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若者は「無敵」になったのではない。金間大介『無敵化する若者たち』を読んで考えたこと

「2000年代って楽しそう」
「あの時代に生まれたかった」

この間、授業で生徒たちがそんな話をしていました。

私には少し意外でした。
2000年代は、私の感覚ではすでに「失われた30年」の中にある時代です。日本全体が明るく成長していた時代とは、決して言いにくい。

それでも、生徒たちには「楽しそう」に見えている。

その違和感が、金間大介さんの『無敵化する若者たち』を読んでいる間、ずっと頭に残っていました。

本書が描くのは、仕事にも出世にも恋愛にも、どこか距離を置く若者たちです。
将来には期待していない。
でも、今の自分はそれなりに幸せ。
無理に頑張らない。
傷つきそうな場所には近づかない。

一見すると、冷めているようにも見えます。
でも読み進めるうちに、私はこう感じました。

若者たちは「無敵」になったのではない。
傷つかないように、自分を守る生き方を選んでいるのではないか。

本書は東洋経済新報社から刊行された、金間大介さんの著書です。東洋経済STOREでは、前著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』の続編として紹介されています(※1)。


未来には期待しない。でも、今は幸せ

本書を読んでまず考えさせられたのは、若者たちの中にある「将来への悲観」と「現在の幸福感」の同居です。

日本財団の2026年の18歳意識調査では、日本の17〜19歳で「自分の国の将来が良くなる」と答えた割合は15.6%にとどまりました。一方で、「日々の生活が楽しい」と答えた日本の若者は63.7%います(※2)。

未来には期待していない。
でも、今の生活はそれなりに楽しい。

これは矛盾しているようで、実はとても現代的な感覚なのだと思います。

かつては、未来に期待することで今を頑張る、という幸福の形がありました。
努力すれば報われる。会社に入れば安定する。結婚して家を買えば、少しずつ生活が豊かになる。

でも、今の若者たちは、その物語を最初からあまり信じていません。

期待すれば、外れたときに傷つく。
夢を持てば、かなわなかったときに自分を責める。
挑戦すれば、失敗したときの痛みを引き受けなければならない。

だから、未来への期待値をあらかじめ下げる。
大きく勝とうとするのではなく、大きく負けない場所を選ぶ。

これが、本書でいう「無敵化」の一つの姿なのだと思います。 


「無敵」とは、強さではなく防御である

「無敵」と聞くと、何にも傷つかない強い人を想像します。

でも、本書を読んでいると、若者たちの無敵さは、攻撃力ではなく防御力なのだと感じます。

失敗しそうなことには手を出さない。
責任が重くなりそうな役割は避ける。
評価されそうな場所には出すぎない。
摩擦が起きそうな人間関係からは距離を取る。

これは「怠けている」とも見えるかもしれません。
でも私は、むしろ彼らはかなり細かくリスクを見ているのだと思いました。

挑戦した人が報われるとは限らない。
頑張った人が守られるとは限らない。
失敗した人を社会が温かく受け止めてくれるとも限らない。

そういう社会で育てば、挑戦よりも防御を選ぶのは自然です。

若者たちは、夢を見られないのではなく、夢を見ることの危うさを知っている。
希望がないのではなく、希望に賭けたときの損失を計算している。

彼らは強くなったのではない。
弱さを見せずに済む場所へ、静かに移動しているのかもしれません。


恋愛も、仕事も、飲み会も「リスク」として見えている

若者の恋愛離れについても、本書は考えさせられます。

内閣府の令和4年版男女共同参画白書では、20〜30代の独身男性の37.6%、独身女性の24.1%が「恋人として交際した人がいない」と回答しています。特に、交際経験がない20代男性は4割近くにのぼるとされています(※3)。

