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【短編小説】地下500メートルのピクニック―真っ白なパラソルと、真っ黒な炭鉱の底―【日常小説】 #風まかせ文芸部

【天使はエレベーターに乗ってやってくる】

「ねえ、フジノリ。ここは地獄の入り口かしら?それとも、すごく凝ったアトラクション?」

目の前に立つ女性は、どう見ても「炭鉱」という場所にそぐわなかった。例えるなら、激辛麻婆豆腐の中に、ポツンと一個だけ高級なマカロンが浮いているような、そんな違和感だ。

俺の名前は藤範(ふじのり)。37歳。この道15年の炭鉱夫だ。

顔はすすで汚れ、作業着は真っ黒。毎日、地面を掘って、掘って、掘りまくるのが仕事だ。

対する彼女は、どうだ。透き通るような真っ白な肌。汚れひとつない真っ白なワンピース。そして、右手で持った真っ白なパラソル。


「お嬢様、ここはアトラクションじゃありません。本物の炭鉱の底、地下500メートルの現場です」

俺はつるはしを置いて、大きくため息をついた。

「500メートル!まあ、ずいぶんと深く潜ったものね。広い、すごく広いわ。私の家の地下室なんて、ワインが3,000本入る程度でしかないのに」

彼女は楽しそうに笑いながら、パラソルをくるくると回した。この暗闇の中で、彼女だけが発光しているみたいだった。



「で、ソフィア様。この炭鉱のオーナーの愛娘が、どうしてこんな真っ暗な場所に?ピクニックの場所を間違えたにしても、エレベーターの操作をミスりすぎでしょう」

「家出よ」
ソフィアは胸を張って言った。

「家出?」

「ええ、家出。お父様がね、私の結婚相手を勝手に決めようとするの。成金の、ひげがチクチクしそうな男よ。嫌気がさして、一番遠いところに行こうと思って。それで、一番下に来てみたの」


家出。
普通、家出というのは、着替えを詰め込んだリュックを背負って、夜行バスに飛び乗るものだと思っていた。

だが、彼女の「家出のいでたち」は、真っ白なパラソルだ。


「ソフィア様、家出にパラソルはいりません。ここは太陽も出ませんし、雨も降りませんから」

「いいえ、フジノリ。どこにいたって、自分のスタイルを崩さないのが、私流の反抗なんだから」

俺は、頭が痛くなってきた。今日のノルマである「石炭3トン」の採掘は、どうやら大幅に遅れそうだ。




【世間知らずのプリンセス】

「お腹が空いたわ。フジノリ、何か食べるものはない?」

ソフィアは、その辺の岩を椅子代わりにしようとして、ワンピースが汚れそうになると「あら」と短く声を上げた。俺は慌てて、自分の比較的きれいなタオルを岩に敷いた。

「これしかありませんよ。母さんが握ってくれた、塩むすびです」

「シオムスビ?宝石の名前かしら」

「ただの米です」

ソフィアは、おそるおそる握り飯を口に運んだ。

「……おいしい。何これ、すごくしょっぱい。でも、なんだか力が湧いてくるわ。まるで、土のエネルギーを食べているみたい」

「それはただの食塩です」

俺は、彼女の隣に座った。



ソフィアはこの炭鉱を管理している財閥の一人娘で、ハーフだ。その美しさは有名だったが、まさかこんなに「話が通じない」タイプだとは思わなかった。

「フジノリは、どうしてこんなところで働いているの?暗くて、狭くて、鼻の穴まで黒くなりそうなのに」

「仕事だからですよ。俺には、これしかないんです。中卒で、力仕事しか能がない。でも、ここで掘り出した石炭が、誰かの家の明かりになったり、電車を動かしたりする。そう思うと、まあ、悪くないかなって」

