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はじめまして (ロボット掃除機になりたい私)

ロボット掃除機になりたい私
 ──仕事と家庭でエラーを吐き続ける40歳男の独白
 
​自分は今、仕事がどうにもうまくいかず、家庭の空気もなんだかギスギスしている。
 
平日は上司と顧客の板挟みになりながら、意味があるのかどうかも分からないエクセル表のセルを黄色く塗る作業に忙殺され、休日は休日で、妻の不機嫌なオーラを地雷探知機のように避けながら、息を潜めて生きている。

すべてに疲れ果て、休日の昼下がり、リビングのソファに深く沈み込んでスマホを見ていた時だ。
 
​部屋の隅から「ピロリロリン♪」という、やけに陽気な電子音が鳴った。
 
そして、「ウィーン」という呑気なモーター音を立てて、我が家のロボット掃除機が出動してきたのである。
 
丸くて平べったい彼は、まるで「さあ、今日も一丁やりますか!」とでも言わんばかりの軽快な足取り(車輪だが)で、リビングの中央へと進み出た。
 
​それを見ながら、私は心底思った。
「ロボット掃除機って、いいな」と。
 
​だって、彼らは何も考えなくていいのだ。
 
時間になれば勝手に起きて、ただ床を這いずり回ってゴミを吸うだけ。複雑な人間関係も、明日のプレゼンの資料も、住宅ローンの残高も、彼らのツルッとした頭脳(基盤)には一切インプットされていない。

ただひたすらに、目の前のホコリを吸う。それだけが彼の全宇宙であり、唯一(業績評価)なのだ。
 
​人間だったらどうだろう。仕事で壁にぶつかれば「なんで事前に予測できなかったんだ!」「お前は、何を考えて見ているんだ!」と上司から詰められる。
 
しかし、ロボット掃除機は物理的な壁に激突しても、一切へこまない。「ガンッ!」と勢いよくぶつかった後、「あ、壁だわ。オッケーオッケー」とばかりにクルッと数十度方向転換し、またウィーンと進んでいく。

彼にトラウマはない。壁にぶつかったことを後悔して夜眠れなくなることもなければ、「あの壁、俺のこと嫌いなのかな……」と思い悩むこともない。

ただ「方向を変える」という考えをするだけだ。
 
​私も職場で、部長という名の巨大な壁にぶつかった時、あんな風にクルッと方向転換して別の仕事に向かえたらどんなに楽だろうか。

現実の私は、部長に企画書を突き返された(ガンッ!)後、方向転換するどころかその場でフリーズし、「なぜぶつかったのか」「どうすればぶつからなかったのか」「私の存在価値とは何か」をその夜に考え続け、最終的になんでこうなったんだと悔やんで、忘れる。笑

ロボット掃除機から見れば、人間の私はひどく非効率でバグだらけのポンコツ機械に映るだろう。
 
​ロボット掃除機って、本当にいいなと思った。
彼らの特権は「鈍感力」だけではない。彼らには「絶対的に許されるエラー」が用意されているのだ。
 
​彼がリビングのラグの段差に乗り上げ、身動きが取れなくなったとしよう。彼は無理にそこから脱出しようとはしない。ただその場でピタッと止まり、「ピー!ピー!」と泣き叫ぶ。
 
すると、キッチンで洗い物をしていた(温厚的な嫁が笑)

「もう、またこんなところで引っかかってるの? ドジだなぁ」と、少し呆れながらも駆け寄ってくる。
そして、優しく両手で彼を持ち上げ、安全なフローリングの上へと救出してあげるのだ。
 
​この光景を見た時、ロボット掃除機っていいなぁ、怒られないし、文句も言われずに助けてもらえるんだから。
 
人間である私が、仕事で行き詰まって「もう無理です、動けません」と泣き言を言おうものならどうなるか。
「いい年して甘えるな」「時間かかってもいいから終わらせろ」と冷たい言葉の集中砲火を浴び、楽しい楽しい残業が待っている。
 
家庭でもそうだ。私が仕事のストレスでリビングでフリーズしていると、妻は微笑んで救出してくれるどころか、「ちょっと、そこでボーッとしないでよ。邪魔なんだけど。あと、ついでにゴミ捨ててきて」と、私を完全に「どかすべき障害物」として扱う。
 
​ロボット掃除機は、ただラグに挟まってジタバタしているだけで「可愛い」「手がかかる子」として愛されるのだ。ちょっと可愛いいは、言い過ぎかな笑

人間は、愛想笑いを浮かべて、言った言わないの理不尽なトラブルに巻き込まれ、身を粉にして働かないと、生きていくための給料すらもらえず、家でも邪魔者扱いされるというのに。
 
