駐し、スクロールしてもついてくる。突然動画が再生されることもあれば、本文の途中に大量の広告が入り、どこまでが記事なのかわかりづらいこともある。
情報を読みに来たはずなのに、情報へ到達するために広告を避け続けなければならない。
スマホ広告を閉じるボタンを押すために、誤タップしたらサイトに飛ばされるので、小指の先っちょで閉じるボタンを何度押したことか。ただ、たいがいミスって変なLPに飛ばされるので、私の貴重なアクセスデータをとられてリタゲされて、さんざんである。
広告体験の改善を目的とするCoalition for Better Adsは、15万人以上を対象にした調査をもとに、消費者から特に受け入れられにくく、広告ブロッカーの導入につながりやすい広告形式を整理している。
そこには、ポップアップ広告、音声付きの自動再生動画、コンテンツを見る前に表示される広告、画面に残り続ける大型広告などが含まれていた。
つまり広告ブロッカーの普及は、単に消費者が「広告なんて見たくない」と思っただけではなく、悪化したデジタル体験に対する反応という側面もある。
ここには、かなり皮肉な循環がある。
情報を無料で提供するためには広告収入が必要になる。
広告収入を増やすためには、より多くの人を集め、より多くの広告を表示したくなる。
しかし広告が増えるほど情報体験は悪くなり、「広告がうっとうしい」という感情と「このメディアは読みづらい」という感情が結びついていく。
その結果、広告体験の悪さが、広告を掲載している情報メディアそのものの価値まで毀損してしまう可能性がある。
千葉雅也さんなどは時折そのようなことをXで仰っているし、それにたくさん共感めいた「いいね」がついている。
その状態になったあとで、「広告なしで読みたければ有料会員になってください」と言われても、なかなか難しい。
そのメディアはすでに利用者にとって「お金を払ってでも滞在したい場所」ではないからだ。もったいねぇ〜。
すっかり釣られる場となったデジタルメディア
よく、テレビは受動的なメディア、インターネットは能動的なメディアだと言われてきた。
初期のインターネットでは、自分で検索し、リンクをクリックし、自分から情報を取りに行っていた。
しかし現在は絶対に違う。
いち地方民として声を大きくしたい。
SNSを開けば、フォローしていない人の投稿まで推薦される。動画を一本見れば次の動画が提示され、スクロールすれば新しい情報が際限なく出てくる。
自分で指を動かしているので操作は能動的に見える。しかし、何を見るかという情報選択そのものは、かなりの部分をプラットフォームに委ねている。
だから現代のデジタルメディアについては、操作だけ能動的だが、情報との遭遇は受動的であると考えたほうが実態に近い。
しかも、その画面に存在しているものの多くが、こちらの注意や関心を取ろうとしている。
メディアは記事を読ませたい。動画制作者は最後まで見てほしい。広告主はクリックしてほしい。SNSを運営する企業は、できるだけ長くサービス内にいてほしい。
情報が足りないのではなく、情報のほうが次々とこちらへ押し寄せてくる。
ロイター・ジャーナリズム研究所の2026年調査では、ニュースを「時々または頻繁に避ける」と答えた人は42%に達している。
2017年の29%から大きく増えている。もちろん原因をすべて情報過多や広告に求めることはできないが、距離を置きたい人がかなり存在しているのである。
最近では、場合によってはテレビやラジオの広告のほうが上品に感じることすらある。
もちろん、だからテレビのほうが優れている、という話ではない。
気になるのは、デジタルによって情報へのアクセスは劇的によくなったのに、情報を受け取る体験まで同じようによくなったわけではないという点である。
アクセスが容易になればなるほど大量の情報が供給され、それらすべてが人間の限られた注意を奪い合う。その中で一つひとつの情報は軽く消費され、次の情報へ流れていく。
もしそうだとすると、「なぜ情報にお金を払ってもらえないのか」を考える以前に、そもそも情報にお金を払いたいと思えるほど、情報を大切に受け取れる環境を作れているのかという問題がある。
広告依存が問題なら、広告をやめて全部有料にすればいいのか。そういうわけでもない気がする。たぶんそんな事したら滅びる。
実際、情報課金を成立させているメディアもあれば、巨大なアクセスを集めながらビジネスとして苦境に陥ったメディアもある。
では、その違いはどこにあるのか。ここから考えたいのが、3つ目の観点である。
人は、情報メディアの何に魅力を感じたとき、お金を払うのか……。
③人は、メディアのどんな価値にお金を払っているのか(好事例紹介)
アメリカのテクノロジーメディア「The Information」の例
アメリカのテクノロジーメディア「The Information」。
https://www.theinformation.com/

