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こんなふうに生きたい!と願う生き方を、みつけた瞬間:ハッピーライティングマラソン#42

今までで一番「自由だ」と感じた瞬間は?


#本田健 さん #ハッピーライティングマラソン 今週のお題はこちら。

“自由とは、何でもできることだけでなく、「これがいい」と自分で選べた瞬間にふと感じるものかもしれません”
お題の投稿には、そんな言葉が添えられていました。

たしかに、「自由」ということに思いを巡らせたとき、わたしの脳裏には、この言葉と似たようなことが浮かんでいました。

自由。
その言葉を考えると、最初に浮かぶのは、まさに今です。

仕事をせず、誰かのお世話をする必要もなく、何にも縛られず、まさに「自由」な日々を過ごしています。

この日々が始まった去年の春頃は、それまで長く抱えていた制約を無事終えられた安堵とともに、この「自由」を噛みしめたものです。

けれど、この日々も、もうじき一年。
おだやかな日常の繰り返しの中で、それは無理のない自然な暮らしであっても、特段「自由」を感じるものではなくなっています。

何でもできる自由」が、今のこの日々にはたしかにあります。
けれど、それがナチュラルな状態となった今、その「自由」はあまり、意識にのぼることがないようです。

一方で。
かつて、心と体で味わうように、「自由」を感じた体験が、思い返せばありました。

それは今思うと、健さんの言う自由のもうひとつの側面、「「これがいい」と自分で選べた瞬間にふと感じるもの」だったのかもしれません。


初夏。

少し標高の高い、白樺の若葉が芽吹く、長野県諏訪郡は原村。
この村にも、街に一足遅れて、春が訪れています。
澄んだ青空に、白い林檎の花が、風に揺られて舞い落ちる、そんな美しい季節。

わたしはヒプノセラピーの前世療法を学ぶため、勇気を出して仕事の休みを取って、土日を含む5日間の講座を受けに、この地に来ていました。

緊張と期待と。ここにこうして戻ってこれた喜びと。

キャリーケースを引っ張り出しながら、乗って来たタクシーに別れを告げて、白い花びらの敷き詰められた階段を、一段ずつのぼる

朝9時半を過ぎた頃。

花びらのじゅうたん

初夏の優しい太陽の光が窓から差し込むその部屋に、扉を開けて足を踏み入れると、置いてきた日常は遥か別世界のゆるやかな時間が、そこに流れていたのでした。

風に揺れる新緑の木々と、生い茂る青々しい草花が、鳥たちのさえずりと、羽虫の飛ぶ音が、開いた窓からその部屋をかたどっています。

朝の冷気を残した室内は、2階までの吹き抜けがまるで小さな教会のようで、スリッパを履いた足が歩く床板はひんやりと静かな音を立てます。

部屋の奥の給湯スペースから声がして、振り向いたふたつの顔がわたしに気付いて、「おはようございます」と挨拶をしてくれます。

同じ受講生の仲間のようです。
今回も用意されているポットで、熱いお茶を入れているのでしょうか。

講師の西田さんはまだ、いらっしゃってはいないようです。

「おはようございます」と少し大きめに挨拶を返して、緊張と荷物を壁際に置いたわたしは、高まる胸の期待とともに、お茶をもらいにいくことにします。

風に揺れる
遅れてきた春

今回の講座を一緒に受けるのは、テーブルの上に準備されたテキストの数から見て、どうやらわたしを含めて4人だけ。

3月末に同じこの場で行われた2日間の基礎講座のときは、8人の参加者がいて、思ったよりも多いと感じて驚いたわたしでした。

それが、今回は4人。

うまくなじめるといいな。
そんな不安も少しだけ、抱きながら、わたしのしあわせな5日間は幕を開けたのです。


講座は、講師の西田さんのお話を聞く時間と、西田さんのデモセッションを見て(または受けて)学ぶ時間と、受講生同士がペアになって実際にセッションをやってみる時間から成り立っています。

西田さんのお話は、テキストに沿った無意識の仕組みや催眠誘導の説明だけにとどまりません。

人と人とが互いを尊重しあって共にいるということ。
わたしたち誰しもの命が持っている神秘的な力のこと。
祈りが天とつながる瞬間のことや、神さまのはからいによってその場に在るということ。

ヒプノセラピーの技法とともに、セラピストとしての在り方についても、惜しみなくわたしたちに伝えてくださいます。

わたしたちは、誰かを癒そうとするものではない。
癒しは、必要なときに、おとずれるもの。
人は、誰かに癒してもらう存在ではない。
みずからの内に、癒しの師は潜んでいる。

目の前の人が内に秘めている力を、わたしたちは信じること。
起こるすべては神さま(大いなる宇宙でも、大いなる存在でも)のはからいに依るのだと、その道行きをゆだねること。

わたしはこの場で、世界の真理に触れたような、そんな確信を得て、静かな喜びと興奮を感じます。

ここで言葉にされたセラピストしての在り方は、わたしが理想とした「人としての在り方」にそのまま通じていて、その在り方を前提としたこの場は、だからそのまま、わたしの理想とする空間となっていたのです。

