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【短編小説】ストローを噛む男―シャトーブリアンの向こう側―【日常小説】 #せりふ三題噺

【ぺちゃんこの絶望】

「ねえ、匠。それ、もう何回目?」

彼女、美咲の声は、アイスコーヒーに入っている氷が溶ける音よりも冷ややかだった。正確に言うなら、冷凍庫の奥で忘れ去られた古い保冷剤のような、芯から凍てつく響きがあった。


俺、匠(たくみ)は、無意識のうちに右奥歯でプラスチック製の黒いストローをプレスしていた。

グニュッ、という感触が歯茎を通じて脳に伝わる。その瞬間は、不思議な全能感がある。自分の力が、無機質なプラスチックの形状を決定的に変えているという、ちっぽけで歪んだ支配欲。

けれど、口から離されたそれは、もはや液体を吸い上げるという高潔な使命を失い、ただの「噛み跡だらけの無残なゴミ」に成り果てていた。

「えっ、何が?」

俺は、空中で静止した指先を見つめながら、とぼけた。人間、本当に図星を突かれると、まず脊髄反射で嘘をつくようにできているらしい。

「とぼけないで。そのストロー。私、何度も言ったよね。それを見ると、なんだか自分の心まで噛みつぶされているみたいで、すごく嫌だって」

美咲の視線は、俺の顔ではなく、俺の指の間にある「元・ストロー」に固定されていた。俺は慌ててそれをグラスに戻そうとしたけれど、ぺちゃんこになったストローはグラスの縁に引っかかり、滑稽な角度でこちらをあざ笑った。


「匠、あなたは優しいよ。でもね」

美咲は椅子を引いて立ち上がった。
その動作には、一点の迷いもなかった。

「ごめん、別れよ。あなたといると、いつか私の人生もそんなふうにグチャグチャにされそうで怖いんだ。私は、ストローじゃないから」

「えっ……」

それだけ言い残して、彼女はカフェを出て行った。ドアが閉まる音が、俺の心臓の鼓動を遮断した。

テーブルに残されたのは、一口も飲まれていない彼女のキャラメルラテと、俺が噛み潰した、情けない姿のストローだけ。



これで、3回目だ。
ストローを噛む癖が原因で、恋が終わるのは。



1人目の彼女は「生理的に無理、不潔」と言い切った。まあ、それはわかる。唾液で濡れたプラスチックの塊は、客観的に見ればゴミ以外の何物でもない。

2人目の彼女は「見てるだけでイライラする」と憤った。リズムを刻むように噛む音が、彼女の神経を逆撫でしたらしい。


そして3人目の美咲は「人生が壊れそう」と怯えた。

ストロー1本で、他人の人生が壊れる?もしそれが本当なら、この世のプラスチック工場はすべて核兵器工場と同じ扱いを受けるべきだ。国際連合が立ち上がり、「ストロー不拡散条約」でも結べばいい。


冷めきったコーヒーの苦味だけが、喉の奥にこびりついていた。




【部屋と、桜と、LINKの通知】

自分の部屋に戻り、俺は泥のようにベッドに倒れ込んだ。

部屋は、俺の精神状態を鏡のように映し出している。少し散らかっているなんて生温い。脱ぎ捨てられた靴下がペアを失って途方に暮れ、読みかけの小説が背表紙を上にして床で絶命している。

本棚からはみ出した知識の断片たちが、換気のために少しだけ開けた窓から入る風に揺れていた。



昨日までの俺は、美咲と「今年の夏は、少し足を伸ばして、海に行こう」と計画を立てていた。新しい水着をネットで眺め、日焼け止めの匂いを想像し、青い空の下で笑う自分たちを確信していた。