この数字を見ると、「恋愛に興味がない若者が増えた」と言いたくなります。

でも、それだけでは少し雑な見方なのだと思います。

恋愛は、正解のないコミュニケーションです。
どこに誘うか。
どう連絡するか。
どのくらい距離を詰めるか。
断られた後に、どう振る舞うか。

どれも難しい。

しかも今は、失敗や違和感がSNSで見えやすい時代です。
「変な人」と思われること。
「重い」と受け取られること。
「気持ち悪い」と言われること。

そうした可能性が、若者にとってはかなり大きなリスクに見えているのだと思います。

これは職場でも似ています。

残業を当然とは思わない。
飲み会や社内行事にも、無理に合わせようとはしない。
仕事に人生を丸ごと預けない。

このあたりは、正直なところ、私自身もかなり共感してしまいました。

私も、残業はできるだけしたくありません。
というより、できるだけ定時の中で仕事を片づけたいと思っています。
ただし、仕事のクオリティは落とさないように心がけています。

飲み会も同じです。
人と話すことが嫌なわけではありません。
むしろ、話していて面白い人たちとの飲み会なら行きたい。

でも、ただ「会社の行事だから」「付き合いだから」という理由だけで参加する飲み会には、あまり魅力を感じません。

これは冷たいというより、時間や気力をどこに使うかを選んでいるのだと思います。

そして、コロナ禍もこの感覚を後押ししました。

職場の飲み会はいったん強制的に止まりました。
その結果、多くの人が気づいてしまったのだと思います。

飲み会に行かなくても、仕事は意外と回る。
断っても、人間関係は思っていたほど壊れない。

BIGLOBEの2022年調査では、コロナを理由に飲み会などを断ったことのある人の約8割が、今後も誘いを断る傾向があると発表されています(※4)。

コロナ禍は、若者だけでなく多くの人に、断ってもいい感覚を与えたのだと思います。

だから、「来ない若者」を嘆く前に、考えるべきことがあります。

その飲み会は、本当に行きたいと思える場になっているのか。
その残業は、本当に必要な仕事なのか。
その会社は、人生を預けたいと思えるほどの希望を見せているのか。

若者は冷めているのではなく、見ているのだと思います。


2000年代に憧れる若者たちは、何を見ているのか

ここで、冒頭の授業での話に戻ります。

生徒たちが「2000年代って楽しそう」と話していたとき、ある生徒に聞かれました。

「先生、2000年代はどうでしたか?」
そう聞かれて、私は少し考えました。

ケータイはありました。
メールもできたし、写真も撮れたし、インターネットにもつながった。

スマホについても、「まったくなかった」と言い切ると少し違います。
日本では2008年にiPhone 3Gが発売され、2009年ごろからスマートフォンの存在感が少しずつ出てきました(※5、※6)。

でも、私の記憶の中の2000年代は、まだ多くの人にとって生活の中心がガラケーだった時代です。

今のように、スマホが一日中手の中にあって、SNSの通知や誰かの投稿にずっと囲まれている感じではなかった。

うまく言えないのですが、今よりも少しだけ、社会全体がキチキチしていなかった気がします。

もちろん、2000年代がすばらしい時代だったと言いたいわけではありません。
景気がよかったわけでもないし、社会に不安がなかったわけでもない。

でも、今と比べると、どこかに余白があった気がします。

失敗がずっと残り続けない。
誰かの生活が絶えず流れてこない。
自分の現在地を、毎日のように他人と比較しなくてもよかった。

近年、平成レトロやY2Kファッションが若い世代に注目されているのも、単なる懐古趣味ではない気がします(※7)。

若者たちが求めているのは、過去そのものではなく、今の社会に足りない余白なのかもしれません。

便利すぎる。
見えすぎる。
比べられすぎる。
失敗が残りすぎる。
正解を求められすぎる。

そういう今の空気から少し離れて、もっと雑で、もっと不完全で、もっと気楽に見える時代に憧れている。

「あの時代に生まれたかった」という声の奥には、「もっと息がしやすい場所で生きたい」という願いがあるのかもしれません。


気持ちを変えるのではなく、行動を支援する

本書の最後で印象的だったのは、若者の「気持ち」を変えようとするのではなく、若者の「行動」を支援することが大切だ、という視点です。

これは、とても現実的だと思いました。

私たちはつい、
若者に対してこう言いたくなります。

「もっと前向きになろう」
「失敗を恐れすぎないで」
「やる気を出そう」
「主体性を持とう」

でも、気持ちはそう簡単に変わりません。

未来に希望が持てない社会で、「希望を持て」と言われても難しい。
失敗したら強く責められる環境で、「挑戦しろ」と言われても怖い。
報われる実感がない場所で、「頑張れ」と言われても心は動かない。

