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問いを立てることが仕事になった

AIを頻繁に使うようになって、仕事の進め方が変わった。

以前は、何かを調べようと思ったら、ウェブサイトや公式情報をできるだけくまなく見ていた。

ただ、調べている途中で別の情報が気になり、そこからさらに別のページへ移ることも多かった。時間をかけた割に抜け漏れが見つかることもある。

寄り道を重ねた末に、「結局、何を調べていたんだっけ」となることも珍しくなかった。

いま振り返ると、「調べること」そのものが仕事になっていたのかもしれない。

まず、AIに地図を描いてもらう

AIを使うようになってからは、最初に全体像を整理してもらうことが増えた。

何が論点なのか。どの情報が足りないのか。次にどの資料を確認すればよいのか。

AIに仮の地図を描いてもらい、必要な場所を自分で確かめていく。そんな進め方に変わってきた。

もちろん、AIがあれば自分で調べなくてよいわけではない。

AIの回答には間違いもある。公式情報や元の資料に当たる作業は、いまも必要だ。

ただ、調査に入る前に「自分は何を知りたいのか」を考えるようになった。

気がつけば、答えを探すことより、問いを立てることが仕事の中心になっていた。

AIは、間違った問いにも答えてくれる

AIは、こちらが聞いたことにはすぐ答えてくれる。

しかし、曖昧な問いには曖昧な答えが返ってくる。前提を間違えていても、それらしい文章を作ってくれる。

AIの性能が上がるほど、間違った方向へ進む速度も上がる。

だから大切なのは、単に「上手なプロンプト」を書くことではない。

自分は何を判断したいのか。そのために何がわかっていないのか。どの事実がわかれば結論が変わるのか。

そこまで戻って問いをつくる必要がある。

一度で正しい問いを出せなくてもいい。返ってきた答えを読み、足りない視点に気づき、また聞き直す。

AIとの仕事は、答えを受け取る作業というより、問いを更新していく作業になっている。

AIが使えなくなっても考えられるのか

一方で、不安もある。

それは、性能の高いAIをいつでも使えることが、仕事の前提になってしまうことだ。

論点の整理や文章の骨組みまで日常的にAIへ任せていたら、もし使えなくなったとき、自分でゼロから考えられるのだろうか。

AIによって能力が広がったのか。それとも、AIがなければ発揮できない能力に置き換わっただけなのか。

その境目は、まだよくわからない。

AIは答えを出してくれる。しかし、その答えを採用するかどうかは人間が決める。

間違えたときの責任も、AIが取ってくれるわけではない。

人間の仕事は、最後には「責任を取ること」へ収斂されていくのかもしれない。

問いを立てることが仕事になった。

だからこそ、問いまでAIに渡し切ってはいけない。AIに何かを聞く前に、自分は何を知りたいのかを、まず自分自身に問う。

その習慣だけは、手放さないようにしたいと思っている。


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▼このテーマのまとめ

・AI×発信ノウハウまとめ

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