【短編小説】レッド・リップ―10万分の1の私と、たった一夜の開花―【ヒューマンドラマ小説】 #3つのお題に空想のひらめきを
【不公平な庭師】
「神様っていうのは、きっとひどい凝り性か、あるいはとんでもなく性格の悪い庭師なんだよ」
20歳の誕生日の3日前。
私は誰もいない公園のベンチで、コンビニの100円の肉まんを頬張りながら、目の前を通り過ぎる「幸せそうな庭師の作品たち」を眺めていた。
この世界では、人はみんな顔のどこかに花を咲かせて生きている。
右の頬に可愛らしいピンクのチューリップを揺らす女子高生。額に堂々としたヒマワリを冠した、いかにも仕事ができそうなサラリーマン。
血がつながっていれば、同じ系統の花が咲くのが一般的だ。
私の名前は、朱祢(あかね)。
「茜色の空のように、美しく咲いてほしい」
両親がそんな願いを込めてつけてくれた名前だ。
けれど、現実は名前に追いついていなかった。
「で、朱祢ちゃん。君のその『頑固なシェルター』は、いつになったら開城する予定なんだい?」
隣に座ってきたのは、自称・哲学者の、佐藤さんだった。もちろん本名ではないだろう。彼の左耳の後ろには、ひょろひょろとした「ドクダミ」の花が咲いている。
「さあね。10万分の1の確率を引き当てたラッキーガールだって、お医者さんは言ってたよ。宝くじなら億万長者なのに、花だとただの『未完成品』。笑っちゃうよね」
私は自分の左頬に手を当てた。そこには、赤ん坊の頃からずっと、硬く閉ざされたままの「緑色のつぼみ」が居座っている。
私は20歳になる今日まで、このつぼみのせいで、ありとあらゆるものを諦めてきた。
中学では「枯れ木」と呼ばれてからかわれ、高校では「近づくと花が枯れる」という根も葉もない噂を立てられた。
就職活動の面接官は、私の目を見る前に、私の頬にある「咲かないつぼみ」を見て、申し訳なさそうにペンを置く。
「うちは接客業だからね。お客様に『未熟な印象』を与えるわけにはいかないんだ」
世の中は多様性を叫ぶけれど、それは「綺麗に咲いた花の種類」が豊富なことを言っているだけで、私のように「そもそも咲かないもの」の居場所なんて、どこにも用意されていなかった。
【真夜中のカウントダウン】
都会過ぎず、かといって田舎でもない、適度にビルが立ち並ぶこの町。
夜になると、ビルの窓から漏れる明かりが、まるで誰かがバラ撒いた金平糖みたいに見える。 私は、その金平糖のひとつにもなれない。
2026年4月22日、23時50分。
私は実家の洗面所にいた。あと10分で、私は20歳になる。
「朱祢、20歳になれば、きっと神様も魔法を解いてくれるわよ」
そう言って笑っていた母は、私が15歳の時に、その頬のコスモスを散らせて逝ってしまった。
鏡の中の私は、ひどく冷めた顔をしていた。
20年間、期待しては裏切られ、裏切られては少しだけ期待する、という無意味なルーティンを繰り返してきた。
「明日になれば」
「来月になれば」
「二十歳になれば」
その言葉を信じて、私は外出を避け、ひっそりと息を殺して生きてきた。
もし、20歳になっても咲かなかったら?
その時は、もうこの物語のページを破いてしまおう。そう決めていた。
23時58分。
心臓がうるさい。ドラムセットを丸呑みしたみたいに、ドコドコと胸の奥で暴れている。
23時59分。
私は目を閉じた。どうか、神様。もしあなたが本当にいるなら、一度くらいは予定通りに仕事をしてください。
5、4、3、2、1……0。
目を開ける。
鏡。
そこに映っていたのは。
「……やっぱりね」
相変わらず、私の左頬には、無骨で頑固な緑色のつぼみが、眠ったふりをして居座っていた。
「あはは……」
乾いた笑いが出た。20年間の淡い希望が、パチンと音を立てて弾けた。 それは、高級なクリスタルが割れるような音じゃなくて、使い捨てのプラスチックコップが踏み潰されるような、ひどく安っぽい音だった。
その時、洗面台の棚の隅に、母が遺した古い口紅が置かれているのが見えた。
「真っ赤な口紅」
私は震える手でそれを手に取った。 私は、衝動のままに、その紅を自分の頬――あの忌々しいつぼみの上に塗りたくった。
「咲かないなら、自分で咲かせてやるわよ」
グチャグチャになっても構わない。私は自分の絶望を、強引に赤く染め上げた。 鏡の中の私は、まるで頬に鮮血を浴びた戦士のようだった。あるいは、出来損ないのピエロ。
私は家を飛び出した。
【屋上の風と、自由への跳躍】
夜の町を走る。 私の髪が後ろになびいて、涙が耳の裏まで流れていく。 目指すのは、町で一番高い、あのアパートの近くにある古いビルだ。
エレベーターを待つ時間さえ惜しかった。非常階段を一気に駆け上がる。
