父からの1通の手紙ー春の旅立ちのときに
こんばんは。yamaです。
夜ご飯を食べてリビングてうかつにもソファでうたた寝をして、目覚めてiPhoneを見ると、Saka.先生から連絡をもらっていることに気づきました。
私は、ただいまSaka.の教室のメンバーシップに参加しています。そのメンバーシップの限定企画で春のバトンを繋げよう!という企画に参加しています。一度回ってきていたのですが、その頃、私はストレスにより胃潰瘍になっていたこともあり、Saka.先生のはからいで最後に回しておきますということで時間をいただいて、今日とうとう順番が回ってきました。
詳しくはこちら↓
私は、39番目の最後の走者になります。
一つ前の走者はよりまるさんです。
私はよりまるさんの記事から連想して最後の記事を書くことになります。
38番目の走者、よりまるさんの記事はこちら↓
よりまるさんの記事を読んで、私はすぐさま自分の亡き父のことを思い出さずにはいられませんでした。これは偶然じゃないような気がしてなりません。それで、最後の記事として、私もまた父のことを思い出して記事を書いてみたいと思いました。この偶然に心が震えずにはいられません。本当にこんな素敵な春のバトン企画があるでしょうか!
よりまるさんの、春のバトンの記事の中で書いていたこの文章に惹かれました!
あれから僕は、転職、結婚、うつ病、離婚、
破産…、そして再婚。
本当にいろんなことを経験しました。
まだ「咲いた」と言えるかどうかはわかりません。
でも今なら、父の言葉をこう受け取れます。
「咲かない春」じゃなくて、
「咲く準備をしていた春」だった。
実は私も、就職、結婚、精神疾患、離婚、借金、再婚。
と、よりまるさん同様本当にいろんなことを経験しました。
このことは私の心に大きな驚きをもたらしたと同時に、私に最後のバトンが、よりまるさんから回ってくることになったのにも、何か大きな意味があるような気がしました!
これからの私のnoteの記事にも新しい方向性が見えてきたように感じます。
「父からの1通の手紙」
私は、三姉妹の次女として生まれ、徳島の片田舎の一軒家で18歳まで何不自由なく暮らしました。父は徳島県庁の職員として、私たち5人家族の大黒柱として一生懸命働いて育ててくれました。
私はそんな無口で真面目な父を尊敬していました。
私が高校を卒業して、大阪の短大にいくそんな折、父は1通の手紙をくれました。それは、白い封筒に入った白いシンプルな縦書きの線が入った便箋に書かれてありました。
その1枚の便箋に書かれていたことで印象に残っているのは「何か一つ自分がこれだと思って信じたことをとことんやってみなさい。」という言葉でした。
教育委員会などにも知り合いの多い父でしたが、その私が大阪で一人暮らしをするという旅立ちのときに手渡してくれた手紙は、教育をされただなんて微塵も感じさせない、心のこもった家族愛に溢れた内容でした。
怒られたと感じることもなければ、手を挙げたことなんて一切ない父でした。
高校に行っていたときに、朝寝坊をして遅刻しそうになる時は、何も言わず
納屋から玄関先の前庭に自転車を出して置いておいてくれるような、さりげない優しさのある父でした。
いつも休みの日は、家族みんなでどこか行こうと誘ってくれて、みかん狩りやぶどう狩り、神社、仏閣などの徳島のあらゆる名所に連れて行ってくれて、長い休みの日には四国内の小旅行にも車で連れて行ってくれるようなおでかけの好きな父でもありました。
父の病気
そんな家庭を大切にする父が、私が高校を卒業する前に膵臓がんになったことを知りました。
若かった私は、本屋さんに行って膵臓がんについて一体どういう病気なのか、治るものなのか、治療はどうすればいいのか、調べてとても痛みの伴う治る見込みの少ない病気であることを知り愕然としました!
「信じられない」
調べても調べても、父がこの世からいなくなることは受け入れ難い事実でした。
それで、父にはそのことは言わないでおこう!と、家族みんなで決めました。父に対して嘘ををついている後ろめたい気持ちと治る見込みのないというもどかしさがおそってきては消え、消えてはまた事実を受け止めなければいけないという現実に押しつぶされそうになりながら受験勉強をして、受かったのはたった一校だけでした。
英語の好きだった私は、2次募集でなんとか関西の外短大に受かったのです。
そして、実家でいるよりも一人暮らしを選んだ私ー父は短大を卒業したら家に帰ってきたらいいよとも言いませんでしたが、なんだか寂しそうにしていたように思います。
何か一つきわめてみよう
そんな、私が大阪に行く数日前に、父から1通の手紙をもらったのです。
父の字は達筆で、とても丁寧な文章が書いてありました。
1人で読んでいると、読めなくなるほ涙がとめどなく流れてきて、手紙の字がかすみました。
お父さんから離れようとしている自分に対して怒りと戸惑いのようなものが押し寄せてきました。
しかし、父の言う「何か一つやってみなさい」と言う気持ちに助けられて、希望を持つことの大切さを教えられたように感じ、家を出ることを決心しました。
今から思えば、私の人生で一番心に残った教訓みたいなものとして、いつも迷った時はその父の手紙に書かれてあった言葉を思い出します。
春は出会いと別れ、そして新年度を迎えて、何か新しいことを始めるタイミングでもあります。
歳を得てもなお思い出すのは、その父の手紙の言葉と「何か一つきわめてみよう」という希望の混じった挑戦する気持ちの大切さです。
私は、今まで生きてきて、精神疾患にもなりましたが、心にいつも希望を持っていました。どれだけ苦しい時も辛い時も、父の言葉は今も心の中に静かに強く燈のように輝いています。
最後に
春のバトンをつなぐ最後の走者として、皆さんの心の中に何かメッセージが伝わったでしょうか?
5月末、新緑の季節がやってきています。
新学期が始まって、いろんな出会いがあり、何かを始めた人もいるかも知れません!
私も、57歳になってもまだまだ学ぶことがあり、人から教えられることもまだまだあります。
年齢は精神年齢とは違いますよね!自分の経験がありそのことで教えられることは、失敗を重ねても希望を持って挑戦をしていくことで、幾つになっても成長できると信じています。
何歳だからと言い訳をせず、心の燈を持ち続けて、父の言葉をたった1人の息子にも繋いでいきたいと思います。
皆さんの心の中ににある思いやりのバトンを親しい人に繋いでいけたら、希望の絶えない世界になるのではないかと思っています。
春のnoteバトンをつなぐ限定企画に参加して本当に良かったと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
