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飼い猫と野良猫と僕


通勤途中、僕はまるで映画のワンシーンのような場面に出くわした。

目の前には一匹の野良猫。
その猫は、鋭い視線で向かいの家をじっと見つめていた。
その視線の先にいたのは、窓越しにこちらを見つめ返す飼い猫だった。
二匹は互いに、何かを訴えかけるような眼差しを交わしていた。

その中間に立っていた僕は、まるで映画を観にきた観客のような気持ちになった。

窓の内側にいた飼い猫は、どこか野良猫を見下しているような雰囲気だった。
けれど、野良猫の目は羨ましさではなく、むしろ
まるでこう語っているように見えた。

「お前は可哀想だな。囚われているみたいだ。」

僕たち人間から見れば、きっと“幸せ”なのは飼い猫だろう。
暖かい寝床があって、餌を与えてくれる飼い主がいて、遊び相手もいる。
それは紛れもない「安心」の象徴だ。

けれど、ふと思った。
それはあくまで、人間の目から見た“幸せ”にすぎないのかもしれない、と。

飼い猫は、自由を知らない。
その世界しか知らずに、今日も外の景色をただ眺めている。
一方、野良猫には安定も安全もない。
食べ物にも寝床にも困り、命と隣り合わせの暮らしをしている。
でも、自由がある。

もしかしたら、飼い猫から見る野良猫の姿は、
「自由を持った自分と似た誰か」に映っていたのかもしれない。
「自分と同じように、あの猫にも家があり、ご飯もあって、
それでいて外の世界にも出られる存在なんだ」と、そう思っているのかもしれない。
なぜなら飼い猫は外の世界を知らないから。

「なぜ私はこの家の中にいるのだろう」
「なぜ彼は外にいるのだろう」
そんなふうに思っていたのかもしれない。

そして逆に、野良猫もまた、
「きっとあいつは人間に捕まってしまったのだ」と思っているかもしれない。
「中で何が行われているのかわからない。
だから近づかない。捕まってはいけない」と。

視点を変えるだけで、見える世界がこんなにも違ってくる。
客観のふりをしていたのは、実は一方的な価値観だったのだと、僕は気づかされた。

これは猫の世界の話だけじゃない。
人間社会でも、同じことがある。
「知っているもの」と「知らないもの」。
その差が、幸せの定義さえも変えてしまうことがある。

なんて不思議なんだろう。
今日、僕は猫たちにそんなことを教えてもらった気がした。

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