0909「重陽の節句」と好きなドラマ終わり
ナグです。
9月9日「重陽の節句」
本日は9月9日「重陽の節句」ですね。
日本には「五節句」と呼ばれる伝統的な季節の移り変わりや四季の変化と向き合う風習があります。
5月5日の端午の節句は「こどもの日」として、国民の祝日にもなっていたりしますよね。
「重陽の節句」は、この五節句の一番最後、一年のうちの最後の節句に当たります。
陽の数字の中で最大の「9」が重なるとても運気の良い日とされています。
そして、同時に「陽極まって、陰となる」という意味で、邪を払う、気持ちを引き締める、という戒めの意味もあるようです。
極まれば転ずる
何事も「極み」まで届くと、「転ずる」ものです。
それが自然の摂理、宇宙の法則なので、世界はここから変わっていくことを僕は信じています。
スピリチュアルな視点から見ると、世の真理は「二極の対比」ではなく、見えない第三の要素がその両極を繋いでいるのです。
好きなドラマからの気づき
先の日曜日に、ドラマ『19番目のカルテ』が最終回を迎えました。
普段はほとんどテレビを見ないのですが、知り合いの“総合診療医”の医師のかたから、この原作漫画を知りました。そしたら、ドラマ化すると知り、
個人的に好きな感じの医療系ドラマ、そして個人的に好きな松本潤さんの主演ということもあり、興味深く毎週楽しみにしていました。
まだまだ広く認知されていない『総合診療医』がモデルとなっています。

理想と現実のせめぎ合い
どのようなことでもそうなのでしょう。
「理想」を追い求めるときに、必ず「現実」が立ち塞がります。
広く認知され、多くの人に受け入れられるまでは、革新的な理想は異端になります。
現状のルールや社会的な雰囲気や空気感、金銭的あるいは物理的なリソース、さまざまな障害が待ち受けているのですが、そのぎりぎりのラインに挑み続け、忍耐強く静かに押し広げていくことが、理想を形にする上で求められるのでしょう。
ドラマの中では、「現実的な病院経営には、採算の取れない”総合診療科”は不要だ」という論調と「単に病を治すのが医者ではない、人そのものと向き合い、人を診るのが医者だ」という論調の対比で描かれていくのです。
現実的な制度や資源を理由に、行動を止めるのであれば、理想は形とならない。
その一方で、自分の理想こそ正しいと、世の人々が受け入れら得る範囲を、大きく逸脱していまうのであれば単なる理想主義者や狂信者となってしまう。
今、世界で起こっている、日本で起こっているさまざまな問題を見ていくときに、大切な要素があることを僕は感じていて、それをどう表現しようか?と何度もキーボードに向き合い、言葉を綴っているのです。
光がつくる「実」と「影」
先にも少し書きましたが「二極を結ぶ第三の要素」という表現をしました。
スピリチュアルなテーマで話をするときによく「光」というキーワードが出てきますが、移民問題をテーマに、この構造をちょっと紐解いてみたいと思います。
光が当たることで、暗闇に隠れていたものが照らし出されます。
そこに何かがあれば、その姿が「実体」として、浮かび上がりますが、同時にその対象の背後に「影」が浮かび上がります。
光によって浮かび上がるものと、光が遮られることによって浮かび上がるもの。
「実体」と「影」。
これは、「善と悪」や「メリットとデメリット」や「権力と民意」と、いうような二極の対立の象徴です。
移民問題をめぐる二極
移民問題、日本の国民意識に当てはめてみると、政府などの主張は
「多文化共生や労働力減少、人口減少を止める有力な方法」
ということなのかもしれません。これが「実」のほうですね。
「日本の精神性や、受け継がれてきた文化、風習、社会的美徳の崩壊、治安の悪化、最終的には国家喪失に至ること」が多くの(気づいている)人々の危惧するところで、こちらが「影」なのです。
実態と影を浮かび上がらせる「光」は、一体何だろうか?
そう考えたときに、さまざまな理想が浮かび上がります。
💫 人間同士がどういうふうに、共に生きるのか?根源的な視点
💫 文化の価値をどう継承しつつ、新しいものを受け入れるか?という調和の意識
💫 国という枠を超えた、人類全体の未来をどう描いていくのか?という高次のビジョン
このような、根源的、調和的な高次のヴィジョンから生まれてくる、現実的な「外国人受け入れ」であれば、このような大きな問題にはなっていないでしょう。
(逆を言えば、政府あまりにもおかしなことをするから、意識できるようになっていく人々も増えた、と言えます。が、これは悠長なことは言っていられないな、という段階でもあるでしょう。)
「移民しようとする人々」対「移民を受け入れたくない人々」という対立のようにも見えますし、
「移民推進の政府」と「政府方針に反対する人々」という対立にも見えます。
(おそらく後者の方が、多数をしめているでしょう。移民反対と訴える人々も、日本文化を尊重し、敬意を払い、郷に入りては郷に従え、ということがわかっている人々であれば、歓迎するはずです。)
個人的には、政府やその背後の存在に、「対立するように仕向けられている」という暗い意図を感じるのです。
闇が生まれるとき
先に記した「光」(根源的、調和的な高次のヴィジョン)が、人類共通の理想とするなら、対立や分断を促す暗い意図(いわゆる表には出てこない、グローバリストの野望)は、「光に対する“闇”」なのでしょう。
「公的な利益」と「私的な利益」というものの対比の中に、その「闇」は現れてきます。
女帝と呼ばれる、日本最大のメトロポリスの首長がよく使う詭弁に、
“情報が正しく伝わっていない”
というフレーズがあります。
「なんという民衆を馬鹿にした発言なんだ。」と思うのですが、このあたりのツッコミはまた別の記事にするとして、政府や自治体の政策・方針などに“私的な利益への目的”が含まれている場合それは必然的に不透明化していくのです。
不透明である、ということは「光」を通さないということ。
つまり、”闇”であり、それは人々の公的な利益に逆行する、人類の理想に対する冒涜なのです。
後ろめたさを持つものは、”闇”に紛れ込もうとする。
これは、いつの時代も(そしてどの領域においても)言えることではないでしょうか?
「自分を愛する」の本当の意味
スピリチュアルな話の中で「自分を愛する」ことの大切さを説かれることはよくありますが、”自分”ということをどう定義するか?で、まったく意味が変わってしまいます。
”わたし”は、私を取り囲むありとあらゆるもののに対して、私自身がどう向き合うか?で、私自身を証明しているのですから。
さあ、小さくても、確かにあるその力を、あなたの手で活かしていきましょう。
みなさんの感じていることなど、コメントいただけると幸いです。
(記事のアイディアにつながったり、新しい視点での考察に繋がります。)
ナグ 拝
読んでいただきありがとうございました。
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