noteにいる人は繊細さと言語化能力を持っている
noteを見ていると、よく思う。
なんでこんなに、みんな文章書けるんやろ。
別にプロでもないし、
作家でもないし、
誰かに頼まれてるわけでもない。
それでも、あれだけの量の文章を書いて、
しかもちゃんと読める形にしている。
冷静に考えると、ちょっと異常である。
で、しばらく観察していて気づいた。
noteにいる人って、だいたい共通している。
✅繊細さ
✅言語化
この2つを持っている。
まず、繊細さ。
何かに引っかかる力。
違和感でもいいし、
感情でもいいし、
ちょっとした出来事でもいい。
とにかく、流さずに拾ってしまう。
普通ならスルーするようなことを、
「なんか気になる」
「これってどういうことやろ」
って、立ち止まる。
これがないと、そもそも書くことがない。
次に、言語化。
拾ったものを、そのままにせず、
言葉にする力。
感じたままで終わらせるんじゃなくて、
「なんでこう感じたんやろ」
「どういう構造なんやろ」
って分解して、
再構築して、
外に出す。
ここまでやって、やっと文章になる。
つまり、
✅繊細さだけでもダメ
✅言語化だけでもダメ
両方そろって、初めて“書ける人”になる。
そしてnoteには、その両方を持ってる人が多い。
だから読んでると、
「なんでこんなこと気づくんやろ」
「なんでこんな風に書けるんやろ」
ってなる。
でも実際はシンプルで、
気づいてしまって
言葉にしてるだけ
逆に言うと、
どっちかが欠けていると書かない。
繊細じゃなければ、そもそも気づかない。
言語化できなければ、外に出てこない。
だから、
noteってちょっと偏った場所なんやと思う。
日常で拾った違和感や感情を、
そのままにできなかった人たちが集まってる。
言い方を変えると、
「流せなかった人たち」
でもそれって、悪いことではない。
むしろ、
流さなかったからこそ、
言葉になって残っている。
そしてその言葉が、
誰かにとっては
「それ、分かる」
になる。
たぶんnoteは、
繊細さをそのまま消費する場所じゃなくて、
一度言葉にして、外に出す場所なんやと思う。
だから今日も、
どこかで誰かが引っかかって、
どこかで誰かが言語化している。
そういう場所なんやと思う。
