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Mr.Andrew、関門海峡を一周する④

 前回からの続きです。

◼️ Mr.Andrew、かつての大連航路に思いを馳せる。

 我らが乗船する『フェリーくるしま』は、小倉港に接岸した。
 これで、この小旅行最大の目的は果たした。

 けれど、まだ早朝5時00分。
 さすがに周囲はまだ真っ暗だ。
 いや・・・、
 この時間じゃ、そもそも帰れない・・・(;^ω^)


□ なんで、今まで知らんかったんや(゚Д゚)

 さて・・・、
 まだまだ時間が早いが、朝飯を食べに行こう。
 『フェリーくるしま』では、おつまみとカップヌードルを食しただけで、到着する頃には小腹が空いていた。

 寒い朝に身体を温めるには、うどんが最高だ。
 実は・・・、
 これまで何度も北九州に足を運んだ経験があるのに、”資さんうどん”に行ったことが無い。

 フェリー旅といえば、”我らが崇拝する”エンイチさんの、まさについ先ほど下りたばかりのフェリー動画の最後で、”資さんうどん”を知った😆

 小倉駅からほど近い、資さんうどん魚町店の暖簾をくぐる。
(実際には、暖簾はないけどな・・・(゚Д゚))
 意外にも、店内は多くの若者でごった返している。
 早朝まで飲み明かしてきた若者達が、最後のシメにうどんで決めようと思っているのだろう😆

資さんうどん 魚町店さん
定番の肉ごぼう天うどん

 ごぼ天て、こんなに美味かったか⁉️
 肉よりもごぼう天のほうに、ハマってしまった😆
 「なんで、いまの今まで、資さんの存在を知らんかったんや😠」
 自分の無知っぷりに、激怒したい気分だ👺

 人生何歳になっても、勉強・初体験の繰り返しやな😐
 ま、これで安心して、尾道の資さんうどんに通い詰められるな( ^o^)ノ

□ Mr,Andrew、旧大連航路上屋の前に立つ。

 資さんうどんでお腹を満たし、身体も温めたところで、再び小倉駅に歩を進める。
 6時51分、門司港駅に到着。

門司港駅
早朝だと、じっくりと外観の意匠を観察し堪能できる。

 門司は、”門司港レトロ地区”であまりにも有名。
 いつ訪れても「しばらくの間過ごしてみたいな」と思わせてくれる街。
 何度も訪れているが、こんな朝早くに訪れたのは初めて。

 早朝なので、旧三井倶楽部といったレトロな建物は閉まっている。けれど今回は、定番のレトロな建築が目当てではない。

 おりしも、三連休に日本列島を直撃した寒波のせいか、関門海峡を猛烈な風が吹き抜けている。
 かぶっている帽子どころか、自分の身体までも持って行かれそうな強烈な風。
 関門海峡沿いの”大連通り”を歩いてすぐに、その姿が現れる。

旧大連航路上屋
向かいには関門海峡ミュージアムがあるので、訪れるには分かりやすい。

 旧大連航路上屋
 実のところ・・・、
 何度も門司港を訪れているのに、この建物のことを完全に失念していた。

 かつて・・・、
 大阪商船(現・商船三井)が、大阪-大連間に定期航路を運航していた。
 大陸との重要な連絡ルート”日満連絡路”の一つである同航路に、大阪商船はつねに優秀な船舶を配していたのだ。

大阪-大連線(月18回):大阪~神戸~門司~大連

その他他社が日本海・瀬戸内海側や、九州から大連へ向かう航路を配していた。
『黒龍丸』
Unknown (Mitsubishi Dockyard Nagasaki or O.S.K. Line), Public domain, via Wikimedia Commons

 門司港は、大阪商船にとって重要な拠点の一つであった。
 それを象徴するように、同社の旧門司支店も上質な近代建築である。

旧・大阪商船門司支店

 話を上屋に戻そう。
 目の前のたもとにはホーサーを固縛するためのビットが等間隔で並び、かつてはここが岸壁であったことを示している。

赤いツメみたいなのが係船用のビット

 この門司の地を離れると一路、当時の関東州・大連へと直行する。
 1932年に満州国独立を日本が”承認”してから、日本と大陸との連絡は、ヒト・モノ共に、飛躍的に密なものとなっていった。
 大陸へと向かう最後の玄関口たる門司港の活況は、想像するに余りあるものだった。
 しかし・・・、
 そのわずか十数年後には、着の身着のまま、命からがら大陸から帰り着いた人々を迎え入れる事になろうとは、この時は誰も想像つかなかったはずだ。

 戦後から現在に至るまでの国際情勢、経済環境の変遷によって、門司港が海外への主たる玄関口に復帰する可能性は極めて低いだろう。
 今となっては、上屋の前に立ち、目の前にひろがる関門海峡を眺めながら、当時の栄華を想像するしかない。

