再生の定義 ep.4 メンタルケアの空白
「……あったぞ。アクセスログだ」
デスクに戻るなり、神原はタブレット端末を放り出し、自分専用のキーボードを叩き始めた。 画面には、一般のスタッフでは閲覧できないはずの、電子カルテシステムの裏側のログが並んでいる。 表向きは野口に命じられた「データ抽出作業」をしているフリだが、実際にはそのデータの「履歴」を洗っていた。
「お前、いつの間に管理権限を……」
「細かいことは気にするな。……見ろ。昨日の退院処理の直後、野口科長が佐久間さんのカルテにアクセスしてる。しかも、閲覧だけじゃない。『編集』を行っている」
神原が指差した箇所には、確かに『Update: T.Noguchi』の文字があった。 時刻は、佐久間が亡くなる数時間前。
「何を書き換えたんだ?」
「いや、書き換えたんじゃない。何かを『消した』んだ。あるいは、最初からなかったことにしたか」
久遠は自分のPCで、佐久間のカルテをもう一度開いた。 歩行訓練、筋力トレーニング、ADL評価。リハビリの記録は完璧だ。久遠自身が毎日入力したものだから間違いない。 では、何が足りない?
久遠は、普段はあまり開かない『チーム医療』のタブをクリックした。 脊髄損傷の患者は、リハビリ科だけでなく、多職種が連携してサポートする。医師、看護師、ソーシャルワーカー、薬剤師。それぞれの記録が時系列順に並んでいるはずだ。
スクロールする指が止まった。 あるべきはずの専門職の記録が、ごっそりと抜け落ちていた。
「……嘘だろ」
「気づいたか?」
神原が冷ややかに言う。
「『臨床心理士(カウンセラー)』の記録だ。全期間において、一件も実施されていない」
あり得ない。 脊髄損傷という重篤な障害を負い、人生が根底から覆った患者だ。元現場監督という仕事を失い、将来への不安も大きかったはずだ。 メンタルケアの介入は、当院のクリニカルパス(診療計画)では必須項目になっている。
「見落とし……じゃないよな」
久遠は席を蹴るように立ち上がった。 そのまま廊下を早足で進み、突き当たりのカウンセリングルームへ向かう。 背後から「おい、待て!」と神原の声がしたが、構わずにドアをノックした。
中には、ベテランの女性カウンセラーがいた。
「すみません、佐久間 拓さんの件ですが!」
久遠の剣幕に、彼女は驚いて眼鏡を直した。
「ああ、久遠さん。……亡くなったそうね。残念だわ」
「介入記録がありませんでした。あれは、そちらの判断ですか? それとも僕たちリハ側の依頼漏れですか?」
カウンセラーは困ったように眉を下げ、PCの画面を久遠に向けた。
「違うのよ。見て」
そこには、入院初期の日付で『心理介入依頼(コンサルテーション)』の履歴があった。 だが、そのステータスには、赤い文字で『オーダーキャンセル(依頼取り下げ)』と記されていた。
「私は必要だと判断してオーダーを出したの。でも、すぐにリハビリ科の方から『必要なし』って戻されたわ」
「誰が……」
「野口科長よ」
また、あの男だ。
「理由は?」
「『回復が極めて順調であり、患者本人も前向きであるため、余計な心理的介入はリハビリの集中を削ぐ』……だそうよ。三上先生(医師)の承認印もあったから、病院としての方針ね」
久遠は、奥歯を噛み締めた。 回復が順調だから? 前向きだから? そんな理由で、心のケアを切り捨てたのか?
廊下に出ると、壁に寄りかかって待っていた神原と目が合った。 神原は、久遠の表情を見て全てを察したようだった。
「……やっぱり、意図的な『削除』だったか」
「ああ。野口さんが止めてた。佐久間さんの心を、見る必要はないって判断したんだ」
久遠の中で、点と点が繋がっていく。 アトラス社の「再生プログラム」。 彼らが欲しがるのは、「完璧な身体機能回復」のデータだ。そこに、「精神的な不調」や「将来への不安」といったノイズが混じることを嫌ったとしたら? 純粋な“成功例”を作るために、あえてメンタルケアを排除したとしたら?
「俺たちは……」
久遠の声が震えた。
「俺たちは、ロボットを修理してたわけじゃない。人間を見ていたはずだろ。なのに、なんで……」
「落ち着け。まだ推測の域を出ない」
神原が久遠の腕を掴む。
「だが、状況証拠は真っ黒だ。アトラス社のAIモデルにとって、佐久間さんは『理想的な検体』だった。心が壊れていようが、足さえ動けばそれでよかったんだ」
神原の目は、珍しく熱を帯びていた。 彼は面白がっているのではない。久遠と同じように、専門職としての誇りを傷つけられ、静かに怒っているのだ。
「久遠。……このままじゃ終われないな」
「当たり前だ」
久遠は顔を上げた。
「行くぞ」
「どこへ」
「佐久間さんの家だ。ご遺族に会って、本当のことを聞く」
神原が呆れたように天を仰いだ。
「お前な、それは完全にアウトだぞ。退院後の患者の家に、担当PTが勝手に押しかけるなんて、職務規定違反(コンプライアンス)で一発解雇だ」
「知るか。クビになる前に、真実を暴いてやる」
久遠は更衣室へ向かって歩き出す。 スクラブを脱ぎ捨て、私服に着替える間も、怒りで手が震えた。 もし、病院の都合でメンタルケアが奪われ、そのせいで佐久間さんが追い詰められていたとしたら。 それは自殺じゃない。 俺たちが殺したも同然だ。
病院の裏口を出て、駐車場へ向かう。 自分の軽自動車のキーを取り出そうとした時、横から鍵を奪い取られた。
「……神原」
神原が、自分のセダンの助手席を顎でしゃくった。
「乗れ」
「は?」
「お前みたいな感情だけで動くバカを一人で行かせたら、不法侵入で逮捕されるのがオチだ。俺が運転する」
「お前……巻き添え食うぞ」
「共犯なら、罪は半分だろ」
神原はニヤリと笑い、運転席に乗り込んだ。 久遠はため息を一つつき、助手席のドアを開けた。
エンジンがかかる。 車は、重い曇り空の下、佐久間家のある郊外へと走り出した。
