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『異端の鬼才 ビアズリー展』三菱一号館美術館


所在地:東京都千代田区丸の内2-6-2
会期:2025年2月15日(土)~5月11日(日)
アクセス:各路線東京駅丸の内南口より徒歩5分
観覧料:一般 2,300円、大学生 1,300円、高校生 1,000円
鑑賞日:2025年5月1日

5月1日(木)

着物仲間の友人と、ビアズリー展へ行ってきました。

オーブリー・ビアズリー(1872-1898)はよく彗星のごとく現れたと言われます。
25歳で亡くなったため、あっという間に駆け抜けた印象が強いです。
退廃的とも言える作風のために、好き嫌いが分かれるかもしれません。
日本では人気があり、マンガ、デザイン、イラストなどに影響を与えました。

1927年 唐草文様 包装紙

資生堂を象徴するデザインとして、現代まで引き継がれる「資生堂唐草」。この文様は、オーブリー・ビアズリーの作品から着想を得て、当時の意匠部の手によって連続模様化されたものです。

三菱地所株式会社プレリリース


私にとってビアズリーといえば、オスカー・ワイルド著『サロメ』(岩波文庫の福田恒存訳)の挿絵が筆頭に浮かびます。

ネットで検索してみたら、今の表紙はこうなっているんですね。
この表紙もビアズリーの絵です。

孔雀の羽をモチーフにしており、ジャポニスムの影響が伺えます。
ビアズリーは19世紀末のジャポニスム世代、そのため日本人にとりわけ好まれるのかもしれません。

このドレスの裾にも孔雀模様が使われています。

出典:wikimedia commons
(パブリックドメイン)


「サロメ」はもともと新約聖書の”マタイによる福音書 第14章”に出てくるお話です。
読んでいないのにさも読んだかのように語るのをお許しください。

サロメは、ユダヤのヘロデ王の後妻の連れ子。
ヘロデ王に「踊りを舞ったらご褒美に、望むものをなんでもやろう」と言われて踊ります。
踊り終え、何を望むか問われた時、母親が「洗礼者ヨハネの首と言いなさい」とサロメに囁きます。
母親ヘロディアは洗礼者ヨハネに恨みがあったのですね、不倫の末にヘロデ王と結婚したことを、批判されていたので。

この話をもとに、オスカー・ワイルド(1854~1900)が書いた戯曲が『サロメ』です。
新約聖書のサロメは母親に言いなりの、おとなしい女子ですが、戯曲のサロメは魔性の女。
ヨカナーン(ヨハネ)に一目惚れするも、冷たくあしらわれ、振り向いてくれないのなら、いっそ殺して自分のものにしようと思います。
ご褒美にもらった首は銀の皿にのせられて運ばれてくる。
ヨカナーンに口づけをし「とうとう口づけしたわ」と満足。
そのシーンが、この有名な作品。

筆者撮影
会場は部屋によって撮影可でした

オスカー・ワイルドはイギリス人ですが、イギリスでは上演を禁止されました。
内容がいかがわしいのと、聖職者の首を切るってどうよ?
結局、彼の生前には、イギリスで上演されることはありませんでした。

そもそもワイルドは、様々な女優と浮名を流し、美少年に女装させて連れ歩くなど、何かと人騒がせな御仁だったのですね。

しかし一方で、児童文学『幸福の王子』も彼の作品であることをみなさまご存知でしょう。

『サロメ』を日本で最初に翻訳したのは森鴎外です。
1913年に上演され、ヒロインを演じたのは松井須磨子でした。

出典:Xよりお借りしました


明治から大正時代に活躍した女優さんで、自然主義文学と新劇運動を牽引した島村抱月とは恋仲でした。

余談ですが、松井須磨子は、俳優養成学校に志願したとき、鼻が低いと言われて、鼻筋に蝋を入れる整形手術をした、日本初の整形美人なのだそうです。その後、蝋がずり落ちたり、顔全体が炎症を起して腫れたり、後遺症に苦しんだとのことですが、当時の美容整形に蝋が使われていたことにはびっくり。



さて、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の英訳版に挿絵を描いたとき、ビアズリーは21歳。
彼の才能に感銘を受けたワイルドから、直々のご指名。

しかし、制作が進むにつれて両者の間に軋轢が生まれました。
ビアズリーはワイルドの意を汲まず、自分の描きたいように描いたのです。
性的な暗喩をしたり、プロポーションをデフォルメしたり、時代考証を無視した衣装を着せたり、作中には出てこない登場人物を描き込んだり。

サロメがお化粧をするこのシーンは戯曲の中になく、関係ない人がまわりにいるし、必要以上に露出しています。

『サロメ化粧』
出典:wikimedia commons
(パブリックドメイン)

サロメのおへそがでっぱっているのがワイルドは気に入らず、ビアズリーに描き直すように言いました。

『ヨカナーンとサロメ』
出典:wikimedia commons
(パブリックドメイン)

するとできあがってきた作品は、こちら。
いつもの繊細なタッチに比べ、手抜きしたのが明々白々。

『黒のケープ』
出典:wikimedia commons(パブリックドメイン)
角ばって張り出した肩のデザインは、
武士の裃から得た着想ではないかという説があります。

ワイルドは年長者で、すでに知名度がありました。一方ビアズリーは若き新人です。ワイルドが気分を害するのも当然かと思いますが、ビアズリーはさらに挑発するかのように、ワイルドを変顔にして描き込んだりしました(右下)。

似ていなくもないような。

出典:wikipedia

そんなことができたのも、すでに戯曲以上に挿絵が人気になったせいもあるかもしれません。

1895年、ワイルドが同性愛の罪で逮捕されると、ビアズリーにも嫌疑が及び、表舞台から姿を消すこととなりました。

その後も仕事はあったものの、7歳で患った結核が悪化し、25歳の若さでこの世を去ったのでした。


『サロメ』にまつわるエピソードだけで、2000字を超えてしまいました。

展覧会ではビアズリーが手掛けたもっと多くの作品や、当時の時代背景となったアングロ・ジャパニーズ・スタイルの調度品などの展示もあり、見ごたえたっぷりでした。

ナイフ





<着物生活普及運動>

あいかわらずお出かけは着物が多いのですが、カメラマンの夫が上海へ行ってしまったので、写真を撮ってくれる人がいないんです。

この写真は友人が撮ってくれました。

室内灯がオレンジ色だったので、グレーに見えますが、

実際の色。5月っぽいでしょ?


最後までお読み頂きありがとうございました。

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