「素敵ね」

ソフィアは、パラソルを閉じて言った。

「自分の仕事が誰かを照らしているなんて。私なんて、誰かに照らされるばかりで、自分から光を出したことなんて一度もないわ」

「そんなことはないでしょう。あんたがここに来たおかげで、この真っ暗な穴蔵が、なんだか高級ホテルのロビーみたいに見えますよ。眩しくて仕事になりません」

俺が冗談めかして言うと、ソフィアは顔を赤らめた。

「ねえ、フジノリ。私、このままここに住もうかしら」

「冗談はやめてください。あんたの白いドレスが、5分で雑巾になります」

「でも、外の世界はルールばかりで息が詰まるの。次に何をすべきか、誰と会うべきか、全部決まっている。まるで、レールの上を走るトロッコみたい」

俺は、手元のつるはしを眺めた。

「トロッコ、ですか。俺たちも毎日使ってますよ。でも、レールは自分たちで敷くんです。行き先が気に入らなければ、曲げればいい。脱線したって、また戻せばいいんです」



【事件は、真っ暗闇の中で】

その時だった。
ズズズ……ッ!という、嫌な音が鼓膜を震わせた。

「何?」

ソフィアが俺の腕にしがみついた。

「まずい。落盤(らくばん)だ!」

俺は彼女を抱きかかえるようにして、近くの支柱の影に飛び込んだ。大きな岩が天井から崩れ落ち、あたりは一瞬で砂煙に包まれた。非常用のランプがチカチカと点滅し、やがて消えた。


完全な、沈黙。


そして、完全な、暗黒。


「フジノリ……?どこ?私、何も見えない……」

ソフィアの声が震えている。

「ここにいますよ。大丈夫、怪我はありませんか?」

「ええ……でも、真っ暗。怖い。私、死ぬのかしら」

俺はポケットを探り、マッチを取り出した。シュッ、という音とともに、小さな火が灯る。目の前には、真っ白なパラソルを抱きしめて震えるソフィアがいた。彼女の白い服は、砂埃で灰色になっていた。

「大丈夫です。ここは岩盤が強い。今のは一部が崩れただけだ。エレベーターまでの道は塞がれましたが、予備の通気口があるはずです」

「本当?」

「嘘はつきません。俺は、仕事には真面目なんです」

俺は、もうひとつの明かりを探した。ソフィアが持っていたパラソル。その柄の部分に、彼女が持ち込んだ「家出セット」のひとつ、LEDライトがぶら下がっていた。

「それ、貸してください」

ライトを点けると、崩れた岩が道を塞いでいるのが見えた。

「さあ、お嬢様。ここからは大冒険です。真っ白な服が汚れるのを覚悟してくださいね」

「……もう汚れたわ。こうなったら、トコトンやってやるわよ!」


ソフィアは、キリッとした表情で立ち上がった。その顔には、一筋の黒いすすがついていたが、さっきよりずっと綺麗に見えた。




【途中という名のトンネル】

狭い隙間を這い、泥にまみれながら、俺たちは進んだ。

ソフィアは文句ひとつ言わなかった。時折、彼女がパラソルを杖代わりにして歩く姿は、まるで戦場を行くジャンヌ・ダルクのようだった。

「ねえ、フジノリ。私、考えていたの」

「何をです?」

俺は岩をどかしながら、彼女の言葉を待った。


「私はずっと、結婚とか、跡継ぎとか、『完成された結果』ばかりを求められてきた。でも、今こうやって、出口がどこかもわからない暗闇を歩いている『途中』が、一番自分らしくいられる気がするの」

俺は足を止めて、振り返った。

「いいことを言いますね。俺も同じですよ」

「フジノリも?」

「ええ。俺はこの炭鉱で15年。まだ一度も、『掘りきった』と思ったことはありません。毎日が途中で、毎日が未完成だ。でも、その『途中』で、たまにこうしてあんたみたいな面白いお嬢様に会えたりする」


