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【創作BL小説】メランコリー・キッチン

 もう限界だと思った。
 
 何度も口論になってはその度にやり直した。つかみ合いになったかと思えばそのままベッドに傾れ込んだり、笑いあった次の瞬間に怒りをぶつけ合ったり、そんな事ばかりだ。今日だって、仕事終わりの電話越しの軽口から意味もなくヒートアップして、俺と遥希は盛大に喧嘩した。

 間接照明もついていないリビングは、夜景の明かりで薄らと青色に包まれていた。握ったままだったスマートフォンの画面を表示すれば、時間はもう午前2時になろうというところだった。あれだけ飲んだのに、とっくに酔いは覚めていた。むしろ居心地の悪さだけが残っている。
 


 遥希は、あの人の前では借りてきた猫のようになる、あの綺麗な顔が絵画の天使みたいに微笑みを浮かべて、柔らかな声で会話を楽しむ。それを見るたびに居たたまれない気持ちになる。頭では、遙希はあの人が好きなのだとわかっているのに、わかっていて、俺はあの人にきっと勝ち目なんかないのだともわかっているのに、心では遥希が、それを認めようとする自分のことをまったく許せない。
 
 遥希が時折俺に心を許するふりを見せるたびに期待が膨らんでは、あの人を見つめる遥希の目を見るたび萎んでいく。何度もそんなことを繰り返して、諦められたらどれほど楽だろうと思ったことも一度や二度ではない。今日だって、もう諦めようと思って独りになったのに、独りになった途端思い出したのは、心底おかしそうな顔でたばこの煙を俺に吹きかけてくる遥希の笑顔だった。

(俺はいつまで苦しんだらいい?)


 コートも脱がないまま暗いダイニングに向かい、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。普段は二人か三人で食卓を囲むテーブルを横目で見れば、その上にはラップの掛けられた皿がいくつかと、空の茶碗とグラスと箸が一人分。おそらく、俺の分の夕食だったのだろう。口喧嘩に嫌気がさして電話を乱暴に切った後、勿論夕食はどうするとか何時に帰るだとかの連絡はしなかった。それでも、たぶん、遥希が用意していたのだろう夕食の残りにまた無駄な期待が膨らんでゆく。

 ああ、でも。
 
 俺のいない二人だけの食卓はどんなにか遥希の機嫌を直すのに良かっただろう。
 今は暗いこの食卓も明るいオレンジの照明に照らされて、ラップの下で黙っている鶏のトマト煮が暖かい湯気を立てていて、遥希が作るときはなぜかりんごの薄切りの入っているポテトサラダも作り立てで、俺が一人で飲んでいた時もきっと二人でワインを飲みながら談笑をしていたのだろう。ドラマみたいに完成された食卓が目に浮かぶようだった。
 ダイニングテーブルの椅子を引いて、冷めきった一人分の食事の前に座る。どうしようもなくつらかった。寂しくて情けなくて悔しくて、頭が熱くなる。

 まあ、泣いてもいいか。どうせ俺ひとりだし。

 冷めきった皿を手繰り寄せて、ラップを開ける。ポテトサラダの中にりんごの皮の赤がちらほら覗いている。箸を手にとって一口食べる。最初はりんごの甘さがあまり口に合わなかったのに、今ではこれが当たり前になっていた。ゆっくり噛み締めると、勝手に涙が出てくる。丑三つ時に飯を食いながら泣いている成人男性の図を側から見るのをそうぞうするとぞっとしないな、と思いつつ、またポテトサラダを口に運ぶ。おいしい。鶏のトマト煮の皿のラップも剥がして、箸を入れようとした瞬間、リビングの方から衣擦れの音が聞こえた気がした。一瞬手が止まり、リビングの方を見やる。

「ひろ……?」

 んん、と伸びをしたような声のあと、自分の名前を呼ぶ声がした。そのあとすぐ、ソファから誰かが立ち上がる音がして、スリッパの音がぱたぱたと鳴る。
 ルームウェアの上にガウンを羽織った遥希が、目をこすりながら暗いリビングからダイニングへと歩いてきた。ぱち、とダイニングの電気をつけて、俺の横に寄ってくる。
 
「ん、飯食べてこなかったのか」

 夕方の剣幕が嘘のように穏やかに、そう言いながら。俺の手からトマト煮の皿を取り上げて、剥がしたラップをかけ直す。そのままレンジに突っ込んでトマト煮を温めなおし始めたかと思うと、こんどは伏せていた空の茶碗を持って炊飯器の方へと向かう。遥希はご飯をよそいながら、「あ、お前ちゃんと手洗っただろうな」と話しかけてくる。あまりに自然な動作をぼうっと目で追っていると、ご飯の盛られた茶碗を持った遥希が首をかしげる。

「なんだよジロジロ見て。つーか手洗ったかって聞いてんだろ。あと面倒くさがらないでちゃんとあっためろよ」

 冷たかったらあんまり美味くないんだから。仕方ないなとでも言いたげに笑いながら、茶碗を俺の前に置いて、そのまま温めが終わってピピピと電子音を鳴らしたレンジの方に向かう。俺は箸を持ったまま、鼻をぐずつかせてそれを見ていた。

 オレンジの照明に照らされた食卓に、ほかほかの湯気を立てている夜食。涙で歪む視界の中、向かいの席に遥希が座る。頬杖をつきながら、自分で持ってきたグラスに手酌でワインを注いでいる。
 温め直されたメインに箸を入れると、鶏の身が柔らかくほどける。一口食べて、ゆっくりと咀嚼する。

「うまい?」
「……うん」

 そう答えた時の遥希の顔は、絵画の天使みたいに微笑んでいた。

 

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