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ヤニス・クセナキスとわたし 後編 ー 彼の音楽に触れて

クセナキスとの出会い


私がクセナキスの作品と出会ったのは大学時代のこと。
当時の私にはあまりに難解で、ただただ圧倒されるばかりでした。
音の塊がこちらを拒んでいるようで、どう向き合えばいいのかも分からず…
手は動いていても、それは「演奏した」と言えるようなものではなく、ただ表面をなぞっただけ。音の奥にあるものにはまったく届かない、そんなもどかしさだけが残っていました。
技術云々ではなく、その本質を自分の中でつかみ取れなかったことがただ悔しくて仕方なかったのを覚えています。

ドイツに留学してから少しして再びクセナキスと向き合う機会が訪れました。ちょっと怖がりながらも、少しずつ彼の音楽に足を踏み入れてみると、複雑なリズム構造、圧倒的な音響、そして身体の奥深くに突き刺さるようなエネルギー。それは理性と野生のはざまで揺れ動くような感覚で、気がつけば私は彼の音楽に心を奪われていました。

クセナキスの作品には、時折「どう頑張っても演奏不可能だ〜!」と頭を抱えてしまうようなような箇所があります。
それでも、そこに音楽としての成立を委ねてくれている。無機質で数学的に見える彼のスコアの中に、演奏者の創意を受け入れる余地が確かにあるようにわたしは感じます。それは、彼の音楽が単なる理論の産物ではなく、鋭い感覚と人間らしさをもって書かれているからこそではないかと。"生きた音楽"を感じられる、そんなところに私は強く惹かれています。

いま、わたしが奏でる《ルボン》

ルボンb 演奏の様子

今回、9月のリサイタルで取り上げる彼の打楽器ソロ作品《ルボン(Rebonds)》は、1987年から89年にかけて作曲され、打楽器のレパートリーの中でも名曲として広く知られている作品です。

タイトルにもなっている「rebonds(=跳ね返り)」、つまりマレットが打面に当たり、跳ね返るという、ごくシンプルで基本的な動きに焦点が当てられています。
彼はこの作品以前にも、打楽器のみを用いた多くの作品を手がけており、たとえば打楽器六重奏の《Persephassa(1969)》や《Pléïades(1978)》。そして打楽器ソロの代表作として知られる《Psappha(1975)》もその一つです。
そうした非常に複雑で構造的な作品を経たうえで、ここであえて「跳ね返り」というシンプルな運動に焦点を絞っているところに、彼の探究心と視点の鋭さを感じます。
打楽器という楽器群を深く知り尽くした彼は、その音の多様性だけでなく、もっと単純に演奏という行為そのものに内在する身体的・物理的なエネルギーに強く関心を持ったのではないかなと私は考えています。

《ルボン》では、派手な変化や複雑な構成に頼らず、「跳ね返り」というごくシンプルな動きが音楽の核となっています。しかし、その構造の中には、計算だけでは語れない人間らしさが内在しています。
マレットが打面に当たり、跳ね返る。たったそれだけの動作が、繰り返され、積み重ねられることで、少しずつ音楽が熱を帯びていきます。そこに演奏者の集中力とエネルギーが加わることで、音楽は単なる音の集まりを超え、「生きた音楽」としての躍動感と深みを持ち始めます。
単純な運動の中に内包されたエネルギーが、一点に集中し、爆発するような瞬間がある。そこがこの作品の面白さであり、私はそれに彼の建築作品に触れたときと同じような感覚を覚えます。

パリ留学時代、図書館で借りた自筆譜の表紙

かつて私を突き放すように感じられたクセナキスの音楽は、今では静かに私の中に根を張り、大切な存在となっています。
これからも大切に彼の音楽を深めていきたいですが、今のわたしが思うクセナキスの音楽を9月のリサイタルでぜひ楽しんでいただけたら幸いです。

【多胡宏音 パーカッション・リサイタル】

◎東京公演
・日時:2025年9月11日(木)19時開演
・会場:東京文化会館小ホール

◎京都公演
・日時:2025年9月15日(月祝)15時開演
・会場:青山音楽記念館バロックザール

・出演:多胡宏音(打楽器・マリンバ)
    彌永和沙(打楽器)
    永井晴二郎(打楽器)

〜プログラム〜
ヨンヒ・パグパーン:ターリョンIV
フィリップ・ユレル:ループス II
ヤコブ=テル・フェルドハウス:グラブ・イット!*
三善晃:協奏的練習曲 1979年改訂版**
福士則夫:グラウンド
ヤニス・クセナキス:ルボン
ジョルジュ・アペルギス:決闘
田中弘基:委嘱新作
* 東京公演のみ ** 京都公演のみ

〜料金〜
全席自由
一般 ¥4,000 U29 ¥2,000



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