俺は、ポケットから小さな石を取り出した。それは、真っ黒な石炭の塊の中に、ほんの少しだけ光る筋が入ったものだった。

「これ、あげます。ただの石ころですが、俺にとっては特別な石です」

ソフィアは、その汚れた石を、まるでダイヤモンドを受け取るように大切に受け取った。

「ありがとう。私の人生で、一番価値のあるプレゼントだわ」

やがて、遠くに小さな光が見えた。地上からの救助隊の声も聞こえてくる。



「出口ですよ、ソフィア様」

「……なんだか、残念ね。もう少しだけ、『途中』でいたかったわ」

「地上に出たって、あんたの人生は続きます。結婚したくないなら、パラソルを武器にして戦えばいい。財閥の娘だろうがなんだろうが、あんたの人生のレールを敷くのは、あんた自身だ」


ソフィアは、入り口で一度だけ立ち止まり、俺の方を見た。

「フジノリ。あなた、本当は哲学者か何かなんじゃない?」

「ただの、石掘りですよ」




【それからの2人】

数日後。

俺はいつものように、炭鉱の底でつるはしを振るっていた。落盤事故の現場は片付き、仕事は再開された。

ふと、エレベーターが降りてくる音がした。また新しい新人でも来たのかと思い、目を向けると。

そこには、真っ白な作業着を着て、真っ白なヘルメットを被った女性が立っていた。手には、真っ白な……いや、少し汚れた「あのパラソル」を持っている。

「フジノリ! 私、決めたわ」

ソフィアだった。

「おいおい、お嬢様。今度は何ですか?」

「お父様と交渉したの。結婚はしない。その代わりに、この炭鉱の『現場監督の見習い』として働くって。もちろん、現場の一番近くでね」

俺はあきれて、笑ってしまった。

「パラソルをさした現場監督なんて、前代未聞ですよ。だいいち、なんでまたこんな泥臭い場所に戻ってきたんですか」

ソフィアは、パラソルをパッと開いた。 そして、その影に隠れるようにして、俺にだけ聞こえる小さな声で言った。

「言ったでしょう? 自分のレールは自分で敷くって。私のレールの先にはね、どうやら真っ黒な顔をして、美味しいおむすびを食べる哲学者が立っているみたいだわ」

「え?」

俺が聞き返すと、彼女はいたずらっぽく微笑んで、パラソルをくるくると回した。

「さあ、フジノリ! 指導をお願いね。私、あなたの『途中』に、ずっと付き合ってあげるんだから」

真っ暗な炭鉱の底に、一輪の大きな白い花が咲いた。 その下で、ソフィアの頬が少しだけ、石炭の火のように赤く染まっているのを、俺は見逃していた。



俺はつるはしを肩に担ぎ、彼女に言った。

「了解しました、監督。……あんたの人生、これからとんでもなく面白くなりそうですね」

「ええ、あなたの人生もね!」

二人の笑い声が、深い深い炭鉱の底に響き渡った。




iさんの企画に参加させていただきました。

「途中」というテーマで書かせていただいた作品になっております。

素敵な企画をありがとうございました。



【あとがき】

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

今回の物語、いかがでしたでしょうか。


真っ黒な炭鉱の底と、真っ白なパラソル。正反対な二人が出会った場所は、けっしてゴールではなく、それぞれの新しい人生の「途中」でした。

これを読んでくださったあなたも、誰しも、いま生きている限り、その道は「途中」です。

誰かに敷かれたレールの上だけが、正しい道ではありません。


途中でレールを敷きなおしてもいい。わざと脱線してみてもいい。ときには、トロッコから降りてゆっくり歩いたっていいんです。世界は案外、私たちが思っているよりもずっと自由で、優しいものなのかもしれません。



炭鉱の白い花になったソフィアは、きっと今までの人生で一番の笑顔で、周りの人々を、そして無骨なフジノリの心を、温かく照らしていくのだと思います。

忙しい日々のなかで、この物語があなたにとって「静かに息ができる場所」になれたなら、これほど嬉しいことはありません。

あなたの歩む道の「途中」に、どうか素敵な光が差し込みますように。

この物語が、あなたの心の奥にある静かな場所に、
そっと寄り添えるようなものになりますように。



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