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転生監査機関《RAC》CASE.050

「ロザリア・ディ・エルヴァニス」


「おお! 久しいな、我が剣よ」

 ヴォルツは堂々と、王の前に姿を現していた。
 トルマリン王は歓迎ムードだが、その後ろに勢揃いした幹部や将校たちの表情は、その真逆だった。
 野望の炎に爛れきった、醜悪な顔である。

 世にも稀な王の下界への降臨に、周囲にはあっという間に人だかりができていた。

(なるほど……彼らですか。あの2人を送り込んだのは)

「元気にしていたか?」
「はい、おかげさまで」
「ほっほっほっ。それは何より。1年もの間、剣を振るわず鈍ったのではないか?」
「…………本題にお移りください、我が王。私は今、すこぶる機嫌が悪い」

 「貴様!」という怒号が後ろから飛ぶが、ヴォルツの眼光ですぐさま怯み上がる。
 トルマリン王は依然として毅然とした態度であり、言葉を続けた。

「なるほど。此度のこと、配下の暴走が迷惑をかけたようだな」
「………………」
「うむ。なので急遽、戦地より馳せ参じたというわけだ。ホレ、持って来い」

 王が指を鳴らすと、列の奥から従者が急ぎ足で現れる。
 その手には、人の頭がすっぽり入るほどの木箱があった。
 従者はそれをヴォルツの足元へ置き、蓋を開け、中の物を取り出して見せた。

「これは……」
「うむ。此度の騒動の首謀者だ」

 それは、あの軍務卿の首だった。
 今回の責任を取ったのか。
 あるいは、擦り付けられた成れの果てなのか。
 いずれにせよ、今さらこんなものを見せられたところで、ヴォルツの心は休まるどころか、より一層熱を帯びるだけであった。

「それで……これだけではないのでしょう?」
「……さすがだ。相変わらず察しがいい。では単刀直入に言おう。ヴォルツ、戦地に戻ってはくれぬか」

 やはりな、とヴォルツは内心ため息をつく。
 いつかは来ると思っていた。
 この首は償いであり、一応は誠心誠意を示すための贈り物なのだろう。

 1年ほどの離脱。
 ヴォルツの穴を埋められるほどの人材も戦力も、今の宝国にはない。
 来る日も来る日も、いつこの日が来るかと恐れていたくらいだ。
 そしてついに、その時が来た。
 最悪の形で。
 というより、よくここまで持った方だと思うくらいである。

「手柄を取らんとお主を排斥した貴族たちも、これで十分に理解しただろう。ヴォルツ、お主が必要だ。今一度、我が宝剣として剣を振るってくれまいか」
「――ですか」
「んむ?」

「あと何年、戦えばよいのでしょうか?」

 ヴォルツは一歩前に出る。
 もう隠さない。
 遜らない。

 たしかに、拾ってもらった恩義はある。
 だがもう、それは十分に返したはずだ。

 今や宝国は衰退しつつある。

 それに、これはこれ、それはそれ。
 民の苦しみと、自身の出自には何の関係もない。
 今は王ではなく、民の“宝剣”として、ヴォルツは言葉を口にしている。

「あと何年、民は苦しめばよいのでしょうか? あと何人犠牲にすればよろしいのでしょうか!?」
「ヴォルツ……」
「王よ、貴方は支配欲に爛れてしまった。今の貴方は、賢王などではない」
「………………」

「今の貴方は民を資材としか見ていない、暴君そのものだ!!」

 沈黙が続く。
 だがわずかに、民たちは「そうだ」と言わんばかりの表情を浮かべ始めていた。
 中には眉間に皺を寄せ、「うんうん」と堂々と頷いている者もいる。

 宝国王とその軍勢は、宝国内にいるというのに、ここでは完全に異物扱いされているのだ。

「そうか…………」
「…………」

 ついに言ってしまった。
 王への叱咤など、普通なら死罪ものだろう。

 だが、今の彼は違う。
 民と触れ合った。
 守るべきものも得た。
 そんな彼だからこそ、やっとのことで真にの境地へと辿り着いたのだ。

 これが、本来の彼の姿だ。
 本来の宝剣の在り方なのだろう。

「そうかそうか……」
「お分かりいただけましたか」

「それほど、その女とやらに勾引かされたのか……お主は」
「な――……」

「兵よ、構えよ!!」

 王が吠える。
 号令に合わせて、兵たちがずらりと前へ出た。

「何を!」
「残念だ、ヴォルツ。お前ともあろう者が女に現を抜かすとは……その者はよほどのほら吹きと見える。宝国の害である」
「…………ッ!」

 トルマリン王は、心底悲しそうな顔をしていた。
 至って本心だ。
 嘘偽りではない。
 心の底から穂香を害であると、そう考えているのだ。
 だからこそできる、憐憫に満ちた表情であった。

