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【3話】愛みのリリウム

 放課後、リリアンは一人で学園の図書館を訪れた。

 貴族が通う学園は国の中でも多くの本を所蔵している。神が作った学びの場である学園には神についての本が教会と同じくらい置かれていた。
 本棚から何冊か本を選んで手に取る。椅子に座り、一冊の本を開く。

「……神とは」

 神とは、世界を創造し、生き物を創った存在である。
 人間とは、一人で過ごしていた神が共に生活する者を求めたため、生まれた存在であり、人間は神と姿かたちが似ている。

 人間を創った神は死んだ魂を裁く。罪なき者を楽園へ。罪を持つ者は、その場で魂が焼かれる。

 楽園へ行った者たちは神のそばで過ごす。
 人間は神のいる楽園で生活できるまでに、勉学、規律を重んじる心、技術などあらゆる教養を身につけなければならない。現世はそれを学び、身につける場所である。

 現世で生きる人間は自らの力で夢や目標を得なければならない。だが、道に迷うとき、神は人々を導く。その言葉は御使いを通じて、神の代弁者である象徴が伝える。人々はその言葉に従うことで、自身を向上させる。

 自ら命を絶つことなく、誰かの手によって殺されることもなく、寿命をまっとうした者たちは神のもとへ行くことができる。

 神とともに過ごすことが人間の目標である。

「……これだけ、ですよね」

 本に書かれているのは、神の教えと一般常識だ。
 どの本を読んでも、同じようなことばかり書かれており、新しい情報はない。そしてどの本にも悪魔についての記述はない。神の言葉を残した聖典にも悪魔に関する記述はなかったのを覚えている。
 リリアンは顎に指を当てて考える。
 悪魔は存在しない? では、昨日あった少女はいったい……。

「おや、勉強熱心ですね」

 顔を上げると、若い男性の司書がテーブルの前に立っていた。茶色かかった髪は短く揺れ、筋肉の付いた腕や胸元はまるで騎士のように鍛え抜かれていた。

「えっと……」
「君のことはよく見かけていたよ。本が好きなのかな?」
「はい。本は好きです」

 優しく問いかけられ、リリアンは思わず笑みをこぼした。

「自分を知らない世界に連れていってくれて……幸せな気持ちになるのです」

 そう言って顔を上げると、彼は顔を赤らめてリリアンを見ていた。

「あの……?」
「あ、いや。そうなんだね。本が好きなのは良いことだよ」

 彼はそう言うと、自身の胸をトントンと叩いた。

「何について調べているのかな? よかったら、私が本を紹介しましょう!」

 リリアンは少しためらうように視線を下げる。言っていいのだろうか。そう思いながら、小さな声で言った。

「……神と悪魔について調べています」

 それを聞いて司書は茶色の瞳を細めて、微笑ましそうな表情を浮かべた。

「おやおや、まだ悪魔のことを信じているんだね」

 彼は眉を下げて笑いながら謝った。

「でも、ごめんね。悪魔はおとぎ話の中でしか存在しない。だから、本として残っているものはないよ」
「そう、ですよね」

 カーッと顔が赤くなる。リリアンは恥ずかしくなって立ち上がった。

「教えていただきありがとうございます」

 司書に対して礼をすると、本を片付けて図書館を出た。

「あ……また、来てね!」

 彼に手を振られ、リリアンは一度振り返って頭を下げてから歩を進めた。

「……はぁ」

 思わずため息が出てしまい、リリアンは口をおさえた。
 悪魔についての情報がそんなに簡単に出てくるものではないとわかっていた。自分でも今まで悪魔を物語の中に出てくる存在だと思っていたのだから。

 人が少なくなってきた廊下を歩きながら、小さく呟く。

「でも、どうしたら調べられるのでしょう」
「あら、リリアン。どうしたのですか?」

 独り言が聞かれてしまったようだ。顔を上げると、優しそうな笑みを浮かべるマルヴィナが立っていた。

「何か悩み事かしら」
「えっと……神と悪魔について調べているのです。ですが、神についての記述はたくさんあるのに、悪魔については書かれていなくて」

 マルヴィナは「あらあら」と頬に手を添えた。

「あなたが調べものなんて珍しいわね。いったいどうしたの?」

 昨日のことを思い出す。
 黒い髪に紅い瞳の少女。彼女はリリアンに『神のことを知れ』と言った。どうしてそんなことを言ったのかわからない。だが、彼女の言葉はどこか……責めるようで憂いているように聞こえた。

「私にはまだまだ知らないことがたくさんあります。私は自分の考えが正しいと思っていました。でも……知らないことを知れば、もっと違うものが見えてくるのかもしれないって、そう思ったのです」

 マルヴィナは目を細めてリリアンを見た。

「とても良いことですね。視野が広がれば、色々な考え方をすることができますからね」

 彼女はそう言うと、人差し指を顎に添えながら考えるように首をかしげた。

「そうねぇ。確かに、悪魔についてのことを書いている本はほとんどないわね」
「どうしてなのでしょうか?」
「本は人が書いていますからね。自分が残しておきたい内容を書き残すものよ。どの情報が正しいのか。それを判断するのは自分次第だわ」
「どうして先生はそこまで詳しいのでしょう」