The Informationは、テクノロジー、AI、金融などの専門情報を扱っており、高価格帯の年間購読サービスを成立させている。
一見すると、これは「情報そのものを売る」という昔ながらのモデルが成功しているように見える。
しかし、現在の有料サービスを見ると少し違う。
独自取材の記事だけでなく、独自データベース、企業の組織図、調査データ、購読者限定イベント、コミュニティ機能などが含まれている。最上位の「The Information Pro」は現在年間749ドルで、独自データベースや企業組織図、イベントなどを提供している。
つまり、単なる「記事を読む権利」だけを売っているわけではない。メディアの中の人がちゃんと、「この業界について理解し、判断するために必要なものがここにある」環境を作っているのである。
もちろん、その根本にある情報にも特徴がある。ネット上の情報をまとめるのではなく、自分たちで取材し、ほかでは得にくい情報を作る。
情報は売れないのではない。代替できる情報が売れにくいのである。
「ここにしかない」「この人たちにしか取れない」「自分で調べようとすると非常に大変だ」という情報には、依然として値段がつく。
ニューヨーク・タイムズの例
ニューヨーク・タイムズもデジタル購読で成長を続けているが、現在の戦略は単純な「ニュースを有料で読む」だけではない。

ニュースに加えて、ゲーム、料理、スポーツ、商品レビューなどを組み合わせ、複数のサービスをもって、ワンストップで日常的に使える環境になっている。
私はこの記事のこの部分が好きだ(笑)
政治は入口にすぎない。本当の価値はファネルの下、ニンニクとレモンとコチュジャンの効いた麺のレシピや、毎日1問配信されるパズルゲームの『Wordle』、洒落た通勤バッグのおすすめにある。
(Business Insider)
2025年第3四半期にはデジタルのみの購読者が1,230万人を超え、新規デジタル購読者の半数以上が複数サービスをまとめたプラン、または複数商品を利用していたという。
そう言えば昔、とある大きめのプロジェクトで、New York Timesみたいなメディアを作りたい、と言われたことがあり、そのためにロゴをオシャレにしたい、と言われたが、ロゴは世界観のごく一部に過ぎない。ガワだけいじってなんとかするのではなく、エンドユーザーに対する情報体験設計をしっかり見直すべきである。
日経電子版の例―「読む」から「仕事で使う」へ
2026年1月時点の有料会員は106万人。2024年12月には国内の有料デジタルニュース媒体として初めて100万人を突破している。
興味深いのは、日本経済新聞社自身が100万人突破時に掲げた方向性である。
「読む」から「読んで、使える」メディアサービスへ進化する
としている。企業での人材育成や情報収集、教育機関での教材利用など、個人がニュースを読むだけではない使われ方が増えている。
これは今回考えていることにかなり近い。
ニュースの本数を増やすだけではなく、仕事や意思決定の中でどう使われるかへ価値を伸ばしているのである。仕事ができる環境を提供している。

文藝春秋PLUS
「文藝春秋PLUS」は月刊誌の記事だけではなく、過去記事、電子版オリジナル記事、動画・音声、朗読などを有料会員向けに提供している。週刊文春電子版も、先行配信だけでなく記者解説動画、証拠動画、ニュースレターなどを組み込んでいる。
しかも、この導入的役割の動画が、どれも結構面白いんだよな。
紙の記事をそのままウェブに移して課金しているだけではない。これは、「その媒体ブランドに継続的に接する入口」を増やして間接的に利益貢献していると思われる。これもひとつの方向だと思う。