デモセッションを受ける 始める前の祈りの時間

講座は朝10時から、夜は長引けば20時過ぎまで。
お昼と終了後の夕ご飯も含めて、この場でみんなと過ごします。

休憩時間には、用意してくださった美味しいお弁当をいただきながらセッションの感想をシェアしたり、お庭に出て爽やかな太陽を感じたり、伸びをして、ゆっくりお茶を飲んだり。

たった4人のわたしたちです。
誰と誰が仲良さそうだとか、一人になったらどうしようとか、どんな会話をしたらいいだろうとか、どうやって休憩時間の残りを過ごそうかとか。
「居場所」になじむことに怖さを抱きやすかったわたしにとって、4人という少なさで、そんなことを少しも考えないでいられたことは、加えて幸運なことでした。

たった4人のわたしたちと、講師の西田さんと、フォロー役でこの素敵な会場の持ち主でもあるひろくんと。

6人で1日1日を、ただヒプノセラピーのことと、祈りのことと、わたしの魂の旅路のことと、目の前の人の魂の旅路のことだけに、心も体もゆだねて過ごします。

それは講座の時間だけにとどまらず、休憩時間も、講座が終わってペンションに帰る道も、部屋に戻って眠るまでも、朝食をいただく時間も、ぜんぶを含んでいました。
そこで過ごしたすべての時間が、満ちていて、それはわたしの命にかなった時間だったのです。

それまでわたしの当たり前の日常であった、先のことを予測したり、トラブルに備えたり、できるかどうかを判断したり、誰かを評価したり、謝罪をしたり、指導をしたり。
そうやって思考をフル回転させて過ごしていた時間とは、あまりに、かけ離れていました。

同じ1日。24時間。
その中身が、わたしの心と体が体験しているものが、まったく違っていたのです。

お庭でいただくお昼のお弁当
体のことを考えたもの、旬のものばかり
ペンションのとびきりしあわせな朝食 偶然同宿となった縁深い受講生仲間の一人を待って

この5日間の体験は、これまでに感じたことのない満ち足りた時間を、わたしに与えてくれました。

「わたしは、こんなふうに生きていたかったんだ!」
そう心と体と魂で感じる、そんな至福の時間でした。

このときわたしに起きていたことを、文章に残したいとずっと思いながら、その何がわたしにとって魔法のような時間をもたらしてくれたのか、うまく言葉にできないまま、もうじき2年の月日が経ちます。

今回、「今までで一番「自由だ」と感じた瞬間は?」というお題について書き始めた瞬間から、この5日間のことが思い浮かび、この5日間と共に日々を過ごしました。

あのときの風の影、陽射しのまぶしさ、お香の匂い、前世を旅した時間、西田さんが奏でるクリスタルボウルの響きと、ペンションでぐっすり眠った夜と。

わたしの心と体と魂が感じたすべての瞬間は、この今の日常にさえすぐに蘇って、満ちた思いを感じさせてくれました。

それでも、この文章をなかなか書き終えることができず、珍しく取り掛かってから金土日月と今日で4日も経っています。

あのときのわたしは、今と同じように、自分の意志で選んで、たった数日のことであっても、仕事を離れた場所にたどり着きました。
それはひとつ、「制約からの自由」を自ら得た体験だったと思います。

けれどそれだけではない自由が、そこにはありました。

わたしはこんなふうに生きていたい!
そうたしかに、「これがいい」と自分でみつけて、それを選ぼうと決めた瞬間が、あのとき訪れていたのだと思います。

受講生仲間へセッションをしてみる テキストを横目に言葉を聞き取る
受講生仲間からセッションを受ける お庭のドームが見守るなか 前世のわたしに見立てたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて

この5日間の魔法のような体験を終えたその半月後、わたしは職場の最も近しい後輩に、「年度内には仕事を辞めようと思う」と、ふいに伝えていました。
それはずっと、言いたいと思いながらも、言えずに葛藤し続けてきた、一言でした。

仕事を辞めたら、わたしには何もなくなってしまう。
そんな怖れが固く踏んでいたブレーキを、すっかり消し去ってしまったのが、この5日間だったように思います。



今、自由と感じないほどに自由な日々を、静かに過ごしています。

でも、ちょっと忘れかけていました。

わたしは、「制約からの自由」だけを求めていたわけじゃなかった。
「こんなふうに生きたい」と願う生き方を実際に生きる自由も、一緒に得ていたはずだったんです。

先日会った友人が、ヒプノセラピーを受けてみたいと言ってくれました。
幸運なことに、今のわたしには提供できるたくさんの時間と、実家の一室という安心できる場所があります。
それは、仕事を辞めようと思ったあのときには、どちらも手にしていなかったものです。

こんなふうに生きたいと願う生き方。
そろそろ始めてみようか。


2026年春分を3日過ぎて、ここにそう口に出してみます。


最後まで読んでくださりありがとうございました💐


ハッピーライティングマラソン気になった方はこちらをどうぞ。

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