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「同じような服ばっかり」は、良い意味でクローゼットの最終形態かもしれない話

ご無沙汰しております。エミッコです。

またnoteを書きたい。
と思って早数年が経過していたし、私はちゃんとその分オバサンになっていた。
やっと重い腰が上がったので、今日はコレ。

クローゼットが「同じような服ばっかり」なのは、実は誇るべきことなのじゃないか。

という、ここ数年で気付いた話を書こうと思う。

数年ぶりだが、相変わらず長いと思う。というか、長くならない術をまだ学んでいない。少しでも文字数を減らそうという涙ぐましい努力で、本日はですますを遠慮させていただく方式を採る。

「同じような服ばっかり」は、果たしてネガティブワードなのか

少なくとも昔の私は、自分のクローゼットが「同じような服ばっかり」になることは、あまり好ましいことではないと思っていた。
雑誌の着回し企画を舐めるように…いや若干舐めながら読んでいた若かりし頃の私は、例えばパンツであれば
・ベーシックなデニム
・ワイドパンツ
・きれいめの細身のパンツ
と、「同じじゃない服」をラインナップするからこそ着回しが効き、洒落た人に見えるのだ。と信じていたフシがあった。

しかし45歳になった今の自分のクローゼットを客観的に見てみると、まあ見事に「同じような服ばっかり」である。
しかもおかしなことに、私は今の自分のクローゼットがこの上なく好きで、大のお気に入りだ。
そして、今後もっとババアになった自分がこれを着てたらなかなかのイケババアだな、と思う服ばかりなので「同じような服ばっかり」なのに1つも手放したいとも思わない。

つまり私は、若い頃憧れた「同じじゃない服のラインナップ」を捨てた結果、ババアになるまで着たい服が並ぶクローゼットを手に入れたらしい。
ということは、「同じ服ばっかり」はネガティブどころかむしろ正解寄りだった可能性が高い。

と最近気付いて、どうしてもそれを誰かに話したかったなうである。

「同じような服」でも、本人にとっては「全然違う服」

一口で「同じような服」とは言っても、実は様々な「同じような」がある。
例えば「同じような色ばっかり」「同じような形ばっかり」「同じような素材ばっかり」「同じようなアイテムばっかり」とか、など。

私はもっぱら「同じような形ばっかり」先行のタイプで、例えばスカートはマキシのフレアばっかり、パンツは太いのばっかり。
何なら同じブランドのほぼ同じ形のパンツを素材や色違いで複数本持っていて、冷静に見ればもはや「同じような服」を通り越して「ほぼ同じ服」ですらある。

しかし、本人にとっては「全然違う服」なのだ。そこが重要なのだ。
その同ブランドのパンツを例にとると、形こそほぼ同じだが

・厚手のブラックデニム
・薄手の濃紺デニム
・ライトブラウンのチノ
・ラメ刺繍入り

・・・うん。ほら、全く違うものである。色と素材が違うだけでばく、それぞれの持つムードも違う。
だから形は全く同じで構わないのだ。

そういえば今気付いたが、黒のロングスカートもブランド違いで3枚持っている。

・コットンローンの、ティアードのフレア
・ビニールみたいなメタリック素材の、フレア
・ハリのあるチノ素材の、裾だけボリューミー

・・・うん。やはり全く違うものである。色と丈が同じでも、やはりこいつらは完全なる別人格だ。

これが、「本人から見てもほぼ同じ服」なら、わざわざ複数持つ必要はないかもしれない。けれど、本人の感覚として「全然違う服」であるなら、それはまさに「全然違う服」であり、クローゼットでの同居が可能なものだと思っている。

なぜ「同じような服ばっかり」になったのか

そもそもココである。
「同じような服ばっかり」になった結果、ババアになるまで着たい服が並ぶクローゼットを手に入れた。というのは、ひとえに「なぜ同じような服ばっかり」なのか。に起因する。