 なお・・・、
 隣には、似た外観の西海岸2号上屋がほぼ手つかずで並んでいる。
 ただ、1929年に建てられた旧大連航路上屋と比べ、10年後の1938年に立てられた、この2号上屋は上層階の回廊も飾りっ気が無いのが分かる。

西海岸2号上屋
こちらは倉庫主体で使われたのだろうか。
『たばこをのむ』という表現、昔はあったな」と思い出した。

□ 今後の目当てや、な。

 2号上屋のすぐそばの岸壁では、極寒の中、数名の和風紳士(≒おっちゃん達)が釣りを愉しんでいる。
 とんでもない強風に高波 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
 釣りどころじゃない気がするのは、ワタシだけだろうか・・・😐

会社の大先輩方を見ても思うが、ガチの釣り好きは多少の嵐などモノともしない。
「気をつけて下さい」と思うが、この時の天候は生命の危険を感じるほどではなかったデス。

 ここからは、対岸の下関にある三菱造船下関造船所が遠望できる。

ひときわ大きなフネは、LNG燃料で動く自動車運搬船
引き渡しに向けて艤装中なのでしょう。

 船台上では、新日本海フェリーさん向けの新フェリーが建造中である。
 まさか、こんなところで目撃できるなんて・・・。
 いずれは、この新造船に乗って北海道に行ってみたいものですな( ^o^)ノ

□ 歩くだけでも心地良い。

 門司港での目的を達成した。
 続いて、下関まで足を運んで唐戸市場に行こう。
 大陸への重要な中継地点であり、九州の玄関口たる門司港には、大阪商船だけでなく、日本郵船や三井物産などの財閥系企業も拠点を配していた。

門司郵船ビル
シンプルだけど、どこか欧州の古城を思わせる端正な外観。
一階のファミマ、いつの間に、別のお店に変わってる(´д`)
旧JR九州本社ビル正面玄関のレリーフ
元々、三井物産門司支店として建設された。

 学生の時に歩いて和布刈めかり神社まで行った記憶があるが、こんなに遠かったかな・・・。もっと近かった気がするんやけど。
 人(特にオレ)の記憶なんて、案外アテにならない😒

 関門海峡沿いの風光明媚な散歩道だから、歩くのは苦にならない。
 猛烈な風も8時を過ぎると、心なしか勢いも弱まってきた。

基地に憩う巡視船たち。

 海上保安庁の基地を脇に見つつも、関門橋の足元にたどり着くと、そこは和布刈神社

和布刈神社と関門橋

□ 今度は、徒歩で関門海峡を渡る。

 関門海峡には渡る手段がいくつかある。
 そのうちの一つが、関門トンネルの人道。
 こちらは、和布刈神社のすぐ隣に入口がある。

関門トンネル人道入口(門司側)
トンネルの入口にしては物々しい(゚Д゚)
エレベータで下りていきます。
秘密の地下回廊的な雰囲気、良いですよね。

 休日の朝8:30前後。
 観光客はワタクシ行堂を含めても少なくて、どちらかといえば、散歩を愉しむ地元の方々が多い。

3時間ほど前に通過した、海峡の真下に徒歩で到達。
やっぱり人影が少ないですね。

□ 無い。

 下関側のトンネルから地上に出ると、目の前に勇ましい銅像が鎮座している。

源義経さん(の銅像)。
男前やな😆 ご本人はどんなんか知りませんが😐
平知盛さん(の銅像)。
ワイルドやな😆 ご本人はどんなんか知りませんが😐
海峡沿いのウッドデッキ
ここまでは、早めの昼食への期待を高鳴らせていた😆

 ウッドデッキを気持ちよく歩きながら、唐戸市場に到着。
 中に入ると、何やら雰囲気がおかしい・・・。
 観光客はたくさんいるのだけど。

 何もない (゚-゚*;)オロオロ(;*゚-゚)
 ちょうど商品入れ替えの時間なのか分からないけど、海鮮丼からにぎり寿司に至るまで、何にも売ってない ガクガク((((°Д °;))))ブルブル

 ふと気が抜けてしまった行堂😐
 何も思いつかず、ボーッとしながら海響館の方向に向けて歩いていると、不意に向こうから、

 「門司港行き臨時便が出港します!」

 と呼び込む案内の声が。
 その声に、我に返った行堂。
 小走りで発券所に入り、門司港行きの切符を購入。
 そのまま桟橋から関門汽船の連絡船に飛び乗る。

巌流島行きの観光船も発着しています。

 寒波にともなう強風と高波のせいで、これくらいの小さいフネだと結構揺れる。桟橋から離岸・出航する前から結構揺れているくらい。

 門司側の関門汽船乗り場から門司港駅までは、本当に歩いてすぐ。
 ちょうどタイミング良く、9時38分発の区間快速・鳥栖行きに乗車し、13分後の9時51分に小倉駅に到着。

 実は、今回の小旅行。
 フェリー乗船とともに、もう一つ大きな目的があるのだった。

 次稿に続きます。

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