【ネタバレあり】一組の夫婦の10年の軌跡を描いた映画『ぐるりのこと。』感想
あらすじ
「ハッシュ!」で国内外から注目された橋口亮輔監督の長編第4作で、ある夫婦の10年間におよぶ希望と再生の軌跡を、1990年代から2000年代初頭に世間を騒がせたさまざまな事件を背景に描いた人間ドラマ。
小さな出版社に勤める生真面目な性格の妻・翔子と、マイペースに生きる夫・カナオ。美術大学出身のカナオはテレビ局で働く先輩の紹介で、法廷画家の仕事を始める。やがて夫婦の間には初めての子どもができるが、生まれてすぐに亡くなってしまい、翔子は心のバランスを崩していく。うつになった翔子を、カナオは全身で受け止めようとする。夫婦はさまざまな困難に直面しながらも、ともに乗り越えていく。
妻・翔子役で木村多江、夫・カナオ役でリリー・フランキーがそれぞれ映画初主演。2009年・第32回日本アカデミー賞にて木村多江が最優秀主演女優賞、第51回ブルーリボン賞にてリリー・フランキーが新人賞を受賞した。倍賞美津子、柄本明、寺田農といったベテラン勢に加え、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人ら個性的な俳優たちが脇を固めた。2009年・第59回ベルリン国際映画祭パノラマ部門出品作。2026年7月、4Kリマスター版にてリバイバル公開。
ずいぶん前に観た『ぐるりのこと。』が、7月24日(金)に4Kリマスター版として映画館で上映されるらしい。
とのことなので、もう一度観てみた。
本作は、一組の夫婦の約10年間を描いた物語だ。
主演の木村多江とリリー・フランキーが演じる翔子とカナオ。
この二人の関係は、どこにでもありそうで、でも簡単には言葉にできないリアルさを持っている。
物語の序盤、翔子はしっかり者で、生活をきちんと回している人物として描かれる。
一方のカナオは、どこかルーズで頼りない。
いわゆる“ちゃんとしていない大人”だ。
それでも不思議と憎めず、二人のバランスはどこかうまく保たれているように見える。
しかし、子どもの死という出来事を境に、その関係は大きく揺らぐ。
翔子は少しずつ心を閉ざし、現実との距離をうまく取れなくなっていく。
その変化は劇的ではなく、日常の延長線上で静かに進んでいくからこそ、観ていてつらい。
カナオは状況を一気に変える力も、気の利いた言葉も持っていない。
ただ、それでも翔子のそばに居続ける。
この「何もできないけど離れないこと」が、この映画のいちばん誠実な部分のように感じた。
そんなカナオを演じるリリー・フランキーがとてもよかった。
この当時40代ということもあってか、妙な色気がある。
頼りなさや不器用さも含めて、人としての魅力になっている。
正直、それまで特別かっこいいと思ったことはなかったのに、今回改めて観てみると、不思議と印象が変わっていた。
今思い返すと、端役のキャストがかなり豪華だ。
光石研や田辺誠一、新井浩文といった俳優たちが裁判関係者として登場しているのも印象的だが、個人的に驚いたのは江口のりこと佐藤二朗だった。
ほんの1分ほどのわずかな登場シーンに江口のりこがいたり、『爆弾』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した佐藤二朗が、カナオの友人役として自然に紛れ込んでいたりする。
二人とも当時はまだチョイ役のような立ち位置だったのに、今では当たり前のように主役を張っている。
そう思うと、あのさりげない登場がなんだか面白く感じられる。
あと、この作品では、カメラのアングルをほとんど変えず、長回しで撮影されていると思われるシーンが度々登場する点も興味深い。
序盤に翔子とカナオが性生活のルールについて話し合う場面は、10分ほどカットなしで撮影されているように感じられるし、その後、翔子がカナオに感情をぶつけながら話し合うシーンも、ひとつのアングルで長回しされているように見える。
ある程度の台詞は決まっているのだろうが、アドリブのように感じられる台詞やリアクションも多く、その自然な空気感が印象的で楽しめた。
カナオの仕事である法廷画家という職業も、この映画に独特の重さを与えている。
