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「女は弱し、されど母は強し」            北大最初の女子学生・加藤セチ


「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
 著名な化学者として成功した、
 北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。

 女学生だった15歳の夏、
 実家は破産して、
 女ばかり四人が残されます。

 さて、セチたちは、
 いかにして、窮地を脱したのでしょうか?


「女は弱し、されど母は強し」

「レ・ミゼラブル」を書いたユゴーの言葉ですが、
 セチも、自らのエッセイの中に、引用しています。


 破産したセチの家。

 ここで、潔く自分の人生は投げ捨てて、
 娘たちに献身したのが、
 セチたちの母、錦(キン)です。

 キンは、
 かつて庄内藩家老だった、水野家の女子で、
 農村にあっては、
 異様なほどの気品を放っていた、
 と伝えられています。

 父の水野藤弥は、
 東北最強と言われた庄内藩の大隊長で、
 幕末の戦では、新政府軍を相手に、
 勝ちに勝ってのけました。

 そんな峻厳な武家の姫だったキンですが、
 加藤家に嫁いだ後はと言えば、
 最初は、大勢の使用人にかしずかれる奥方様だったものの、
 やがて自ら台所仕事までする羽目になり、
 ついには家が破産するまでに、
 転落しました。


 ところが、それで心折れるどころか、
 克己として立ち上がります。

 キンは上京し、
 当時、流行し始めていたミシン裁縫の教師になり、
 自力で稼ぎだしました。

 世が世なら、
 大身の武家の女子として、
 他人にかしずかれて暮らせるはずの身だったのに、
 思い切った転身です。

 ついには、
 セチを東京に呼び寄せ、
 東京女子高等師範学校(現在の、お茶の水女子大学)まで
 卒業させました。

 その後、
 セチは北海道に渡り、
 北大最初の女子学生となったわけです。



 ちなみに、セチは三姉妹の真ん中です。

 次女で、
 男勝りで、
 文学に堪能、

 といえば、
「若草物語」のジョーのようですが、
 実際、セチは、ジョーちょっと似ています。


 ついでに言えば、
 セチの姉は、代議士夫人におさまり、
 妹は、女学校の先生になりました。


 実は、キンは、
 セチにとっては、継母でした。

 実母は、セチが幼い時に、
 火事で亡くしています。

 キンにとっては、
 末娘の妹だけが実子でしたが、
 分け隔てなく、立派に育てたわけです。


 エネルギッシュで知られるセチをして、
「頑健さだけは、母にはかなわない」
 と言わしめた、キン。

 あるいは、セチ以上に、
「ヒロイン」
 と呼ばれるべき女性かも知れません。


「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
 第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
 下記リンクよりご参照いただければ、
 より詳しくお知りになれます。

 第1回「美人すぎて、科学者には向かない」

(タイトル画像は、AI彩色および高解像度化したものです。
 挿絵は、AIに生成させました)


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