だから必要なのは、まず気持ちを変えることではなく、行動できる条件を整えることなのだと思います。

たとえば職場なら、いきなり「主体的に動け」と求めるのではなく、具体的に動きやすい形をつくる。

「この範囲なら自分で決めていい」
「ここまでなら失敗しても大丈夫」
「困ったらこのタイミングで相談していい」
「まずは小さく試してみよう」

そうやって、行動のハードルを下げていく。

気持ちが変わったから行動するのではなく、小さく行動できた経験が、あとから気持ちを変えていく

この順番を間違えてはいけないのだと思います。

若者に必要なのは、精神論ではありません。
必要なのは、前向きでなくても一歩動ける仕組みです。


おわりに:無敵化は、希望を信じにくくなった社会の鏡

『無敵化する若者たち』を読んで、私は若者を責める気持ちにはなれませんでした。

もちろん、若者の態度に戸惑う場面はあります。
職場で扱いづらいと感じることもあるでしょう。
恋愛や結婚、仕事への消極性が、社会の活力を弱めている面もあると思います。

でも、それでもなお、彼らをただ「甘えている」とは言えません。

彼らは、成長しない社会を見ています。
頑張っても報われるとは限らない現実を見ています。
失敗した人に厳しい空気を見ています。
期待したぶんだけ傷つく可能性を見ています。

そのうえで、期待しないことを選んでいる。
傷つかないことを選んでいる。
負けない場所に立つことを選んでいる。

それは、悲しいほど合理的です。

そして、その感覚は若者だけのものではありません。
私自身も、意味のない残業はしたくない。
話して面白い人たちとの飲み会にだけ行きたい。
自分の時間や気力を、できるだけ大切にしたい。

そう思っています。

だからこそ、本書を読みながら、「これは若者の話であって、若者だけの話ではない」と感じました。

若者たちは、無敵になったのではない。
無敵でいるしかない場所に、追い込まれているのかもしれません。

これから考えるべきなのは、若者をどう変えるかだけではありません。

若者が、少しずつ期待してもいいと思える社会をどうつくるか。
失敗しても終わらない社会をどうつくるか。
無敵でなくても生きていける安心を、どう取り戻すか。

気持ちを変えようとするのではなく、行動を支援する。
その小さな積み重ねが、結果として「少しやってみてもいいかもしれない」という気持ちを育てていく。

『無敵化する若者たち』は、若者論の本でありながら、実は私たちの社会そのものを映す鏡のような一冊でした。

「最近の若者はわからない」と言う前に、私たちは自分たちに問い直す必要があるのだと思います。

彼らに防御全振りの人生を選ばせてしまったのは、誰なのか。

若者は「無敵」になったのではない。
傷つかないように、必死で自分を守っている。

そのことに気づくところからしか、たぶん何も始まらないのだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました


参照元リンク一覧

※1 東洋経済STORE『無敵化する若者たち』

※2 日本財団「18歳意識調査 第78回 国や社会に対する意識(6カ国調査)」

※3 内閣府男女共同参画局『令和4年版 男女共同参画白書』第2節 結婚と家族を取り巻く状況

※4 BIGLOBE「コロナを理由に飲み会などを断ったことのある人の約8割が今後も誘いを断る傾向」

※5 Apple「ソフトバンクとアップル、iPhone 3Gを7月11日より日本で発売」

※6 木暮仁「スマートフォンの歴史」

※7 日本インフォメーション「平成レトロに関する意識実態調査」

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