ここからは、メディア単体というより、事業を行いながら情報によって事業の価値を底上げているケースだ。
事業+メディア:北欧、暮らしの雑貨店

北欧、暮らしの道具店は、オウンドメディアというより、メディアとECを一体化させた事業。
運営するクラシコムは、商品を並べて広告で集客するだけではなく、読み物、動画、音声、ドラマなどを通して「こんな暮らしがしたい」という世界観そのものを作ってきた。以前から自らを「カートボタンが付いた雑誌」のような存在として位置づけている。
情報 → 世界観への共感 → 継続接触 → 欲しくなる → 購入 → 実生活で使う
という流れができている。
だから「記事を読んでもらって広告収入を得る」という発想ではない。情報によって商品の価値まで高めている。
事業+メディア:サイボウズ式

グループウェアの機能紹介ばかりを書いているわけではないことだ。「働き方」「チーム」「組織」といった、サイボウズという企業が考えていること自体をコンテンツにしている。
つまり、記事 → 考え方への共感 → サイボウズという会社への理解・信頼 → 採用や商品・企業ブランドへというルートである。
むしろ、情報そのものを無料で提供し、その情報によって会社のブランド資産を作っている。
情報は必ずしも、その場で換金する必要すらない。サイボウズ式のように、情報を企業の「人格」を伝える装置として使う方法もある。記事そのものから料金を取らなくても、「この会社はこういうことを考えている会社なのだ」という理解が蓄積すれば、採用や商品選択の場面で価値を持つ。
ここまではWebサイトを挙げたが、別の方向もある。
音声番組であれば、限定エピソードや先行配信、過去回へのアクセス、有料購読などがある。ここで売られているのは情報だけではなく、「この人の話を継続的に聞きたい」という関係性でもある。
最近音声系は、各ジャンルの有識者さんたちが活用しているケースが多いように見える。
つまり、情報単体ではなく、閲覧者・視聴者の動き(体験)を設計して売っているのである。その情報によって、自分に何が起きるのか。できるのか。閲覧者・視聴者はそこにお金を払っていると思われる。
逆事例:BuzzFeed
大量のアクセスを集めること自体を競争力にしてきたメディアが苦戦する例もある。BuzzFeedは象徴的である。あんなに人気だったのに。
一時期は巨大なアクセスを持ち、SNS時代のデジタルメディアを象徴する存在だった。しかし2026年3月には、会社を継続できるかについて重大な疑義があることを開示した。ロイター通信はその背景として、TikTokやInstagramなどに広告主が流れる中で、デジタル広告収入に苦戦していることを報じている。