「人と違う」ことに怯え続けた20年。 「普通」のフリをするために、必死に自分を押し殺してきた20年。 でも、もういい。私は私を、真っ赤に塗ったんだ。
屋上のフェンスを飛び越える。 風が強い。
「おーい、神様! 私はここにいるぞ!」
私は夜空に向かって叫んだ。
「花は咲かなかった! でも、私は20歳になった! 文句あるか!」
その時、背後で「おっと、危ない」と声がした。 振り返ると、そこにはあのドクダミの佐藤さんがいた。なぜか彼は、立派な天体望遠鏡を覗いている。
「佐藤さん? なんでこんなところに」
「言っただろ、僕は哲学者なんだ。今日は『100年に一度のレアな開花』を観測しに来たのさ。君こそ、その頬はどうしたんだい? まるで真っ赤な情熱をぶちまけたみたいじゃないか」
「これ? 母さんの形見の口紅。咲かないから、自分で塗ったの。偽物だよ」
私は自嘲気味に笑った。
「でも、これでいいの。私はもう、期待するのをやめて自由になるんだ」
私は、ビルの縁に立ち、夜の闇へと意識を向けた。 死にたいわけじゃない。ただ、この窮屈な重力から解き放たれたかった。
そして、私は躊躇なく、自由へと飛び込んだ。 重力から解放される瞬間、一瞬だけ世界が静まり返った。
【一秒間の】
落ちていく。
景色が高速で流れていく。
その時だった。 ビルの窓ガラスに映る自分と、目が合った。
「あれ……」
頬が熱い。
塗りたくった口紅の「赤」が、まるで意思を持ったかのように脈打ち、そこから見たこともないほど鮮烈な、そして巨大な「本物の花」が溢れ出していた。
バラよりも深く、夕焼けよりも切ない、究極の赤。
それは、「20歳になったその瞬間」にしか咲かない、一夜限りの絶滅危惧種。
「咲いてる……」
窓ガラスの中の私は、世界中の誰よりも美しく、完璧に「大人」になっていた。 ようやく、神様が約束を果たしてくれたのだ。
「嬉しいな」と私は思った。
あと1秒、早ければ。
あと1秒、長く待っていれば。
――ぐしゃっ。
暗い地面に、鮮やかな赤が広がった。
それが口紅の色なのか、花の色なのか、それとも私自身の血の色なのか、もはや誰にも判別はできなかった。
【哲学者の独り言】
ビルの屋上。
そこには、ドクダミの花を揺らした佐藤が立っていた。 彼は手元の懐中時計をパチンと閉じると、地面を見下ろして、やれやれと首を振った。
「きっかり0時。もったいないな」
彼は、誰もいなくなった闇に向かって、独り言のように続けた。
「……君の家の時計は、ちょっとだけせっかちだったみたいだね、朱祢ちゃん」
町のどこかで、午前0時を告げる鐘の音が、ゆっくりと、しかし容赦なく響き渡っていた。
20歳。
彼女の本当の人生が始まるはずだった時間は、今、終わった。
片桐みかんさんの企画に参加させていただきました。
「一夜だけ咲いた花」をテーマにした作品になっております。
素敵な企画をありがとうございました。
【あとがき】
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
今回の物語、いかがでしたでしょうか。
この小説は、企画に参加させていただいて書いたものになります。
たくさんのお題がある中で、私が目を止めたのは「一夜だけ咲いた花」という言葉でした。
その文字を見た時に、私の心に浮かんだのは「終わり」でした。
人によっては、「希望」を連想させる言葉でもありながら、私は、残酷なまでに美しい一瞬を書き記しました。
主人公の朱祢は、20年間ずっと「普通」という魔法を待ち続けていました。
けれど、運命の歯車はほんの少しだけ、残酷なイタズラを仕掛けたようです。 あと1秒あれば、1分あれば……。
そんな「もしも」を考える時、胸の奥がチリッと痛むかもしれません。
でも、私はこうも思うのです。 ビルに映った自分と目が合ったあの瞬間、彼女は確かに自分自身の「最高の輝き」を自らの目で見届けた。誰のためでもない、自分のためだけに咲いた赤を、彼女は抱きしめて逝ったのだと。
私たちはみんな、何かしらの「つぼみ」を抱えて生きています。
なかなか咲かないことに焦ったり、自分だけ枯れているんじゃないかと不安になったり。 でも、あなたの時計と、誰かの時計は、同じ速さで刻まれているとは限りません。
カワウソのようにのんびりと、ゆらゆら生きていたい私ですが、たまにこんな風に、ヒリヒリするような物語を綴りたくなります。
この物語が、あなたの孤独に少しだけ、真っ赤な口紅のような彩りを与えられますように。

そっと寄り添えるようなものになりますように。
いいなと思ったら応援しよう!
私の言葉があなたの心に寄り添えたなら、これほど嬉しいことはないよ。いただいた応援は、より良い記事づくりや活動の力にさせてもらうね。無理のない範囲で、あなたの優しさを届けてくれたらとても励みになります。