 マルヴィナはにこりと微笑む。

「私は教師歴が長いですからね。卒業した教え子たちと一緒にお茶会をすることもあるから、いろんな人からお話を聞くことできるの」

 彼女はそう言うと、「そうそう」と思い出したように手を叩いた。

「そういえば、ウィリアムがあなたのことを心配していたわ。私も、あなたが一人で行動していることが気になっていたの」

 今朝、ウィリアムが話しかけて来たことを思い出す。彼が話したかったことはこのことなのだろうか。

「学園の関係者がいなくなっているわ。神の仕業かもしれないし、そうではないのかもしれない。けれども、事が落ち着くまで、ウィリアムと一緒に行動してはどうかしら?」
「それはウィリアムに迷惑ですよ」

 リリアンの言葉にマルヴィナはくすりと笑う。

「それはどうかしら。本人に聞いてみてはいかが?」

 彼女はそれだけ言うと「では、ごきげんよう」とその場を去っていった。


 リリアンは校舎を出ると、裏庭にいた猫のことを思い出した。
 あの果物を食べてくれただろうか。生徒たちが正門へ向かって歩いていく中、そっと裏庭の方へ足を向けた。

 放課後の裏庭は静かだった。きっと隠れているだろうと、木の陰を探して歩いた。

「猫さん、どこにいるのでしょうか……」

 そう言いながら周りを見回ると、猫の足が見えた。それ見て、リリアンは顔を輝かせたあと、すぐに目を大きく開いて、顔をこわばらせた。

「…………っ」

 猫は横たわっていた。触らなくても冷たくなっているとわかった。
 綺麗なところに住んでいる貴族にとっては、野良猫など汚らわしい存在であったのだろう。猫には不自然な傷がいくつもあった。

「……どうして」

 命は強い者に容易く奪われて、失われていく。自然の摂理なのだろう。
 だが、自分みたいな者が生きているのに、どうしてこんなにも簡単に死んでしまうのだろうか。
 本来なら必死に生きている魂こそ、救われるはずなのに……。
 そう思いながら、指先でそっと、その猫に触れようとした。

「――どうしたんだ?」

 リリアンはハッと顔を上げる。前と同じように猫を隠すようにして立ち上がった。

「ウィリアム……」

 何でもないように笑みを作ろうとしたが、上手く頬が動かない。その様子に何か勘づいたのか、ウィリアムは優しく声をかけた。

「大丈夫? 俺に手伝えることはない?」
「…………っ」

 思わず自身の足元に目を向ける。その視線を追って、ウィリアムもその足元を見た。そして、猫の姿を捉えた。

「……死んでいるのか」

 彼はしゃがむと、猫の様子を窺う。その瞳には嫌悪の色はない。むしろ辛そうな表情で猫を見ている。

「助けてあげたかったのですけど……。私にはこの子を埋めることもできません」

 ウィリアムは何か考えるようにこちらを見ると、上着を脱いで猫を包んだ。

「俺が預かるよ」
「でも……」
「一緒に埋めに行こう」

 ウィリアムがついてくるように促す。リリアンは彼の背中をついて行った。
 馬車に乗せられて着いたのは教会だった。教会の隣には墓場がある。神の元へ行った人たちを称えるための墓石が並んでいる。

「何かありましたか?」

 礼拝堂の扉の前で立っていると、メアリーがこちらへ歩いてきた。
 リリアンはいつも一人で来る。だから、誰かと一緒にいるのが珍しかったのだろう。二人を見比べると尋ねてきた。

「猫を埋めたくて」

 ウィリアムの言葉にメアリーは彼の腕の中にあるものを見た。彼女は悲しげに眉を寄せて、うなずいた。

「……わかりました。人の墓地に埋めることはできませんが、近くの木の下に埋めると良いでしょう。……一人は寂しいですものね。人々のそばに埋めてあげてください」

 墓地に向かうと、その真ん中に大きな木が立っていた。その付近の草はまだらで、ほかにも埋められている様子があった。
 猫を埋めて、二人で手を組んで祈った。

「リリアンがこの猫の面倒を見ていたの?」

 彼の言葉に首を横に振る。

「面倒というほどでは……一度、食べ物をあげただけです」
「そっか。……でも、悲しいよな」

 思わず大きく目を開いた。そして、眉を下げてうつむいた。

「……そうですね。悲しいです」

 一回、顔を合わせただけの猫だ。一緒に遊んだわけでも、撫でたわけでもない。

 それでも、悲しいと思ってしまう。一度関わった以上、もう関係のなかった頃には戻れない。

「少しでも関わってしまったら、悲しいものなんですね」

 自分がいなくなったら、今の家族はすべて元通りになるような気がしていた。けれど、きっと自分がいなくなったら、二人を悲しませてしまうだろう。

 ……じゃあ、私はどうしたら大切な人たちを幸せにできるのでしょうか。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
続きはカクヨム、小説家になろうにて公開中となります。5話の途中からとなります。
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