裁判を傍聴し、その場で起きていることを絵として記録する。
言葉にするとシンプルだけど、実際にはかなり過酷な仕事ではないだろうか。
扱うのは、ほとんどがネガティブな事件ばかりだし、被告人の言い訳や開き直り、遺族の感情などを、逃げずに見続けなければならない。
自分だったら、確実に私生活に影響が出ると思う。
見たくないものを見続ける仕事、という意味で、かなり精神的に消耗するはずだ。
実際に描かれる裁判の中でも、とくに印象に残ったのが、加瀬亮が演じる田中ツヨシという被告人だ。
幼女誘拐殺人事件の加害者でありながら、その態度はどこまでも淡々としている。
自分が犯したことの重大さを理解していないかのように、まるで他人事のように証言を続ける。
その無感情さが、逆に異様で、ぞっとする。
おそらく実際の事件や公判の空気感をもとに作られているのだと思うけど、そのリアルさがかなりきつい。
内容もさることながら、「感情の通じなさ」に怖さを感じた。
そのあとに出てくる、法廷画家たちの「指がきれいだった」や「あいつ、肌きれいだよな」という何気ない会話も印象的だった。
あれだけの事件を前にしていても、人はどこか別の視点で物事を見てしまう。
それが妙にリアルで、人間の感覚の不思議さを感じた。
脇役たちも同様で、完全な悪人ではないのに、どこか無神経で、少しずれている。
特に、翔子の母や義理の姉が子どものことに触れる場面はつらかった。
それを聞く翔子の胸の内を、どうしても想像せずにはいられなかった。
善意と不器用さが同時に存在している。
その感じがとても現実的で、観ていて居心地の悪さを覚える。
翔子はカナオと本音をさらけ出したあと、少しずつ回復していき、再び絵を描き始める。
美大を出てから長いあいだ離れていた絵に、もう一度向き合う。
最初はぎこちないけれど、次第に夢中になっていく。
色を選ぶときの真剣なまなざしや、本を食い入るように見つめる姿を見ていると、好きなことに没頭するという行為が、こんなにも自然に心に作用するのかと思わされた。
もちろん、それだけで全てが解決するわけではない。
それでも、何かに集中する時間が、人を少しずつ回復させていくのだと、改めて感じた。
絵画教室のシーンも印象に残っている。
序盤のカナオは、自身が先生を務める絵画教室で、わりと軽い気持ちで女性に目を向けるようなところがある。
正直、嫁さん一筋という風には見えない。
でも、翔子が鬱になり、ふたりでその時間を乗り越えていく中で、彼の視線は少しずつ変わっていく。
後半、翔子がカナオの絵画教室に通うのだが、カナオはほとんど翔子のことしか見ていない。
没頭する翔子を見て、嬉しそうにやわらかく微笑むカナオ。
そこに言葉はないけれど、ちゃんと嫁を大切に思っていることが伝わってくる。
また、結婚式にまつわるエピソードも印象深い。
翔子とカナオは結婚式を挙げていない。
翔子は表向きには興味がないように振る舞っているけれど、どこかでドレスを着てみたいと思っているような気配がある。
一方でカナオも、経済的な理由で式を挙げられなかったことに、少なからず負い目を感じているように見える。
物語の終盤、そんな二人が偶然、結婚式を挙げている若い夫婦の前を通りかかる場面がある。
「私たちは別にいいわよ」
そんなふうに言いながら通り過ぎる二人。
でもそのあと、映画のラストで、金屏風の前で撮られた二人の写真が部屋に飾られているのが映る。
あの写真は、おそらくそのときに撮ったものだろう。
カナオが「撮ろう」と言ったのかもしれないし、もしかしたら何も言わずに、自然な流れでそうなったのかもしれない。
大げさな演出ではなく、ほんのささやかな形で、ふたりの関係が積み重なっていることが伝わってくる。
一緒にご飯を食べたり、家庭菜園のトマトを「おいしいね」と味わったり、お風呂に入ったり、絵の話をしたり……。
そんな何気ない日常を分かち合うことの積み重ねが、「夫婦」という関係をかたちづくっていくのだと思う。
『ぐるりのこと。』というタイトルが示すように、人生は自分たちの外側で起きる出来事に大きく左右される。
その“ぐるり”の中で、人は揺れながら、それでも誰かと生きていく。

