政治家に必要なのは無謬性ではなく、間違いから逃げないこと

前回の記事で、AI時代に人間に残る仕事は「決断」と「責任」ではないかと書いた。

個人の仕事であれば、その決断の結果は主に自分へ返ってくる。しかし、政治家の決断は違う。

決めるのは政治家でも、その結果を引き受けるのは国民や住民、行政職員であることが多い。

だから政治家には、決断する権限だけでなく、判断の理由を説明し、間違いがあれば認め、必要な修正を行う責任がある。

私は、政治家に「絶対に間違えるな」と言いたいわけではない。

求めたいのは無謬性ではなく、間違いから逃げないことだ。

政治家の決断では、結果を他人が引き受ける

仕事上の決断には、必ず何らかの結果が伴う。

政策を実施すれば、利益を得る人がいる一方で、負担が増える人もいる。行政組織の方針を変えれば、現場の職員や住民の生活にも影響が及ぶ。

すべての人が納得する政策を選ぶことはできない。限られた予算や時間のなかで、何を優先し、何を後回しにするのかを決めるのが政治の仕事だからだ。

だからこそ、決断した政治家には説明が求められる。

何を守るために、その判断をしたのか。
誰に負担を求めるのか。
どのような結果を想定していたのか。
想定と違う結果が出た場合、どこを修正するのか。

決断とは、発表した時点で終わる仕事ではない。その結果を追い続けるところまでが、決めた人の仕事だと思う。

AIも専門家も、責任者の代わりにはならない

2026年7月10日、高市首相は人工知能戦略本部を開き、第2期AI基本計画の案や、政府が高性能AIを評価する体制の強化などについて述べた。政府として「信頼できるAI」の実現を目指す方針である。首相官邸「人工知能戦略本部」

行政でAIの利用が進むこと自体を、私は否定したいわけではない。政策の選択肢を比較したり、大量の情報を整理したりするうえで、AIは有力な道具になる。

しかし、AIがどれほど高性能になっても、政策の責任者にはなれない。

AIの分析を採用するのか。
どの価値を優先するのか。
少数者に生じる不利益をどう考えるのか。
問題が起きたとき、誰が説明するのか。

これを決めるのは首相や大臣など、権限を与えられた政治家である。

「AIがその案を示した」「専門家から助言を受けた」という説明だけでは、政治的な責任を果たしたことにはならない。AIも専門家も判断材料は出せるが、国民から権限を預かった本人の代わりに、結果を引き受けることはできないからだ。

兵庫県問題で問われるのは、報告書が出たあとの対応だ

兵庫県の文書問題でも、「決めた人が、その後の結果をどう引き受けるか」が問われている。

県が設置した第三者調査委員会は、2025年3月19日に調査報告書を提出した。

報告書では、知事の指示に基づいて行われた通報者の探索や、公用パソコンを引き上げた行為について、公益通報者保護法と指針に反する違法な行為だったと判断した。

また、元西播磨県民局長への懲戒処分のうち、告発文書の作成・配布を処分理由とした部分については違法・無効とする一方、それ以外の三つの処分理由については有効と判断している。第三者調査委員会の報告書

ここは丁寧に分けて考える必要がある。報告書は、懲戒処分のすべてを無効と判断したわけではない。しかし、県の初動対応や処分の一部について、明確に問題を指摘したことも事実である。

一方、斎藤知事は2026年7月1日の記者会見でも、文書作成者を特定して事実関係を確認することは、法律上禁止されているとは考えていないとの認識を示している。兵庫県知事記者会見

第三者委員会の判断と、知事の認識には、現在も隔たりがある。

私は、この隔たりが生じたことだけをもって、直ちに辞任すべきだと言いたいのではない。

重要なのは、報告書が出たあとに何をするかだ。

どの指摘を認め、どの指摘には同意しないのか。
同意しないのであれば、その法的根拠は何か。
処分や初動対応を見直す必要はないのか。
同じことを繰り返さないため、何を変えたのか。

これを具体的に説明し続けることが、権限を持つ人の責任ではないだろうか。

法的責任と政治的責任は同じではない

第三者委員会の報告書は、裁判所の確定判決ではない。その結論に異論を示すこと自体は可能である。

しかし、「最終的には司法が判断する」と述べるだけで、政治的な責任まで保留できるわけではない。

司法が判断するのは、主として行為の違法性や法的責任である。

一方、政治家には、裁判の結論が出る前から問われる責任がある。

自分の判断は妥当だったのか。
行政組織のトップとして、問題の拡大を防げたのか。
第三者からの指摘を受けて、制度や処分を見直したのか。
住民や職員からの信頼を保てる状態なのか。

政治的責任とは、違法性が確定したら初めて生じるものではない。

権限を行使した時点から、説明し、検証し、必要なら修正する責任が始まっている。

辞任だけが責任ではない。しかし、進退を避け続けてもいけない

「責任を取る」という言葉は、すぐに辞任と結びつけられる。

だが、間違いが見つかるたびに政治家が辞任していれば、政策を修正する人がいなくなる。責任を辞任だけで考えると、説明や改善という大切な部分が抜け落ちてしまう。

責任には順番があると思う。

まず、判断の理由を説明する。
次に、間違いがあれば認める。
そして、制度や方針を修正する。
影響を受けた人に向き合う。

それでもなお、信頼を回復できない。重大な指摘を認めず、説明や修正を拒み続ける。あるいは、自分が職にとどまることで組織の立て直しが進まない。

その段階ではじめて、自らの進退や辞任、引責について判断することになる。

辞任しさえすれば責任を果たしたことになるわけではない。しかし、地位にとどまり続けることも、責任を果たしている証明にはならない。

求めたいのは、間違えない政治家ではない

政治には、最初から正解が分からない問題が多い。

情報が不足した状態で決めなければならないこともある。あとから新しい事実が明らかになり、当初の判断が誤っていたと分かることもある。

だから私は、政治家に無謬性を求めたいのではない。

間違えたときに、それを認められること。
自分の判断の結果から逃げないこと。
必要な修正を行うこと。
それでも責任を果たせないなら、自らの進退を判断すること。

AIが多くの答えを出す時代になっても、政治家の仕事はなくならない。

むしろ、誰が決めたのか。
誰が説明するのか。
誰が修正するのか。
そして、誰が最後まで結果を引き受けるのか。

権限を持つ人にしかできない仕事が、これまで以上にはっきり見えるようになるのだと思う。


▼あわせて読む

・兵庫県政を資料で読む――会見より先に、予算書・議事録・報告書を開くための入口

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▼このテーマのまとめ

・兵庫県問題まとめ

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・兵庫県問題マガジン(買い切り)

https://note.com/poliplus/m/me45ecf9db449

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