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駅チカの処方箋── 再開発できない駅前の現実解

「駅チカ」と聞くと、多くの人は大都市の再開発を思い浮かべる。
渋谷や大阪駅のように、商業・オフィス・住宅が一体となった複合開発。民間投資と行政の高度利用(容積率や高さ制限の緩和)が噛み合い、駅前が都市機能として更新されていく姿だ。

確かに、それが成立する街では、その選択は合理的である。
だが、このモデルを日本中の駅前に当てはめることはできない。
冷静に数字を見てみたい。

日本には、JR・私鉄・第三セクターを含めて約9,000の駅が存在する。
このうち、渋谷や大阪駅のように、民間投資が回り、行政が高度利用をカードとして切れる駅は、体感的にも構造的にも1%に満たない。多めに見積もっても、せいぜい90駅程度だろう。

次に、駅前に文化施設や市民会館を配置できる可能性を考えると、話はさらに限定される。
文化施設は行政単位での意思決定が前提となるため、日本に約1,700ある自治体の範囲までしか広がらない。

整理すると、こうなる。

  • 再開発モデルで救える駅:約90

  • 行政判断で救える駅:約1,700

  • そのどちらにも当てはまらない駅:約7,000

日本の駅前の現実は、この約7,000駅によって決まっている

にもかかわらず、駅チカの議論は、常に再開発が可能な「例外」を前提に語られてきた。
結果として、多くの駅前は「何もできない場所」として放置されてきたのではないだろうか。

ここで、非常に示唆的な事例がある。
長野県茅野市の市民館だ。設計を手がけたナスカは、文化施設を駅前に配置することで、再開発が成立しない地方都市の駅前を、行政判断が届く最大領域=1,700駅の世界まで引き上げた。

この事例がすごいのは、再開発できる90を狙わなかった点にある。
理想論に逃げず、制度上「できる範囲」を正確に見極め、現実的に救える最大数を確実に救った
それが、茅野市の駅前文化施設の本質だと思う。

さらに視野を広げると、関西本線沿線に、もう一つの重要な分岐モデルが見えてくる。
亀山駅、関駅、加太駅。この3駅は、同じ路線上にありながら、駅前の解が明確に分かれている。

亀山駅は行政単位の中心駅であり、駅前に文化施設を配置するという判断が可能だった。
行政が動ける駅前では、図書館によって交流拠点をつくる、という選択肢が成立する。これ学生には非常にいい。

一方で、関駅や加太駅は行政の中心ではない。
ここで同じことをしようとしても、予算も合理性も成立しない。
そこで取られたのが、駅舎や関連施設を無償譲渡し、民間や地域主体の交流施設として活用するという判断だった。

重要なのは、これが衰退ではないという点だ。
行政が動ける駅前と、動けない駅前で、解を分けただけなのである。
一つの路線の中に、二つの正解が同時に存在している。

ここで改めて考えたい。公民館と駅を、二つ持つ時代は、すでに終わっている。

人口が減り、財政余力も限られる中で、公共施設を重ねて維持することはできない。だからこそ、すでにある駅を使うしかない

駅を立派な施設にする必要はない。
大きなイベントも、派手なにぎわいもいらない。

学生が放課後に立ち寄れる。
地域の人が顔を出せる。
掲示板があり、小さな展示があり、ただ座れる場所がある。

それだけで、街は少しずつ動き始める。

学生が住みやすくなると、下宿が成立する。
アルバイトが回り、小さな商いが生きる。
経済を起こす前に、生活が回り始める

街が動くとは、人口が増えることでも、再開発が起きることでもない。
駅で人が立ち止まることだ。

再開発できる駅もある。
文化施設を置ける駅もある。
そして、何も建てず、何も集めず、それでも生きる駅前もある。

駅チカの正解は一つではない。
大切なのは、その駅で「できること」を、正直に選ぶことだ。

これが、再開発できない駅前に対する、駅チカの処方箋だと思う。

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