DAE185:急がないだけで結果が変わる――「多忙ごっこ」に狂奔する人々への処方箋
「いつも時間に追われていまして」
そう語る人物の顔を観察するのが、最近のささやかな嗜好だ。悲劇の主人公を気取っているようだが、客観的に見れば単に自己管理能力が破綻しているだけに過ぎない。
最近の私は、意識的にすべての動作を低速化させている。
歩行速度ひとつ取っても、以前より明確に緩やかだ。
では、業務や生活に深刻な遅延が生じているか?
答は「ノー」だ。むしろ逆である。思考のイズは削ぎ落とされ、常に一段上の視座から状況を俯瞰できている。
そもそも、限られた24時間の中に溢れんばかりのタスクを無理やりねじ込もうとする発想自体が、思考放棄の証左だ。脳のメモリ空間が決定的に不足しているにもかかわらず、「頑張り」という精神論でカバーしようとする。哀れな話だが、キャパシティを超えた器に水を注げば溢れるのは物理の法則である。どれほど感情を高ぶらせようと、結果が変わるはずもない。
私の戦略は至ってシンプルだ。
「今日やるべき数少ない重要事項」のみを厳選し、残りはあっさりと手放す。
これだけで、驚くほど滑らかに日常は回転し始める。
予定が詰まっている日であっても、方針は変わらない。最低限の必要条件を満たした時点で、その日の業務は終了とする。なぜなら、時間は不可逆な有限リソースだからだ。
ここで「睡眠時間を削って挽回する」などという悪手を打つ人間がいるが、呆れて物も言えない。今日の1時間を捻出するために明日のパフォーマンス全体を低下させるなど、金利数百パーセントの闇金融でお金を借りるようなものである。目先の達成感という低俗なドーパミンに溺れ、長期的リターンをドブに捨てる愚行。それは、目的地に早く着きたいがために赤信号を無視して交差点に突っ込む猛スピードの暴走車と何ら変わりない。
ゆっくり歩くことは、手抜きではない。
無駄な急行が招く事故を回避し、最短ルートで確実にリターンを得るための、最も合理的で知的な「加速」なのだ。
あなたのその「忙しさ」、本当に価値のある仕事ですか?
