天職って何?~高学歴ポンコツ会社員だった私が人生を楽しめるようになった理由
私、かつては会社が大っ嫌いでした。仕事が毎日とにかく苦痛で20代の頃ずっとこう思っていました。
私の天職はこれじゃない!本当に私に合う仕事と職場はきっと、ここじゃないどこかにあるはず!!
これが大いなる勘違いだと気づくのに、10年以上かかっちまいました。
私は学生の頃、大学と大学院で社会学を勉強していて、フランスにも2年半留学していました。そのまま研究を続けようか迷ったけれど、たまたまとあるメーカーに就職口があり、新卒としては遅めの26歳で入社。
配属されたのは、まさかの工場。

生産管理の部署でした。文系・理系で言えば、理系の仕事です。現場の生産効率を上げるカイゼンをして、労務費の予測を立てて工場の予算管理をするお仕事。
1ミリも私が学生時代にやってたことと関係なし。会社では当時「ダイバーシティ」を謳い、私みたいな文系学生も理系の仕事に積極的に採用してました。
でも、今思えばこの仕事、私には本当に向いていなかった。
カイゼンの成果が出ない。
現場の人とうまく関係が築けない。
労務費計算には膨大な時間がかかる。
プレゼン資料を作るのもヘタ。
なんせ会社に入るまで、パワポもエクセルも触ったことなかったし。
同期が次々に成果を上げてどんどん出世コースに乗っていくのを横目に、私はずっと同じところで躓いてました。普通、もうちょっとできるやん?てことが、全っ然、自分にはできない。あまりにできなさすぎて、逆に今なら笑える。
でも当時は、超深刻に悩みました。
一応フランスの大学院まで出てたので、自分が周りと比べてここまで「できない」ことがショックで。苦しかったですねぇ。
社会人てこんななん?ここじゃないどこかに行けば違うのん?
そんな風に思うけど、「ここじゃないどこか」がどこかはわからない。アピールできるスキルもない。結局、転職にも踏み切れず。
そうして気づけば6年が経ってました。

6年経って、仕事はどうにか人並みにこなせるようになりました。めちゃくちゃ時間がかかっていた労務費計算もさくっとできるようになり、ぎこちなかったパワポ資料もたまに人から褒められるくらいになり、ぶつかりまくった現場の方々とも次第に打ち解けて居場所ができていきました。
でも、全く楽しくなかった。それはおそらく、いつも自分を誰かと比べていたからです。
私より仕事のできる会社の同期と。
夢だった仕事に就いている友達と。
子供の頃に憧れていた自分の幻想と。
その全てに比べて当時の自分が、あまりにもちっぽけで力不足だったから。
私にとって生産管理の仕事は、「嫌い」で「人よりかなり苦手」なものでした。それを続けていたら「嫌いじゃない」「人並み」にできるようにはなりました。
だけど、もしそれが最初から「好き」で「人より得意」なことだったら、「もっと好き」で「誰にも真似できない」ものになっていたかもしれない。だから私、ずっとこう思ってたわけです。
私の天職はこれじゃない!本当に私に合う仕事と職場はきっと、ここじゃないどこかにあるはず!!
でも「これじゃない」なら何なのか、6年経ってもわからない。
いつも自分を誰かと比較して自分にダメ出しばかりしていたら、自分の評価=人からの評価になってしまって、もはや自分の本心なんてわからなくなっていたんだと思います。そして、そのことに無自覚でした。
それでも仕事環境を変えたかった私は、自分のやりたいことを必死に頭で考えて、社内公募で経営企画に異動しました。
めでたく工場から本社に移った私は、きれいなオフィスでのびのび働きだしました。工場で6年間着ていた作業服ともお別れ。その解放感と言ったら!