 ヴォルツは一歩引き、臨戦態勢を取る。

「ヴォルツ。我にはお前が必要だ。そしてその女が枷となるのなら、今取り去ってあげよう」
「王よ、ご再考を――」
「ならぬ。突撃!!」

 兵たちは剣を構え、ずいずいと接近する。
 もはや欠けた元宝剣など怖くない、とでも言いたげな堂々たる進軍だ。

(やむを得ませんね……)

「クンツァッ!! ベリルッ!!」

 ヴォルツの叫びに合わせて、2つの影が飛び出す。
 クンツァとベリル。
 宝国軍筆頭の2人だ。

 こちら側と踏んでいた兵たちは、一瞬にして表情を強張らせ、急停止する。

「良いところに来た。そこの2人、ヴォルツを抑えよ」
「「断る」」

「……なんだと?」

 即答で拒否され、さすがのトルマリン王も片眉を顰める。

「我らの主はただ1人」
「我らがいる限り、ロザリア様には指1本触れさせません」

 「な、ふざけるな!」「血迷ったか!」という怒号が、幹部たちから幾度も放たれる。
 だが2人は意にも介していない。
 ただひたすらに、己の主の外敵を阻む騎士の顔つきだ。
 そのただならぬ雰囲気に、兵たちはより一層困惑の色に包まれる。

「お2人とも」
「うん?」
「なんでしょうか、隊長」

 ヴォルツの問いかけに、2人は即座に振り向く。
 ヴォルツ憎しと日々彼への怨嗟の言葉を並べていた2人とは到底思えない振る舞いに、幹部たちはさらに困惑で顔を歪めた。

「お2人はホノカ――ロザリア様を愛していますか?」

 その問いに、2人は顔を見合わせる。

「当然」
「命に代えてもお守りします」

「そう、ですか……」

 相変わらず、嘘が微塵も混じっていない凛とした目だ。
 もはや疑う余地も、余裕もない。
 彼らは今、確かに、穂香ロザリア・ディ・エルヴァニスの親衛隊――“ルーンプリンス”その者なのだ。
 そして自分は、その隊長という認識なのだ。

 意味は全く分からない。
 だが、状況が状況だ。
 ここは存分に、この意味不明な現象を利用させていただく。

「では、ルーンプリンスの隊長として命じます。ロザリア様にかかる火の粉を、すべて払いのけなさい!」
「「御意」」
「ヴォルツ、お主……」

「貴様! 恥を知れ!!」
「そこの2人! 何をしている!! さっさとその男を斬り伏せろ!!」
「王に反旗を翻すなど……この恩知らずが!!」

「恩は十分に返しました。さらばです、我が王」

 そう言うと、ヴォルツは半壊した自宅へ戻る。
 次に姿を現した時には、穂香を抱えており、そのまま屋根を突き破りながら、遥か彼方へと飛び出していったのであった。
 

 ――――――
 

 冷たい夜風が、頬を撫でていく。

 どれほどの時間、意識を手放していたのか。
 穂香がゆっくりと瞼を持ち上げると、視界の上には、見慣れぬ夜空が広がっていた。

「…………ここは?」

 喉の奥から零れた掠れ声に、すぐ傍で膝をついていた男が、弾かれたように顔を上げる。

「ああ! 起きましたか!」

 ヴォルツだった。
 その顔は、いつになく強張っていた。
 安堵と焦燥と、何か切羽詰まった決意のようなものが、ぐちゃぐちゃに入り混じっている。
 そんな表情だ。

「どこなの、ここ?」
「ここは宝国外の丘です」
「なんで……一体何が………………あッ」

 途中で、穂香は息を呑んだ。

 意識がはっきりするにつれて、記憶の断片が脳裏を突き刺してくる。
 壊れた家。
 押し入ってきた男たち。
 乱暴に引き裂かれる衣服。
 獣のような眼差し。

 遅れて、吐き気にも似た震えが全身を駆け上がり、軽い過呼吸に陥ってしまう。

「大丈夫。大丈夫ですよ、ホノカ様」

 ヴォルツがすぐさま身を寄せ、怯える小動物でも宥めるように、そっと肩を抱く。

「ここは安全です。私がいます。だからご安心ください」

 その声を聞くだけで、不思議と安心する。
 穂香は荒い呼吸を繰り返しながら、震える指でヴォルツの服を掴む。
 そうしてようやく、自分がまだ壊れてはいないのだと確認するように、目を閉じた。