過去から現在にいたる私の思考は、こんな風だった。▼

※「同じような形」先行型の私はカタチの話をするが、「同じような色」先行型の方は色に、素材の方は素材に置き換えてご回想いただければ有難い。

「合わない服」をやめた - その1. 体型に合わない服をやめた

冒頭で例に出した、私が正義だと信じていた雑誌の着回し企画の "バリエーション豊かなパンツ群"。
これを手に入れようと、私は過去に幾度となくトライしてきた。

そして、見事に惨敗してきた。

いかんせん私は脚が短く、異常に尻がデカイ。それも、デカくてプリっとしててカッコイイ尻ではなく、巨大ピーマンの煮物みたいな、重力に全負けした垂れ下がり贅肉尻だ。
当たり前のことだが、シュっとした細身ストレートのパンツを穿けば、パンツよりも煮ピーマンが主役になってしまってパンツに申し訳ないし、私は恥ずかしいし、誰にもメリットがない。
細めのセンタープレスのパンツのかっこよさに憧れて何度挑戦したかわからないが、私が穿くとポークビッツの上に煮ピーマンが貼りついている状態だ。シルエットは哀しく崩れ、妙なシワが寄り、カッコイイわけがない。
それでも、着こなしをこうすれば・・・とか、靴にボリュームを出せば・・・とか色々足掻いてみたが、ある時悟った。

え何これ無駄過ぎる。

「合わない服」をやめた - その2. 続けられない服をやめた

シャツってすごくカッコイイ。
パリっとしたシャツを着こなす女性がとても好きだし、憧れる。

だがしかし。
自分が着るとなると、こうなる▼

・そもそもパリっとさせる手間がめんどくさい
・頑張ってパリっとさせても、ガサツだから座りジワとかすぐ出来ちゃう
・そのくせ、シワがめっちゃ気になるしめっちゃ嫌
・じゃシワの気にならない洗いざらしを・・・いや、好みじゃねぇ
・何ならそもそも首に襟が触れる感覚が好きじゃない

うん、全滅だった。

ADHD+HSS型HSPと人生を並走している私には、パリっとしたシャツを用意することも、カッコ良く着ることも、心地よく着ることも、全て難易度が高過ぎたのだ。

そしていつしか、シャツを選ぶことをやめた。大丈夫、私にはロンTとスウェットがある。

こうして私は、似合わないものを欲しがることをやめた。
細身のセンタープレスのパンツとシャツが似合う女性を目の保養にする、ワイドパンツとスウェットの人として生きることにしたのだ。

合わない服をやめたら、残る選択肢は合う服だけ

そんなこんなで、「同じような服ばっかり」の正体とは、

色々な意味で合わない服をやめ、合う服だけを取り込んだ結果

だったわけである。

合わない服をやめると、おのずと選択肢が削られる。
選択肢が減ることはなんだか良くないことのように思えるが、しかしこうして残った選択肢はどれも、私にとって

・比較的似合いやすい服
・生活や性格に合う、続けられる服

だけだ。

(もちろん同じアイテムであっても、生地やディテールによって似合うもの/似合わないもの、続けられるもの/続けられないものがあるが、それはまた別の記事で。)

そしてその選択肢の中から更に厳選すると、結果として「同じような服ばっかり」のクローゼットが出来上がってくる。
そこに並ぶ服達はどれも一様に

・(選択肢から外した服たちと比較すると)圧倒的に似合ってる服
・着るにしても、メンテナンスにしても、ストレスがない服

であり、そんなこんなで

このクローゼットを愛せないわけがない。

という状態になってしまっていたのだ。

「同じような服ばっかり」は私とクローゼットの成長の結果だったらしい

タイトルを「クローゼットの最終形態かもしれない」としたのは、合う服だけを着るようになり、同じような服が増えれば増えるほど、ビックリするほど快適になり、持っている服への満足度のみならず、服を着ること自体への満足度までもが上がっているからだ。
そりゃあそう。だって、「合う服しかない」のだから。

一見、バリエーション豊富なクローゼットの方が満足度が高そうに思うし、事実昔はそう信じて疑わなかった。
それに、もし私がどんな服でも着こなせるプロポーションと顔面を持っていて、かつADHDやHSPと共生していなければ、実際にそうだったのかもしれない。

けれど、少なくとも私の体型と顔面と性格で生きている以上は、「同じような服ばっかり」の方が圧倒的に満足度が高かったのだ。

昔も今もそれなりに服の数は多い。正直、服の数は昔とそう変わらない。ミニマリストには程遠い。
が、昔は憧れや欲しい気持ちだけで突っ走った結果とっ散らかっていた私のクローゼットが「同じような服ばっかり」になるにつれて、1本の軸のようなものが現れはじめ整ってきた感覚がある。

このまま「同じような服ばっかり」を厳選して大切に少しずつ増やしていったら、いつしか大ババアになる頃には、自分にとって最高に満足な「私の最終形態」なクローゼットになるんじゃないか、とワクワクしている。

つまり、「同じような服ばっかり」は 「これしか似合わない」という諦めの結果ではなかった。
むしろ己を知る成長だったのだ。

そう、つまり私とクローゼットは、どうやら成長しているらしい。

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