山の辺の道から眺める生駒どんどこ祭りの花火
毎月一日は地元・生駒の山寺、宝山寺の朔日参りの日。
うちから徒歩一時間ほどのその場所に毎月参ることはできていないけれど、宝山寺の青年会が発信するその月の掲示句は読んでいる。
生駒山寳山寺 八月掲示句
今月八月の句はお盆にまつわる言葉だった。
八月はお盆の月。先祖は根、親は幹、自分はこの枝に咲いた一輪の花と言えよう。この花を美しくし、良い実を着けるには、幹枝の手入れと共に根に水や肥料を施さねばならぬ。
信仰とは、いつも特別なことではなく、神仏、祖霊を崇び、親を敬い、自らの仕事に励む。当たり前のことである。
ここに人としての求める幸せの花が開く。
「当たり前のことである」
まさにその通りで、当たり前に大事にしたいことを確認するのが、この朔日参りの意味だと思う。それを繰り返すことで自身も次世代の種や肥やしとなってゆく。何も特別なことはなく自然の摂理だ。
日本では一年を通して事あるごとに節目を設けて大事にしたいことを確認したり、仕切り直したり、あらためて体調に気を配る機会を設ける風習がある。
宝山寺は商売繁盛のご利益が謳われる寺でもある。
朔日参りにやってくる商人たちも、商売において本当に大事なのは金の動きではないということを改めて自分の心に問うのではないだろうか。
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いこまどんどこまつりと、かつてあった町内の夏祭
同日、生駒の市民まつり、「いこまどんどこまつり」が開催された。
今年で第25回。自分がそれだけ分の歳を重ねたという意味では、「もう四半世紀経ったのか」と思うし、まつりの歴史としては「まだ四半世紀程度だったのか」と感じる。
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