63歳で人生をやり直したら、何を選びますか?――『マンダラチャート』が教えてくれた「人生は何度でも変われる」ということ
「もし、もう一度人生をやり直せるなら。」
そんなことを考えたことはありませんか。
もっと勉強していたら。
違う仕事を選んでいたら。
あのとき別の決断をしていたら。
年齢を重ねるほど、「もしも」は増えていきます。
垣谷美雨さんの小説『マンダラチャート』は、そんな誰もが一度は抱く思いを描いた物語です。けれど読んでみると、これは単なるタイムスリップ小説ではありませんでした。
過去を変える話ではなく、人は何歳からでも、自分の生き方を変えられるのかを問いかける作品だったのです。
63歳の主婦が13歳の自分に戻る
主人公・雅美は63歳。家族のために生きてきたものの、どこか満たされない思いを抱えています。夫の思いやりのなさ、特に「どんな話題であっても妻を見下そうとする」態度に深く傷ついているのです。
そんなある日、大谷翔平選手が高校時代に使っていたことで知られるマンダラチャートを書き始めます。
81マスの真ん中に、自分の本当の願いを書き込んだ瞬間──。彼女は1973年、中学一年生だった自分のもとへタイムスリップします。
知識も経験も持ったまま、もう一度人生を歩き直せる。夢のような設定ですが、現実は想像以上に厳しいものでした。
昭和は本当に「いい時代」だったのか
最近では
昭和を懐かしく描くドラマも増えました。
「人情があった」
「みんな元気だった」
そんなイメージを持つ人も多いでしょう。
しかし、本作が描く昭和はかなり違います。
令和の価値観を持った雅美にとって、それは息苦しい世界でした。
例えば、
・女子は大学進学を反対される
・就職の際も四大卒の女性は不利
・女性は自宅から通える会社しか応募できない
・職場ではお茶汲みが当然
・責任ある仕事は全て男のもの
・女性は結婚して家庭に入るものという空気
現代では考えられないような価値観が「常識」とされていました。
読んでいて印象的なのは、雅美が60年分の知識を持っていても、その時代そのものには簡単に勝てないことです。
知識だけでは変えられない。
社会には、それほど大きな壁があるのだと痛感させられます。
この記述が胸に刺さった
この作品で、私が最も印象に残った場面があります。人生をやり直した雅美が努力を重ね、大学へ進学したときのことです。
そして当時を振り返り、こう語ります。
高校の同級生の中で、大卒の資格が職業に生かせた女性は、教師か薬剤師になった数人だけだった。言い換えれば、教師か薬剤師ならば女の分際でも働き続けてよいと、世間が許可を与えていた時代とも言える。(※1)
この一文を読んで、しばらくページをめくる手が止まりました。
教師や薬剤師という仕事が悪いのではありません。
ショックだったのは、「女性が自由に仕事を選べた」のではなく、「社会が女性に許した仕事がその程度しかなかった」という記述です。
女性が大学へ行くこと自体が珍しく、その学びを生かせる場も限られていた時代。私が大学で学べ、教員として今まで仕事を続けてこられたのも、世間が許可を与えていたからだったのかも・・・。と、愕然としました。
ただ、私の高校時代の女友達には藝大に進み声楽家として活躍していたり、医学部に進み医者になっている人もいます。しかしそれは、私とこの主人公の7歳という年齢差(連載当時は2023年)がもたらしたものかもしれません。
今では当たり前だと思っている「進学する」「働き続ける」「自分で人生を決める」ということが、決して当たり前ではなかったことを、この一文は静かに教えてくれます。
天ヶ瀬もまた、人生をやり直して変わっていく
この作品で人生をやり直すのは、雅美だけではありません。もう一人、同じように人生をやり直す人物がいます。
それが天ヶ瀬です。最初の人生の彼は、昭和という時代の価値観をそのまま身につけた男性でした。
女性は家庭を守るもの。
男は仕事をして家族を養うもの。
そんな考えを疑うことなく生きてきました。
でも二度目の人生では違います。過去にタイムスリップした仲間である雅美と関わるうちに、自分がどれほど思い込みに縛られていたかに気づいていきます。
そして、女性だけではなく、自分自身もまた「男らしくあれ」という価値観に苦しめられていたことを知るのです。
強くなければならない。
弱音を吐いてはいけない。
家庭より仕事を優先する。
そうした価値観は、男性の人生も決して自由にはしてくれませんでした。
天ヶ瀬は人生をやり直したことで成功したのではありません。
人を思いやれる人へと成長していったのです。
雅美が就活で苦しんでいるときもさりげなく助けてくれるようになります。
私はその変化が、とても好きでした。
「勝ち組」の意味が変わる
物語の終盤、現代に戻った天ヶ瀬が語る言葉があります。
「一生のうちで、わくわくした回数の多い人が勝ち組」
この言葉には、思わずうなずいてしまいました。
若い頃なら、勝ち組とはお金や地位だと思っていたかもしれません。でも年齢を重ねるほど、それだけでは人生は測れないことが分かってきます。
好きなことに夢中になった時間。
誰かと笑い合えた時間。
新しいことに挑戦した時間。
そんな「わくわく」が積み重なった人生こそ、本当の豊かさなのではないでしょうか。
だからこそ、この言葉には説得力があります。天ヶ瀬自身が人生をやり直し、価値観を変えたからこそ生まれた言葉だからです。
最後に主人公が言う
「違うよ。いま私、ものすごくわくわくしてる」
という言葉は、60代でもまだまだ未来を変えることはできるという可能性を感じさせてくれます。
『マンダラチャート』は人生をやり直す物語ではない
タイトルになっているマンダラチャート。
大谷翔平選手の目標達成シートとして有名ですが、この作品では少し違う意味を持っています。
目標を管理するためではありません。
「自分は本当はどう生きたいのか」
その答えを探すための道具なのです。
雅美も、天ヶ瀬も、二度目の人生で手に入れたのは成功ではありません。
自分で考え、自分で選び、自分らしく生きようとする勇気でした。
だからこの作品は、「人生をやり直せたらいいな」という夢物語では終わりません。
人は過去を変えられなくても、自分の価値観は変えられる。
そのことを教えてくれる物語なのだと思います。
おわりに
読み終えたあと、私は自然と自分自身に問いかけていました。
もし今、マンダラチャートの真ん中に一つだけ願いを書くとしたら、何を書くのだろう。
出世でしょうか。
お金でしょうか。
カープが日本一になることでしょうか。
それとも、毎日を笑顔で過ごすことでしょうか。
答えは人それぞれです。
でも、この作品を読んで一つだけ確信したことがあります。
人生は、何歳からでも変われる。
そして、本当に変えるべきなのは過去ではなく、「これからの自分」なのだということです。

読んだ本
※1 垣谷美雨『マンダラチャート』(中央公論新社)
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