空から落ちてきた少女が俺に世界の敵と言った 第9話「帰れない場所」
第9話
コンビニの淡い照明が、床へ静かに滲んでいる。
レジの電子音が鳴る。
温め待ちの機械音が続く。
そのどれもが、ちゃんと“今”に存在しているはずなのに。
なぜか、景色だけが噛み合っていなかった。
カイは無意識に店内を見回す。
さっき通ったはずの棚が、少し遠い。
入口の位置も、レジまでの距離も、感覚の中で微妙にズレている。
歩いた記憶が曖昧なのに、立っている場所だけが先に決まっていた。
閉まりかけた自動ドアの隙間から、夜の風が細く入り込む。
その瞬間。
視界の奥が、わずかに揺れた。
ルナが小さく息を吐く。
「まだ、場所が重ならない」
独り言みたいな声だった。
カイは視線を向ける。
ルナは商品を見ていない。
照明でも、人でもない。
もっと奥。
“場所そのもの”を確かめていた。
カイは眉を寄せる。
「何がだよ」
ルナはすぐには答えない。
代わりに、ゆっくり店内を見渡した。
「ここ、ちゃんと繋がってない」
その言葉に、カイの背中がわずかに冷える。
意味は分からない。
だが、否定できなかった。
床も、壁も、レジも、確かにそこにある。
なのに、“同じ場所として続いている感覚”だけが薄い。
カイは足元を見る。
その瞬間、自分がどちらを向いているのか分からなくなった。
入ってきた側なのか。
出ていく側なのか。
境目だけが曖昧だった。
自動ドアが開く。
だが、その音だけが妙に遠い。
ルナが言う。
「行こう」
カイはすぐには動かなかった。
何かを確認したかった。
だが、確認するための“基準”がない。
「……どこへ」
少し間。
「まだ、残ってる場所」
カイは顔をしかめる。
意味は分からない。
なのに。
その言葉だけは、なぜか置き去りにできなかった。
ルナは先に店を出る。
カイも遅れて外へ出た。
コンビニの灯りが背後へ遠ざかっていく。
夜の住宅街。
静かな景色。
それなのに、どこか現実感が薄い。
古い塀の影が、少しだけ長い。
窓から漏れる灯りが、遠く感じる。
同じ街のはずなのに、“今いる場所”だけが上手く固定されていなかった。
カイは歩きながら気づく。
歩いているはずなのに。
“並び替わったまま続いている”。
「……おい」
前を歩くルナへ声を投げる。
ルナは振り返らない。
「帰る場所、弱くなってる」
カイは眉を寄せる。
「……帰る場所って、なんだよ」
ルナは少し黙ったあと、小さく言った。
「前は、もっと近かった」
その言い方に、カイは引っかかった。
まるで。
“知っている場所”の話をしているみたいだった。
住宅街の窓に、暖かな灯りが揺れる。
その一つを見た瞬間。
カイの中へ、知らない感覚が流れ込んだ。
湯気の匂い。
誰かの笑う声。
玄関へ置かれた鞄。
その瞬間。
『……やっと会えた』
そんな感覚だけが、胸の奥へ流れ込む。
女の声みたいだった。
カイの呼吸が止まりかける。
知らない。
はずだった。
なのに。
胸の奥だけが、その声の響きを覚えている。
懐かしい。
そう感じかけて、カイは反射的に視線を逸らした。
その時だった。
少し先で、ルナが立ち止まる。
道路の途中の暗がり。
そこだけ、景色の奥行きが浅い。
風景が途中で終わっているみたいだった。
ルナがゆっくりしゃがみ込む。
アスファルトへ手を伸ばす。
だが、触れる寸前で止まった。
カイの胸元で、ペンダントだけがわずかに反応していた。
小さな光。
呼吸みたいに、弱く揺れていた。
「まだ、ここが定まってない」
カイは黙ったまま、その空間を見る。
本来なら繋がっているはずの景色が、ただ並んでいるだけに見えた。
ルナが立ち上がる。
「なくなったんじゃない」
静かな声。
「まだ、決めきれてないだけ」
風が抜ける。
遠くで犬が鳴いた。
カイはゆっくり息を吐く。
意味は分からない。
だが。
立ち止まる方が、怖くなり始めていた。
カイは前を歩くルナを見る。
そして小さく言った。
「……そこに連れていけ」
ルナが少しだけこちらを見る。
その目が、ほんの少し柔らかくなる。
「うん、まだ間に合うかも」
短い返事。
それだけだった。
それなのに。
なぜか、“置いていかれなかった”気がした。
二人はまた歩き出す。
夜は変わらない。
ただ。
さっきより少しだけ、
カイの足は、迷わなくなっていた。

