けっこう頑張っているのに、なかなか上手くいかないと思うあなたへ
こんにちは、ポスパム(@pospam.life)です。
新緑と初夏の風が心地よい時期になってきましたね🌱一方で、「五月病」という言葉があるように、新年度の疲れが出てきてしまう時期でもあります。
この記事ではヨガの古典『ヨガスートラ』の中から、少しお疲れ気味になりがちな現代の生活にも役立つ”教え”をわかりやすくご紹介します 。

ヨガの本来の目的とは
ヨガの本来の目的は「心の動きを止滅(しめつ)させること」にあります 。私たちは日々の生活の中で、さまざまな出来事に心を惑わされますが、それらに振り回されず、静かに、精妙に、自分を保つことが非常に重要です 。
その鍵となるのが、心の惑いを静めるために不可欠な二つの概念「アヴィヤーサ」と「ヴァイラーギャ」です 。
アビヤーサ (Abhyasa): 目的達成のために、長期間、熱心に繰り返し練習・努力すること。
ヴァイラーギャ (Vairagya): 結果に対する執着、欲、過去の失敗や評価を手放し、心を穏やかに保つこと。
修練(アヴィヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)
『ヨガスートラ』では、「アヴィヤーサ」と「ヴァイラーギャ」の二つが揃うことで心の動きが止滅に近づくと説かれています 。
アヴィヤーサ(修練・実践) は、繰り返しの練習や、日々の実践を意味します 。ヨガであればポーズや呼吸法の練習ですし、仕事であればスキルの習得にあたります。
ヴァイラーギャ(離欲・離れる欲) は、結果や報酬、あるいは「もっと上手くなりたい」といった執着から離れることを意味します 。
この「修練」と「離欲」のバランスが、あらゆる物事において非常に大切です 。
「執着」がもたらす弊害

何事も努力して詳しくなるほど、人間は「もっと注目されたい」「お金が欲しい」といった欲が出てくるものです 。しかし、修練にばかり意識が向き、離欲(手放すこと)ができていないと、自分を見失ったり、他人に厳しくなったりしてしまいます 。
例えば、ヨガの練習を一生懸命にするあまり、体に痛みが出るまで無理をしたり、他人の練習を「あの人は甘い」とジャッジし始めたりするのは、修練に執着して離欲ができていない状態です 。本来、ヨガは自分を整えるためのものなのに、ジャッジをすることで心はかえって波立ってしまいます 。
日常生活における「離欲」の重要性
「離欲」という考え方には、野球の大谷翔平選手のようなトップアスリートの姿勢にも通じるものがあるかもしれません 。彼は純粋に野球が好きで、自分の可能性を広げるための「修練」を積み重ねています 。お金や名声といった「欲」に執着せず、離欲の状態にあるからこそ、結果的に素晴らしい成果がついてきているのではないでしょうか 。
身近な例では「片付け」も同様です 。
家を綺麗にするために努力する(修練)のは良いことですが、「綺麗な状態」に執着しすぎると、散らかす家族に対してイライラしてしまいます 。心当たりはありませんか?これでは、家族の幸せのために片付けているはずが、本末転倒です 。手段(片付け)に執着し、目的(家族の幸せ)を見失っている、つまり離欲ができていない状態といえます 。
まとめ
「アヴィヤーサ(修練)」と「ヴァイラーギャ(離欲)」は常にセットです 。 一生懸命に努力はするけれど、その結果には執着しない 。このバランスを意識することで、心は穏やかに保たれます 。
もし今、あなたが「頑張っているのに上手くいかない」と悩んでいるなら、何かに執着しすぎていないか、離欲が疎かになっていないかを一度考えてみてください 。執着を手放すことで、意外な解決策が見つかるかもしれません 。私自身も、この二つを上手く使い分けながら人生を歩んでいきたいと思っています 。皆さんも一緒に、軽やかな心を目指しましょう。

そんな気づきを与えてくれる、自分の先生を育てるヨガをオンラインで行っています。よかったら遊びにきてくださいね。
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