炎と森のカーニバル

皆様、ご無沙汰しております。
あいもかわらずうだつの上がらない毎日を過ごしている私ではございますが、ただどうしようもなく文章を書き残したい夜があるのです。
それは、CDTVで好きなアーティストが昔の曲を披露しているのを見たことに影響されて身の丈に余る表現欲を一丁前に昇華したくなったからかもしれないし、珍しく人との関わりを多くもてそうな予感に心が浮ついているからかもしれません。
それでもいいじゃないですか。人は自分を開示することで初めて人になるのですから。毒にこそなれ、薬には絶対にならないこんな文章を一方的に投げつける、それが僕を人たらしめるのです。

とはいえ、新時代のハイボール、おばあちゃんが作る味噌汁、マネージャーが作る粉ポカリ、百均の靴下、2年かけて書いた卒業論文、中日の応援歌を歌う隣人の声が響くうちのアパートの壁の如く薄い日々を送る私に日常の出来事を元にした面白エッセイを生み出せるわけもございません。当然、意義のあるありがたいお説教をできるような立派な坊主でもないわけです。

果たしてそうでしょうか。日常こそ確かに薄いかもしれません。
学生と同じ待遇で意味のないアルバイトにありえない長時間従事し、休みの日はその身体の酷使が祟って15時に起きれれば良い方。別に腹が減っているわけでもないのにUber Eatsで注文したマックを貪り食い、それもまた祟って金がなく、思い立ったら安価に時間を潰すことができる一人カラオケ(2時間ドリンクバー付き780円)か一円パチンコ(1/319の初当たりまで投入できる元手がないためもちろん甘)でひたすら人生を浪費する。
そう、この最底辺の生活をしている僕だからなにを言っても良いのです。
その言葉は誰のもとにも説得力を持って届くことはなく、どれだけ支離滅裂なことを謳っても何か言っているわと流してもらうことができるわけです。

ということで私が最近ずっとキレていることを発表していきたいと思います。
それは、「冷笑系」という言葉です。
人の熱い主張や取り組みに対して一歩引いた立場でまるで鋭い視点を自分だけが持っているように腐すような行いをすること、ひいては流行っているものを嫌悪することなどにまで使われるようになってきているこの言葉。私は、自分にその気質があるからか、「冷笑」自体にはなんとも思わないのです。冷笑の場面を見てもその人にはその活動やコンテンツが刺さらなかったのかなーと思うだけで済むのです。人には人の思うことがあるわけですから。
僕が許せないのは冷笑系に当たった時の反応です。
「冷笑系ですか?w」「冷笑乙w」「捻くれて生きててもいいことないよ」「時代は熱笑系だろ」
カスどもが。お前たちがしていることは「冷笑」そのものじゃねーのかよ。
流行り物を一緒くたにラベリングして腐す「冷笑系」に対して、たまたま王道を生きることができているだけの人間が自分達と感覚の合わない人間をラベリングして腐している。これは非常にけしからんと思うわけですよ。所詮は同じ穴の狢であるのに最近見知ったような言葉で手軽に人を下げ気持ちよくなっている現状に非常に憤りを覚えている次第であります。
この文章こそ「一歩引いた自分だけ気づいているかのような鋭い視点で流行り物を腐す行為」にほかならず「冷笑」に当たるのでしょう。いいよ。もう冷笑系でいいよ。俺を冷笑することでお前達も冷笑系になるんだから。
こちらが冷笑を覗くとき、冷笑もまたこちらを覗いているのだ。

大変お見苦しいところをお見せしました。我を忘れてブチギレてしまいました。ここからは僕が落ち着くものを羅列していくので皆さんも落ち着いてください。
自室
屋上
海辺
トイレの個室
電車のドア横
窓際
コーヒー
スープ
クッション
盆地
そよ風
7時半
明け方
木漏れ日
初恋のあの子の声
キッズスペースのあるマクドナルド
東進の休憩スペース
スーパー併設のたこ焼き屋
掃除のために机を後方に下げる時間
市民センターの椅子
コンビニアイス
遠回りの帰り道
図書館
ラインの着信画面
誕生日
返信待ちの日々
全く集中できない模試
フードコート
博物館併設の公園
フードコート
いつもより早い電車
いつもの倍かかった帰り道
いつも通りの帰宅時間
そして
終わったはずの恋

おいおいおい
これ落ち着くもの並べてると思ったら
途中から”あの日”じゃねーか!!
文字通り最高だった日々じゃねーか!

なんでもないようなことが宝石のように輝いていた日常。
未来への可能性は無限であると疑いもしなかったあの日々。
起きること一つ一つがどうしようもなく楽しくて、その瞬間だけを考えて生きていられた時間。

どれだけ欲しがったってもう戻ることはないのです。
戻らないものに取り憑かれて、進むことのできなくなった人間から振り落とされていくこの社会。私はすでに脱落してしまっているのかもしれません。

それでも、生きていかないといけないのです。
受け入れ、おもねり、慮り、忖度し、生きていく。
それが大人なのです。苦しみばかりのこの世界でちっぽけな私ができることはただ表現することだけなのです。炎のように熱く今を生き、森のように深く自分自身を表現する。そう、人生とは炎と森のカーニバルなのです。ミイラ男も踊ってる、そんな人生を謳歌しましょうじゃありませんか。
さもなければ
この子の命が
危ない
と、あと5年で魔法使いになることができる私が言っていました。
またいつか、近いうちにお会いしましょうね。YOKOHAMAにある遊園地で。












 

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