匿名攻撃が意味を失う未来──攻撃的言動の可視化
匿名の人って気になりますか? 好きですか?
これまでにも述べてきましたが、年を追うごとに、SNSや匿名掲示板における誹謗中傷、過度な政治批判、有名人への罵倒、更にはより弱い者への八つ当たりのような言動が一層目立つようになっていますね。
これらは時に「社会への不満のガス抜き」として捉えられることもあり、放置される事が多いですが、その放置が本当に無害なのか、疑問に思う事も増えています。
実はこの現象は、単なるネット文化の問題ではなく、社会構造の変化や、AI・ビッグデータ社会の進展と深く関わってきそうです。

被害者意識と攻撃性の拡大
「社会に適応しづらい」「自分は評価されない」「生きづらい」と感じる人が、被害者としての立場に閉じこもってしまうと、他者からの(厳しいというほどではない)意見を「自分への攻撃」と捉えるようになってしまうんですよね。
そして自己防衛の延長として、より弱い対象を叩くことで自尊感情を回復しようとする……これはとても人間的な反応であり、私自身も無意識のうちにそうした行動をとってしまっていたこともあります。
そうする事が自身の尊厳を保つための精一杯の防衛手段な事も多いのですが、同時に社会的な危うさを多分に抱えていると感じます。

岡田斗司夫氏の提唱する未来(ホワイト社会)
参考としてですが、社会学者・評論家・ネット動画配信者の岡田斗司夫氏が、「ホワイト社会」と表現して以下のような社会の変化を語られていて、たいへん興味深いものでした。
「努力や成果よりも、誰にどれだけ好かれているか」が価値を左右する時代になる。
「裏アカウントも含めた発言履歴」が“その人の性格として評価されるようになる。
「攻撃性」「陰口」「噂好き」などの傾向が、未来の信用スコアに組み込まれていく。
これは決してディストピアではなく、悪い事をしようとしている人の情報も、逐一公開される事により、「誰もが安心して生きられるための情報可視化社会」という見方もできます。
ちなみに、プレゼンテーションカフェで行われるオフ会でも、この事についてなども話題によく上がります。真面目に考えたいお客様が多くいらっしゃるのは、店の者としてとても嬉しい事です。

■参考:Youtube 岡田斗司夫チャンネル
「コロナ戦争とホワイト革命 岡田斗司夫ゼミ#425(2022.1.9)」
「誰が何を言ったか」が残る時代へ
現在でもSNS上の投稿は記録として残りますが、将来的には発言傾向や感情のトーンまでもがAIによって解析・蓄積され、個人の「信用プロファイル(プロフィール)」として統合される未来が想定されます。
つまり、「攻撃的な発言を続ける人」は、いつかその人格傾向が「信用スコア」に影響する時代が来るということです。
たとえば、以下のような状況がすでに現実のものとなっています。
複数のWebサイトにまたがるターゲット広告で、個人情報が活用されている。
AIが複数のサービスを横断して、検索・分析・統合を高速で行えるようになっている。
中国の若者にとっては、監視社会や信用スコア制度、過酷な競争社会が日常的なプレッシャーとなり、それへの対処法が文化的行動にも反映されている。
これらは個人の信用プロファイル活用は技術的に可能である事を示しています。

この未来像は、岡田斗司夫氏が提唱してきた「評価経済社会」や「ホワイト社会」の未来展望とも一致しますね。
既に中国などでは信用スコアが国民番号と紐づき、各種サービスで活用されているようです。
行政がマイナンバー普及に力を入れてている日本でも、もういつ導入・利用がスタートしても不思議は無いでしょう。
放置の代償と、今すべきこと
ネット上でも現実社会でも、加虐的な言動の蔓延を放置してしまうとそれは次第に「許された文化」になり、他者不信と集団不適応を助長します。
逆に、表現や言動の傾向を記録・可視化することで、無責任な攻撃が「自分の人格として返ってくる社会」になれば、うしろめたい行動にもブレーキがかかるでしょう。
この変化は既に始まっており、「安心して発信し、誠実に評価される場づくり」は、誰かがやってくれるのではなく、この世界に影響を与えている私たち一人ひとりの選択にかかっています。
「自分の行動や匿名での攻撃なんてごくごくほんの小さな蝶の羽ばたきみたいなもので、それで世界が変わるわけなんてない」……なんて考える方もおられます。
でも、そのような考え方自体が自分自身をより過小評価させ、自ら自分の信用スコアを低下させる要因になっていく構図が次第に見えてきます。

今後やってくるのは、誠実さが評価され安心して過ごせる世界であると同時に、今以上に堅苦しくて息が詰まる社会かもしれません。
「大勢で誰かに攻撃を加えて盛り上がる」「不謹慎な遊びで仲間内での一体感を味わう」という娯楽(?)に興じていることが他者から見られるようになって、結果として自分が損をしてしまうのだとしたら……
不真面目に、不謹慎に、非倫理的に過ごしていると、今よりもっと過ごしにくい社会になるのならば、今自分がどう在るべきかによって人生の充実度はかわってくるのでしょう。
「叩いてもよさそうな誰か」より「応援したい何か」を披露しあう方が有利に
現在、XなどのSNSでは、強い口調で攻撃的政治発言や、誹謗中傷・侮蔑を行うアカウントに多数のフォロワーがあり、その発言にリプライやリポストなどの反応が多くつく事も珍しくありません。
これにより比較的容易に「バズる」という状況が発生し、その注目されている感を自己のアイデンティティにしてきた人もいるようです。

しかし「人を叩けば自分の評価が上がる」時代は終わりつつあります。
そして代わりに重視されるのは「誰を応援したか」「どのような関係を築いてきたか」といった、つながりの『質』なのかもしれません。
私自身も、自分が誰に支援して貰ったのか、誰を応援したいと思ったのか、という事を大切にしたいです。
「叩いてもよさそうな誰か」を攻撃してきたかを他人に見られる事を心配するより、どんな誰を応援したという事が自分のプロフィールに載る可能性を考えてみたいですね。
岡田斗司夫氏が語った未来は、もはや空想ではありません。 そして我々はもう今、その社会の入口に立っていると日々感じています。
安全に叩くける相手を探すより、応援したい誰か何かを上手にお勧めする事で得られる喜び、一緒に見つけていきましょう。
私の店「プレゼンテーションカフェ」は、そんな場所になれたら嬉しいです。
今後もこのブログ内でも、また店内での会話でも、未来に対応する自分の在り方について、考えを整理して行きたいと思います。
引き続き宜しくお願い致します。
