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「できる私」を手放していく旅 -休職1回目-


あの日の朝、玄関で動けなくなった

今でも、あの朝のことを鮮明に覚えています。 「会社に行かなきゃ」と思うのに、玄関から一歩も動けない。 少しずつ積み重なっていた“辛さ”が、ついにあふれた瞬間でした。

そのとき家族が 「午後休みとって帰ってくるから、一緒に病院行こう」 と言ってくれて、心のどこかで気づいていた“限界”をようやく認めることができました。 こうして、私の半年にわたる最初の休職生活が始まりました。

なぜ限界まで頑張ってしまったのか

当時は、女性活躍が盛り上がり始めた時期。 私は「抜擢」という形で難しいポジションを任され、実力が追いつかないまま、なんとか食らいつこうとしていました。

今振り返ると、 “期待に応えなきゃ” そんな思い込みが、私をどんどん苦しくしていたのだと思います。

新しい業務での挫折感:成長できない自分を許せなかった

新しい業務は畑違いで、もちろんプレッシャーはありましたが、 「早くできるようになりたい」と前向きな気持ちもありました。

しかし実際は、こんな日々の繰り返し。

  • あいまいな指示のもと深夜までやり直し

  • OKが出ても労いもフィードバックもない

  • やりきった感がなく徒労感だけが残る

半年経っても「1ミリも成長できていない」と感じ、絶望が私を包んでいました。今の私なら、あの頃の自分にこう言いたいです。「1ミリかそれ以下でも成長してたよ。 なんなら、成長なんてしなくてもいい。」

仕事として成長を求められても、 “個人として絶望する必要なんてなかった” と、今なら笑って言えます。

「女性代表」の呪い:勝手に背負い込んだ責任

「私が失敗したら、女性全体に迷惑がかかる」 そんな思い込みを、私は勝手に抱えていました。

今思うと、 “女性代表”のような上から目線で、恥ずかしい限りです。

あの頃の私に声をかけるなら、こう言います。

「あなた一人が失敗したところで大丈夫。 優秀な女性は他にもたくさんいるし、 そもそも性別なんて関係ないよ。」

心身の限界:それでも“できる私”を演じ続けた

当時の私は、こんな状態でした。

  • 毎日0時頃まで仕事

  • 寝ても仕事の夢ばかりで早朝に目が覚める

  • 食欲がなく、休日も好きなことをする気力がない

その結果、

  • 頭が回らず同じところをぐるぐる

  • 体重は中学生以来の数値

  • 咳が止まらず肋骨にヒビが…

  • 桁を間違え1千万円経費処理を間違えかける

でも、「思ったよりできなかった、助けて」と言えず、 心優しい人が声をかけてくれても「大丈夫」と取り繕ってしまっていました。

“できる私”像を捨てられなかったのです。

「できる私」から離れて見えてきたもの

あの頃の私は、 「できる私」でいなければ価値がない そう思い込んでいました。

しかもその「できる私」は自分で選び取ってきたと思っていたけれど、実は世間や親の期待値を勝手に想像し、無意識に取り込んでしまっていたことも今はわかります。

今なら言えます。 今まで自分が信じてきた「できる私」からはずれることは、頭ではわかっていてもとても勇気がいること。一筋縄ではいかないけれど、ありのままの自分を肯定できたとき、 初めて本当の意味で前に進めるのだと。

そして、あの朝、玄関で動けなくなった自分がいたからこそ、今ありのままの自分と向き合い「自分にとっての心地よさ」に向かって生きていけるのだと思います。

わからないなりに「よく頑張ってきたね」とそっと声をかけてあげたいです。

その試行錯誤の過程について、今後また書いていければなと思います🕊️

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