それなのに、今の俺にあるのは、一人分の寝床と、少し埃っぽい空気だけ。

じわっと目の奥が熱くなる。

「海……行くはずだったのになあ。水着、まだカートに入ったままだよ……」

思考が「後悔」という名の底なし沼に引きずり込まれ、呼吸が浅くなる。

考えるのを強制的に止めようと、俺が昼寝の姿勢に入ったその時。

机の上で、スマホが「ポーン」と乾いた、それでいてどこか人を食ったような音を立てた。

LINKの通知だ。



相手は、大学時代からの腐れ縁の友人。名前を呼ぶのも、スマホの画面にその字を表示させるのも億劫なほど、長い付き合いの男だ。

『フラれたな』

俺はスプリングを鳴らして飛び起きた。誰にも言っていない。親にも、共通の知人にも。美咲がカフェを飛び出してから、まだ2時間弱だ。

『なんで知ってるんだよ。お前、超能力者か?それとも俺に盗聴器でも仕掛けてるのか?』

『そんなもん仕掛けるかよ。美咲ちゃんがニンスタのストーリーに「新しい一歩!断捨離成功!」って上げてたぞ。ハッシュタグは「#解放」と「#もう噛まれない」だ』

断捨離。俺は「まだ使えるけれど、場所を取るから捨てられた古い椅子」ですらなかった。俺は、ただの「使い古されたゴミ」として処理されたわけだ。


あいつから、立て続けに追いLINKが来る。通知のたびに、スマホが震える。その振動さえ、今の俺には攻撃的に感じられた。


『どうせまたストロー噛んでフラれたんだろ。お前の癖は、もはや伝統芸能だな。重要無形文化財に登録申請でもしてみろよ。「噛み細工・匠」ってな』

『うるせえ。こっちは真剣に落ち込んでるんだ』

『焼肉行こうぜ。元気づけてやる』

『……お前のおごりなら行く』

『割り勘に決まってるだろ。むしろ、フラれ記念日にシャトーブリアン食べねえ?ニンスタに載せたら、きっと大ウケだぞ。「別れた後の食事は、牛のヒレ肉の最高級部位に限る」ってキャプション添えてさ』

シャトーブリアン。

牛のヒレ肉の中でも、中央部分の最も柔らかく、最も希少な部位。それは、今の俺のような「ぺちゃんこの存在」とは真逆の、気高く、厚みのある存在だ。


『無理。あれ1枚で1万とかするだろ。見栄で頼めるもんじゃないって。俺の貯金残高を知ってて言ってるのか?』

すると、あいつは返信の代わりに、お気に入りの「体を張る芸人」のボイス付き動くスタンプを送ってきた。熱湯風呂の縁で、今にも熱湯に落とされそうになっている芸人が、必死の形相でこちらを見ている。

「やるなら今だよ!やるなら今だよ!」

静かな部屋に、芸人の野太い声が響き渡った。

それは、俺のウジウジした思考を無理やり熱湯に叩き込むような、乱暴で、けれどあたたかい叫びだった。


「……うるせー」

俺は、スマホを握ったまま、いつの間にか少しだけ笑っていた。


俺は、震える指先で画面を叩いた。

『わかったよ!やってやるよ!今日の夜、待ってろよ!』

送信ボタンを押す。

既読は一瞬でついた。

俺はベッドから這い出し、顔を洗うために洗面所へ向かった。鏡の中の情けない男に、せめて一度だけ、ストローを噛まない「いい顔」をさせてやるために。


窓の外では、葉桜の緑が力強く、夕暮れ前の光を反射していた。





はらとけいさんの企画に参加させていただきました。


■セリフ
「やるなら今だよ」
■三題
・アイスコーヒー
・葉桜
・昼寝

こちらを取り入れた作品になっております。

素敵な企画をありがとうございました。




【あとがき】

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

今回の物語、いかがでしたでしょうか。



誰にでも癖ってありますよね。

どうしてもやめられないから「癖」であって、すぐになおせるなら、それはきっと癖とは呼ばないのでしょう。



主人公の匠は、ストローを噛んでしまうという癖がありました。

実は私も、たまに家でストロー付きのカフェオレなどを飲んでいるとき、YouTubeを観ながら「ながら飲み」をしていると、気づけばガジガジと噛んでいたりします。

ふと我に返って、ぺちゃんこになったストローを見て「ああ……」と苦笑いすることもしばしば……きっと、誰かに見られたら怒られちゃうでしょうね。


「ちょっと困った癖」も含めて、今の自分なんだと認めてあげられたら、少しだけ心が軽くなる気がします。



今回の物語は、企画に参加させていただき、「アイスコーヒー」「葉桜」「昼寝」など、いくつかの指定されたワードを取り入れながら作りました。

そのなかに「やるなら今だよ」というワードがありました。

これを聞いたとき、ふと「2回繰り返したら、なんだか芸人さんのネタっぽくなるな」と思ったんです(笑)

そこから一気に想像が膨らんで、友人が送ってくる「体を張る芸人さんのスタンプ」というアイデアに繋がり、物語が広がっていきました。

くすっとしていただけたら、とても嬉しいです。

この物語が、あなたの心の奥にある静かな場所に、
そっと寄り添えるようなものになりますように。




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