 しばらくして呼吸が落ち着いた頃、ヴォルツが静かに口を開く。

「……落ち着きましたか?」
「うん……」

 頷いたものの、心臓の鼓動はまだ早い。
 穂香は唇を噛み、夜の向こうを睨むようにして言った。

「あの人は……あの人たちは何なの? 誰なの!? 何でこんなこと……」

 ヴォルツの表情が、わずかに曇る。

「宝国軍筆頭、クンツァとベリルです。申し訳ございません。私が傍にいれば……」

「その人たちはどうなったの?」
「え」
「私を……襲った人は、どうしたの?」
「…………」

 何と言うべきか。
 ヴォルツは言葉を探し、辛うじて紡いだ。

「……その……実は、彼らは今、私たちを逃がすために戦っています」
「え。は、え? ど、どういうこと??」

「ホノカ様……」

 ヴォルツは一度だけ視線を伏せた。
 そして、何かを覚悟したように再び穂香を見た。

「“ロザリア・ディ・エルヴァニス”という名をご存知ですか?」

「――ッ! なんでそれを……」
「“ルーンプリンス”はいかがでしょうか?」

「…………なんで……」

 穂香の顔から、みるみる血の気が引いていく。
 その反応だけで、ヴォルツには十分だった。

「知っているのですね……」
「う、うん……というか、それ、私が大好きだった小説に出てくる言葉……」

 穂香は震える膝を抱き寄せながら、ぽつぽつと語り始めた。

「悪徳令嬢“ロザリア・ディ・エルヴァニス”。そしてその最強の親衛隊“ルーンプリンス”。私が大好きな本よ……」

 月光の下、彼女の横顔はどこか遠くを見ていた。
 まるで、自分だけが知るもう1つの世界を思い出しているかのように。

「その物語ではね、ロザリアは悪徳令嬢として貴族社会に台頭するの。でも、悪徳なのはあくまで腐った貴族たちの前だけ。民には凛々しくて、強くて、綺麗で……皆を惹きつけるヒーローなの」
「……」
「そうしてルーンプリンスを従えて、腐った国家そのものをひっくり返そうとするの。ダークヒーローもの、っていうのかな……分からないか。悪い人たちをやっつける。でも、綺麗ごとだけじゃ済まない物語」

 
 ヴォルツは黙って聞いていた。
 美しい物語だ。
 そして、その物語の輪郭は、もはや笑えぬほどに今この現実と酷似している。

「でも、なんでそれを……?」

 穂香の問いに、ヴォルツは今しがた目の当たりにした異常を語った。
 クンツァとベリルが、途中からまるで別人のように豹変したこと。
 穂香を『ロザリア様』と呼び、自らをルーンプリンスと名乗ったこと。

 それを聞いた穂香は唖然とするが、何かを思い出したかのようにハッとする。
 そして彼女自身もまた、あの頃淫行の一件から“ロザリア呼び”に妙な違和感を抱いてはいたが、気のせいだと心の底に仕舞い込んでいたことを、小さく証言し始めた。

 
 一通り話し終えた後、丘の上にはしばし沈黙が落ちていた。
 その静寂を、ヴォルツが断ち切る。

「ホノカ様……あなたは女王になりたいのですか?」
「え?」
「いえ、申し訳ありません。その物語の主人公に、貴女の境遇を彷彿とさせるものがありまして……」

 穂香は困ったように笑う。
 その笑みは弱く、どこか自嘲を含んでいた。

「女王は……分からないよ。私、頭悪いし……」
「いえ、ホノカ様! 貴女は十分聡明で、麗しい女性ですよ!」

「ふふ……ありがと。でもそうね……確かにこの人みたいになりたい、憧れみたいなのはずっとあったのかも」

 穂香は自分の両手を見つめた。

「強い男の子たちを束ねて、怖い王様を倒す――そんなかっこいい女性に……」
「ホノカ様……」
「でも私には無理よ。こんなだし、ヴォルツにも迷惑かけてばっかり。こんな私なんかが――」

