見出し画像

「行動の分解」すらできずに自分を責める夜は、ToDoリストを捨てていい。――くしゃくしゃのレシート裏に書く「未完成の質問」だけが、あなたを静かに許してくれる。

この文章は、うまく進めなくなった人が、いったん戻ってきてもいい「余白」を置くところから始まります。

パソコンのブルーライトが、やけに目に刺さる夜。

デスクの脇には、いつ淹れたかも忘れた、冷めきったコーヒー。

その酸化した微かな苦い匂いが、鼻の奥に居座っている。

キーボードに置いた指先は冷たく、換気扇の低い音だけが、部屋の静寂を強調している。

何かを始めようとして、身体が石のように固まる瞬間です。

「タスクが大きすぎるから動けないんだ」

「もっと小さく分解すれば、ハードルが下がって動けるようになる」

ビジネス書やライフハックの記事でよく見るその言葉。

頭では、それが正しいと分かっています。

けれど、その「分解」という作業すら、どうしても手がつけられない。

タスクを細分化しようとペンを持っただけで、手首に血液が溜まって鉛のように重くなり、指先が動かなくなるようだ。

なぜなら、分解した瞬間に、それが「やらなきゃいけないこと」として、無言で詰め寄ってくる気がするからです。

細かくすればするほど、タスクは現実味を帯びます。

それを前にしてまだ動けないでいると、「やり方は分かっているのに、それでもやらない自分」が確定してしまう。

それが怖くて、思考のスイッチを強制的に切る。

まるで、ブレーカーが落ちて真っ暗になる部屋のように、あなたは自分を守っているのです。

そうやって思考を止めてしまうのは、私たちが怠けているからではありません。

ましてや、意志が弱いからでもなく、

生き延びるための「心を守るための反応」なのだと思います。

少し、昔のことを思い出してみてください。

まだ幼かった頃、あるいは過去のどこかで、動けない理由や気持ちを口にした時──

「どうすればいいか分からない」と正直に言った時。

失敗の理由を説明しようと、「でも」と口を開いた時。

あるいは、ただ「辛い」と伝えたかっただけなのに、「みんな同じだ」と遮られた時。

そんな瞬間に、鋭い言葉が飛んできたことはないでしょうか。

「言い訳をするな」

「それはやらない理由にならない」

「できない理由を探すな」

その時の、胃が縮み上がるような感覚。

理由を言うことが、そのまま否定や攻撃につながった記憶。

理由を口にすることは「甘え」であり、「逃げ」であり、自分の価値を下げることだと、身体が覚えてしまっているのかもしれません。

理由を考えれば考えるほど、自分が責められる気がする。

だから、深く考える前に思考をフリーズさせることで、もうこれ以上傷つかないように自分を守ってきた。

それは、その時のあなたが壊れないために必要だった、精一杯の適応だったはずです。

だから今は、無理に動こうとしなくていい。

正しく分解しようとして、自分を追い詰めなくていいのです。

「完璧な計画表」の代わりに、ただの「未完成の質問」を置いてみるのはどうでしょうか。

正解も分析もいらない、ただの独り言で構いません。

画面の白さが怖いなら、手元のくしゃくしゃになったレシートの裏に、こう書き出してみます。

「めんどくさいのは、___っぽい」
「たぶん、___が嫌」
「今これをやると、___になりそう」

例えば、誰かに連絡を返さなければいけない時。

「めんどくさいのは、文章を考えること……っぽい」

「たぶん、相手にどう思われるか気にするのが嫌」

「今これをやると、最初の一文で自分の評価が決まってしまいそうで、怖い」

書いてみて、違和感があれば消してもいいし、書きかけのまま閉じてもいい。

これは行動するための準備ではなく、ただ今の感覚をそこに置くだけの作業です。

「嫌だ」と感じることすら許されなかった場所に、小さな風穴を開ける。

そこから、少しだけ新鮮な空気が入ってくるのを感じるだけで十分です。

解決しなくていい。

今はまだ、動かなくていい。

ただ、「ああ、自分は今、こう感じているのかもしれない」という予感を抱きしめて、今日はパソコンを閉じていいのです。

一度、大きく息を吐いてみてください。

肩の力が抜けたら、そこが今日のゴールにしましょう。

これは、自己理解を通じて無力感を抱えている人が、いったん腰を下ろせる「余白」に戻り、物語の続きを自分の手に戻すための、静かな居場所です。

その余白に戻りながら、自分で続きを描いていく時間を、この記事は隣で見ています。

いいなと思ったら応援しよう!