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0631 歴史2700年・タコ断ち祈願・関サバ「早吸日女神社」(大分県)

早吸日女神社はやすひめじんじゃのご利益

開運・運気上昇、厄除け、海上安全、航海安全、水難除け

早吸日女神社の360度ビュー

早吸日女神社はやすひめじんじゃについて

関サバ・関アジの大分市佐賀関にあり、古い歴史とたこにゆかりがあります。
創建は皇紀以前(初代神武天皇の即位より前)の、紀元前667年です。
開運、厄除け、海上安全、航海安全、水難除けのパワースポットです。

タコと神武天皇の東征が創建に直接関係しています。
佐賀関さがのせき(九州・大分)・佐田岬さだみさき(四国・愛媛)間の豊予ほうよ海峡は幅約15kmと狭いです。
潮流は速いですが、専門家ではないので魚がウマイ事との関係は不明です笑

神日本磐余彦尊かむやまといわれひこのみこと(のちの神武天皇)が高千穂(宮崎)から東征中、速吸瀬戸で船が進まなくなり天皇自ら海底を見ると、大蛸おおだこが神剣を守っていました。

入口の鳥居

昔、難所の速吸瀬戸はやすいせと(豊予海峡)の安全な往来を守る役割を神から命じられ、二つの岬に分かれ、剣と宝玉を持つ夫婦の大蛸おおだこが海底に居たのです。

地元の海女姉妹を海に潜らせ、大蛸おおだこから受け取った剣は神日本磐余彦尊に献上されると、かつてイザナギノミコトが海に落とした神剣だとわかります。(動画の昔話とは一致しません)。

手水舎
写真提供:大分市観光協会

神日本磐余彦尊かむやまといわれひこのみことはこの剣を御神体として祓戸はらえどの神、速吸日女はやすいひめをまつります。
そしてそこで建国の請願をしたことが神社の創建となりました。
剣と海峡を長く守った神の眷属であるたこを、当社神職は一切食しません。

蛸の石像。デザイナーは誰でしょうか。気になります。

速吸瀬戸の西側は夫のたこが守り、関の早吸日女神社に神剣がまつられ、
東側は妻の蛸が守り、佐田岬の野坂のさか神社に宝玉が、まつられました。
大分の対岸、佐田岬の周辺にも蛸を口にしない文化が伝わっています。

▼伊邪那伎社(境内社)▼

石鳥居は伊豆大島産の花崗岩と伝わり、寛永17年(1640)肥後藩初代藩主、細川忠利ほそかわただとしの寄進で、額は2代藩主細川光尚ほそかわみつなおの筆です。

細川忠利は島原の乱で息子光尚とともに活躍、天草四郎の首をあげます。
大名ながら柳生新陰流の達人で、両親は細川忠興・ガラシャ夫人です。
流浪の宮本武蔵を厚遇し、これが武蔵の五輪書ごりんのしょの執筆につながるのです。

次の熊本藩3代藩主細川綱利ほそかわつなとし(光尚の子)が総門を元禄10年(1697)に建立します。八脚門の宮崎県内でも珍しい形式です。
切妻造本瓦葺で細部の意匠が凝っていて、歴史的価値が高いものです。

3代藩主綱利は神楽殿も改修し、元禄時代の華やかな装飾を今に伝えます。
八角形の柱が特徴。改修前の神楽殿は、かの加藤清正が建立したものです。
▼神楽殿▼

本殿は宝暦13年(1763)に名君の誉高い熊本藩6代藩主細川重賢ほそかわ しげかたの再建。
檜皮葺ひわだぶきの端正な建築で、白壁と朱色の柱が美しく簡素な造りが特徴です。
この神社を代々の細川氏がいかに大切にしていたかがわかります。
▼本殿▼

拝殿は屋根と瓦に大きな特徴があります。さらに50畳の広さを誇ります。
瓦に唐獅子、虎に竹の意匠があり、屋根には浦島太郎と龍宮城が施された華麗なもので、誰による再建かは残念ながら不明です。

拝殿

▼龍宮城▼

▼浦島太郎▼

タコの絵を奉納して一定期間タコを食べずに願い事をするというとても珍しい「たこち祈願」を行っています。
もちろん、神剣を海底深く守っていた大蛸が由来となっています。

大きな藤棚ふじだなは地域の名所で、毎年5月に満開となります。
紫の花房が風に揺れる光景は壮観で、あふれる生命力が感じられます。

美しい藤棚
写真提供:大分市観光協会

スピリチュアルな話、早朝の参拝で風が吹いたときは、海の神が通った時。浄化と癒しを求める場合、藤棚付近はエネルギーが強くおすすめです。
切りたい悪縁がある場合、蛸断ち祈願をすると縁が切れます。

▼神明社(天照大御神をまつります)▼

アクセス(GoogleMaps)

公式サイト・参考サイトなど

▼参考サイト▼

▼一般向け記事:境内とタコ祈願▼

▼動画・渾身の記事・30点超画像▼

▼【公式サイト】▼

▼大分市観光協会▼

▼大分県・大分市文化財指定:本殿、総門、拝殿、神楽殿、石鳥居、画像9点で神社紹介、ポイント、アクセス▼

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