「なれます」

 穂香がびくっと顔を上げる。
 その肩を、ヴォルツが両手で強く掴んでいた。

「ヴォルツ……?」
「あなたは麗しく、気高く、それでもなお弱さを持つ。この世で最も美しく、脆く輝く宝石のような女性です」

「…………ヴォルツ、どうしたの?」

 ヴォルツの瞳は、熱に浮かされたように輝いていた。
 単なる熱ではない。
 それは信仰にも近い、何か確信めいたものである。

「これは運命です」

 彼の声は震えていた。
 だがその震えは恐怖ではなく、あまりにも巨大な真実へ触れた者の喜びに近い。

「痛みを知る貴女だからこそ、を与えられたのです。自身の真の価値をまだ知らぬ貴女だからこそ、相応しいのです!! きっと、貴女ならこの宝国を救える。悪徳令嬢となれる!! そのために、私の前に現れた!!」
「ヴォルツ……」

 もしかすれば、この胸を焼く想いすら、穂香の力によって作られた偽物なのかもしれない。
 だとしても構わない、とヴォルツは思う。

 偽物であろうと、この胸の内にある激情は“今”は本物だ。
 何を代償にしてでも、この女性を守りたい。
 彼女を玉座へ押し上げたい。
 それが自分に与えられた役目なのだと、今の彼は信じ切っていた。

「ホノカ様、国を作りましょう」
「国…………」
「貴女は世界を変えられる! その力を持っている!!」

 夜風の中、ヴォルツはついに片膝をついた。
 それは騎士の礼であり、臣下の忠誠であり、そして1人の男の祈りだった。

「貴女は最強の悪徳令嬢になれる!! だからどうか、私のために、宝国の民のために。その偉大なる力をお貸しください、ホノカ様……!」

 深々と頭を垂れる。
 穂香は、ただその姿を見下ろしていた。

 今まで何度捨てられただろうか。
 何度否定され、何度腫れ物として扱われただろうか。

 そんな自分を、今、目の前の男は必死に求めている。
 1年だけだが、恋愛した男が自分を必要だと言っている。
 しかも、ただ一緒にいてほしいのではない。
 世界を変えられるほどの存在なのだと、そう信じ切っているのだ。

 胸の奥に、小さな火が灯る。
 それは自信などという、到底立派なものではない。
 だが確かに、自分も何者かになれるのではないかという、か細い希望であった。

「――わかった」
「……え…………」
「うん。私、女王は難しいけど、“悪徳令嬢”ならなれるかも」

 ヴォルツが勢いよく顔を上げる。
 その目は、子供のように爛々と輝いていた。

「……はい! はい、もちろんなれますとも!!」
「でも私馬鹿だから、難しいことはヴォルツにお願いするね」
「もちろんですとも!! お任せを!! ロザリア様!!」

 穂香はくすりと笑う。

「ふふふ、『ロザリア様』だなんて……気が早いのね」
「あ、すみません。つい……」

「いいの。私、この名前嫌いだから。ロザリアが良い。ロザリア・ディ・エルヴァニス」
「そうですか……では私から、もう1つわがままをよろしいですか?」
「なーに?」

 ヴォルツは姿勢を正し、静かに告げた。

「貴女の姓をください。ディ・エルヴァニス――この場で私は、カスケリオンの名を棄てます」
「……わかった」
「ありがとうございます!」

 ヴォルツは、今度こそ穂香の前に完全に頭を垂れた。
 王家への恩義も、騎士としての栄誉も、その瞬間、すべて後ろへ置き去りにした。
 悔いはない。
 むしろ誇らしい。

「では、ロザリア・ディ・エルヴァニス様。ご命令を!」
「ふふ……ゴホンッ!」

 穂香――いや、ロザリアはわざとらしく咳払いをし、月下にて胸を張る。
 その姿はまだ未熟で、どこかぎこちない。
 けれどヴォルツの目には、確かに宝国を照らす未来の女王として映っていた。

「では、ルーンプリンス隊長『ヴォルツ・ディ・エルヴァニス』に命じます」

 月明かりの下、金髪の麗人が高らかに告げる。

「私、貝塚穂香改め『ロザリア・ディ・エルヴァニス』を――栄えある悪徳令嬢に仕立て上げなさいッ!!」

 ヴォルツは深く、深く頭を垂れた。
 

「――仰せのままに、我が主よ」

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