でも、しばらくするとまたやってくるんです、「これじゃない」感が。
そりゃそうです、この仕事は私が頭で考えて「やりたいことにした」だけで、自分の心が希望していたことじゃなかったから。でも自分では気づいてません。だから同じことを繰り返します。
経営企画で働いて2年。ふたたび異動希望を出して通ったのが、社内イチ激務で知られる部署でした。そこは「商品プロジェクト収益の全責任を負う」という、24時間365日稼働体制の特殊部隊。
担当プロジェクトは10以上。すべて海外市場に展開していました。朝4時半に起きてアメリカとの会議に向かい、日中はずっと他部署と打ち合わせ、夕方はヨーロッパと会議。定時以降にようやくデスクで仕事をして、帰宅は0時を過ぎることも。土日のどちらかは持ち帰った仕事をし、どちらかは死んだように寝ていました。
そんな生活が1年ちょっと続いたある日、私は会社で倒れます。適応障害と診断され、そのまま休職に入ることになりました。
それから2年近くが経過して休職期間が満了する頃、ようやく重い腰を上げて転職活動を始めました。この転職活動が、私の人生を大きく変えることになったのです。
エントリーに際しては、それこそ何十と求人票を見ました。その中で、求人票を見た瞬間に直感的に「あ、私、この仕事やれる」という確信を持った会社が1つだけありました。分析の結果ではなくあくまで直感でしたが、なぜか心の底から深く自然にそう思えたのです。
そこは大手メーカーの子会社で、イケイケドンドンとは真逆の雰囲気。事業企画の仕事で無事に内定をいただいたものの、ワクワクしたり成長できたりするような仕事とは全く思えず、入社するのをためらってギリギリまで返事を先延ばしにしていました。
そこへ、人事の方からこんなご提案がありました。
入社から6か月間は、正社員ではなく契約社員という形をとるのはどうか。ただし、給与や福利厚生はすべて正社員と全く同等の条件。契約であれば、退職希望の場合、自己都合退職ではなく契約期間満了という形にできる。継続希望であれば、条件そのまま手続きなしで正社員に切り替えさせてほしい。
驚きました。そんな前代未聞の条件を検討してまで私に来てほしいと言ってくれる会社、他にあるだろうか?そう自問して、初めて気がつきました。
物足りないように見えたこの仕事は、前社での生産管理・経営企画・プロジェクト収益管理、すべての経験が確実に活きる仕事です。
もしかしたら仕事って、こちらから求めるばかりじゃなくて、「あなたにこれやってほしい」って向こうからやって来るのかも。私が自分にできることをやって、それが誰かに喜んでもらえる。それって最高じゃない?

こうして私は転職を決めました。いざ入社して蓋を開けてみたら、それまで「人並み」と思っていたスキルが転職先では「人より得意」レベルでした。評価も上々で、ぶっちゃけ仕事はかなり楽。好きではないけど嫌いじゃない。働くことがものすごく楽になりました。
そしてふと気がついたのです。
前の会社で倒れるまで働いていたころ、どんなに努力しても自分を人と比べるばかりで、会社を離れたところでさえも、ありのままの自分に満足することが一瞬たりともなかったということに。ありのままの自分には価値がないから、大きな会社で大きな仕事に貢献することによって、自分の人生に価値があると思おうとしていたことに。
働くことが楽になった今、働くことの価値観が180度変わりました。会社に自分の生きがいを託すことをキッパリとやめたのです。
そうしてようやく、私は文章を書くのが好きだったと思い出しました。それで今、会社員生活のかたわらちまちまと自分の人生をつづっています。
私にとって、自分の天職が何かは今もわかりません。モノを書くことが天職だと能天気に言うつもりもありません。でも、とりあえずはそれでいいと思っています。
間違いなく言えることは、今までの経験があったからこそ、それを喜んで受け入れてくれる会社に出会えたということ。そこで、会社での仕事とは別に自分の人生を満たすことを考え始められたこと。
「嫌い」で「苦手」なことが、私をいつの間にかこんなところへ連れてきてくれたことに、人生の不思議を思います。
