<講演のご案内>「遠友夏学校」 北大最初の女子学生・加藤セチ
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
今回は、セチの人生ドラマを紹介する 講演会 のご案内。
梅雨の無い北海道では、来月から観光シーズンです。
「百合が原公園」のユリ、
大通り公園のバラ、
北海道庁のスイレン、
よい季節です。
その北海道庁の少し先にある、北大植物園。
程近い会場で、
「遠友夏学校」が、今年も開校します。
今回は、私が、
本シリーズコラムで紹介してきた
「加藤セチ」の人生ドラマを
お話させていただきます。
北海道大学創基150周年記念
「遠友夏学校」
”北大最初の女子学生・加藤セチものがたり”
2026年6月27日(土)午前9時
於:北海道 札幌市
(無料。参加資格問わず。事前申し込み不要)

「遠友夏学校」
初めて聞かれた方は、
「どういう意味だろう?」
と思われるでしょう。
この名前は、戦前、
不幸にして教育を受けられない青少年のために
北大生がボランティアで教鞭をとった
「遠友夜学校」
へのオマージュです。
この学校を作ったのは、新渡戸稲造。
先々代の五千円札の顔ですね。
敬虔なクリスチャンだった新渡戸は、
かねて貧困や労働のために
昼間に学校へ行けない青少年が通える
「夜学校」(現在の定時制学校)を構想していました。
しかし、先立つ資金がありませんでした。
新渡戸夫人は、米国人でしたが、
ある年、かつて父親が引きとって、姉妹のように育った孤児が亡くなり、
遺産分けで、思わぬ大金を手にしました。
奇しくも、セチが生まれた、明治26年の出来事です。
新渡戸夫妻は、
それを資金に、
念願の「夜学校」を実現させます。
――遠く米国の見知らぬ友が、日本の恵まれない友を救う――
そうして、
「遠友夜学校」
が開校しました。
教師は、
新渡戸の薫陶を受けた北大生たちが、
給料なしで、引き受けました。
生徒を勧誘したチラシには、
「これ程どんな人でも入れる学校はありません」
「働きながら勉強できます」
「いくら年をとっていても差し支えありません」
「男でも女でもかまいません」
「月謝はいりません」
「先生は諸君の友達です」
と、書かれました。
実際、10歳から30歳くらいまで、幅広い男女が入学し、
この時代では異例な「男女共学」を実践しました。
「遠友夜学校」は、昭和19年に幕を閉じましたが、
その深いヒューマニズムの精神は、今もなお尊敬を集めています。

その魂を継承する事業も多く、
「遠友夏学校」も、そのひとつ。
主に、新渡戸たちのような、
先人の遺徳を偲び、
北海道や北大の歴史について、
「遠くから集まった友たち」と共に、
学ぶ行事です。
共催する「新渡戸遠友リビングラボ」は、
かつて「遠友夜学校」が在った、
豊平川近くの一角に、
遠友夜学校の記念館を建てるべく、
活動を続けておられます。

実は、セチも、夜学校で先生を務めたことがあります。
と、言っても「遠友夜学校」ではなく、
生まれ故郷の山形庄内にある、
狩川小学校(現在の 庄内町立 立川小学校)での話です。
セチは乞われて、
村の青年男女を相手に、
夜学校を開き、
珠算を教えました。
昼は、
小学生を教えていますから、
昼夜問わない、大車輪の働きでした。
教師の使命に燃えて、
時には、小学校に泊まり込むことすらありました。
セチは、
「遠友夜学校」の教師ではありませんでしたが、
それは、あまりに多忙だったからでしょう。
北星女学校の先生を務めながら、
北大に通っていたセチは、
負担が大きい「遠友夜学校」の先生にまでは、
さすがに手が出なかったようです。

札幌農学校から数えて150年。
記念の年に、
女子学生第一号の加藤セチを紹介できること、
私は嬉しいです。
もし、よろしければ、
「遠友夏学校」
ぜひ、お運びください。
古川 勝三 氏による
「台湾の農業を変えた日本人 磯 永吉」
の講演もあります。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」
(タイトル画像は、AI彩色および高解像度化したものです。
挿絵は、AI生成です)