これは「BuzzFeedの情報が悪かった」という単純な話ではない。
大量の人々の注意を集めることと、持続可能な価値を作ることは同じではないと思える。広告依存のマネタイズは競争があまりに激しすぎて、すぐに天井が来るんだろうと。
ちなみに過去、『自社でメディアを立ち上げて広告モデルでマネタイズしたい』とある大きな金融機関から相談を受けたことがあるが、会議室で失神しそうになった。だいたいそのような要件の場合は、瞬間的なアクセス増加を求められる。ここまで書いたよろしくない事態を、すべて起こさないと目標を達成できない(笑)
関係のある人を集めるメディアは強い
ここで最初の問いに戻る。
情報ができることは、どこまでなのか。
情報単体だけではそもそも価値を感じられない時代になった、と謙虚に考えることも必要だ。
『過疎ビジネス』の著者の横山勲さんも、わりと同じようなことを言ってた。
ただ、やはり情報は知らなかったことを知るきっかけになる。興味がなかったものに興味を持たせ、知らない場所へ行きたくさせることもある。誰かを信用する理由になり、何かを買ったり、実際に行動したりするきっかけにもなる。
情報接触
→ 理解
→ 信頼形成
→ 次に取れる行動を知る
→ 良い体験への期待が生まれる
→ 行動・課金
という流れになる。情報は、この一番最初にある。
しかし、情報から生まれる信頼、関係性、行動、体験、成果まで含めれば、情報が生み出せる価値の範囲は広いのである。
「この情報をいくらで売れるだろう」ではなく、「この情報を受け取った人に、その次に何を起こそう」と考えて情報提供すれば、マネタイズのチャンスは増える。
個人でも企業でも、メディアを始めると、つい数字を大きくしたくなるだろう。もちろんリーチは重要である。しかし広告を主な収益源にしないのであれば、その数字を際限なく肥大化させる必要が本当にあるのかは考えたほうがいい。
むしろ重要なのは、自分たちが提供できる価値に本当に関係のある人を、どれだけ集められるかではないだろうか。
広告やアルゴリズムだけに依存しない「直接の関係」を作ろうとする動きは重要だと思う。
「コンテンツを大量に作って広告だけで回収する」以外の収益構造は増えるだろう。
メディアを大きくすること自体を目的にするのではなく、そのメディアを入口として、誰と関係を作り、その人に次にどんな価値を提供するのかまで考える、ということである。
料理について発信するのであれば、料理教室かもしれない。歴史なら史跡ツアーかもしれない。ビジネスなら勉強会や相談サービスかもしれない。地域メディアなら、その地域で実際に何かを体験するイベントかもしれない。
その人が「もっと知りたい」「やってみたい」「行ってみたい」と思った瞬間に、その次の選択肢が用意されている。
情報+体験である。
10万人を一度集めることより、自分のテーマに本当に関係のある1万人と継続的につながるほうが、事業によっては強いと思う。
メディアそのものを事業の完成形にするのではなく、価値ある関係を作る入口として考える。
この考え方のほうが現在の情報環境には合っている気がするんだけどな。
「情報+体験」が怪しい商売になったら本末転倒
ただ、これの危ないところは、急に怪しい情報商材ビジネスの匂いがしてくるところだ。
実際、この構造は悪用できる!!
無料コンテンツで不安を煽り、「このままでは危険だ」と思わせ、高額なコミュニティや講座へ誘導する。成功者だけを見せる。広告なのに個人的なおすすめであるかのように見せる。
「あたかもすぐ稼げる、誰でも稼げる」みたいなことを言ったり……。
以下のことに注意したほうがよい。
なぜその人が、この商品や体験を提供するのかがわかる
何が無料で、何が有料なのかが明確
広告や企業との利害関係があるなら、それを隠さない
「今買わないと人生が終わる」のように、不安を過剰に煽らない
「誰でも/すぐに/1日で」みたいなのは怪しい
明快な答えを先延ばしする(なかなか卒業できずずっと課金することになる)
近年の情報商材は、本当に巧妙だと思う。
情報と体験
結局、おそらく重要なのは情報量ではない。
その情報源でなければ得られない味があること。
アクセスしたときに、きちんと情報を受け取れること。
その先に良い体験があると期待できること。
最初に考えた「なぜ人は情報にお金を払わないのか」を逆にすると、課金される条件も少し見えてくる。
代替できない。
信頼できる。
情報を受け取る体験に期待できる・良い・快適。
そして、その情報の先に自分にとって意味のある行動や体験、成果が期待できる。生成AIによって情報を作るコストがさらに下がっていくなら、この傾向はもっと強くなると思う。
だから個人であれ企業であれ、これからメディアを作るのであれば、私は月間閲覧数をどこまで大きくするかだけを最初に考えないほうがいいと思っている。
誰に届けたいのか。
その人はなぜ自分たちの情報を見続けるのか。
その人とどんな関係を作りたいのか。
そして、情報に触れたあと、その人にどんな良い体験が待っているのか。そこまで含めてメディアを設計する。
「何人に見られたか」よりも、「見た人に、そのあと何が起きたか」を見る。
情報が無限に増える時代におけるメディアの世界においては、果てしない成長よりも、有限性を設定することが、相対的に価値を高めると考えられる。