​さらに残酷な違いがある。それは「エラーの分かりやすさ」だ。
 
ロボット掃除機は不具合が起きると、非常に明確なエラーメッセージを出してくれる。
​「エラーその2。ブラシを清掃してください」
「エラーその5。右車輪が浮いています」
​なんという明朗会計。どこが悪いのか、どうしてほしいのかを、彼らはまっすぐに伝えてくれる。

だから人間もすぐに対処ができる。彼のお腹を開けてブラシに絡まった髪の毛を取り除いてやれば、彼はまた元気に走り出す。
 
しかし、人間である私のエラーはもっと複雑で、タチが悪い。
 
​「なんとなくダルい」「部長の顔を見ると胃が痛い」「仕事からたまに早く帰ると、(もう帰ってきたの?)」
「すべてを投げ出して沖縄に行きたい」……。
​私自身の清掃はなどうすればいいのだ。どこを開けて、どのゴミを取り除けば、私はまた元気に「ウィーン」と走り出せるのか。

私だってスマートフォンに通知を出したい。
「エラーその40。メンタル容量が限界です。有給休暇を付与して、美味しい焼肉や寿司を食べさせてください」
 
こんな通知を妻や上司のスマホに送れたらどんなに良いか。しかし、現実に私が発信できるエラーサインは、「深いため息」や「虚無の表情」といった非常に分かりにくいものだけであり、それは周囲から「あの人、最近暗いよね」という(イメージ)を引き起こすだけである。
 
​ロボット掃除機って、ズルいなと思った。
彼らは「空気」も読まないし「時間」にも縛られない。
部屋の真ん中を掃除している最中であっても、お腹が空いた(バッテリーが減った)と察知すれば、誰に許可を取ることもなく、勝手に掃除を中断して自分のホームベース(充電器)へと帰っていく。
 
人間のように「すみません、本日はお先に失礼させていただきます……」「あ、はい、この仕事は明日必ず……」と、周囲の目を気にしながらペコペコと退勤の打刻をする必要もないのだ。
 
ただ無言で方向転換し、一直線に自分の居場所へと帰る。
 
​私も会社で、午後3時くらいに「あ、バッテリー残量が15%を切りました。これより愛する嫁がいる家に帰還します」と宣言して、会議の途中でも構わずまっすぐ家に帰れたらどんなに幸せだろう。間違いなく翌日には私を白い目で見て、部長による嵐が大荒れになる。
 
​そして彼らには、誰にも侵されない「絶対的な居場所(ホームベース)」がある。
我が家では、ロボット掃除機の周りには物を置かない「暗黙の絶対ルール」がある。彼がスムーズに帰還できるように、家族全員が気を使っているのだ。
 
​私のホームベースはどうだろうか。
私が仕事から疲れ果てて帰宅し、「あー疲れた」とソファの定位置(私のホームベース)に座ろうとすると、そこにはだいたい取り込まれたままの洗濯物の山がドスーンと鎮座している。「あの、座りたいんだけど……」と小声で主張しても、「あ、今畳むからちょっと待って」と言われたまま30分放置される。
 
ロボット掃除機の帰還ルートは神聖な道として守られているのに、一家の大黒柱である私の帰還ルートには、常に見えない地雷や障害物が撒き散らされているのだ。
 
​ソファの上で、一通りの掃除を終えてホームベースに戻り、スヤスヤと充電ランプを点滅させている彼を眺めながら。
 
「今日も部屋を綺麗にしてくれてありがとうね」と、妻から私へのそれよりも明らかに優しい声で褒められている彼を眺めながら。(被害妄想)
私は、気がついた。
 
​自分は絶対に、ロボット掃除機にはなれないと。
​なぜなら私には、床に落ちている髪の毛やホコリに対する情熱が微塵もないし、毎日同じルートを文句も言わずに走り続けるほどの忍耐力もない。
 
何より、壁にぶつかっただけでノーダメージでいられるほどの「図太いバンパー」を、心に持ち合わせていないのだ。
 
​もし私がロボット掃除機になったとしたら、たぶん初日でリビングの段差から転げ落ちて大破するか、ソファの下の暗闇に引きこもって二度と出てこない「不良品」になる自信がある。人間だからなんとかごまかしながら生きていけているが、機械として評価されたら一発でスクラップ行きである。
​「ピー」
​充電が完了したのか、彼が小さな音を立てた。
まるで「お前はお前で、ポンコツなりに人間を頑張れよ」と励まされたような気がした。
 
ため息を一つ吐いて、私はゆっくりと立ち上がった。
​よくよく考えてみれば、悩みやストレスという「弊害」があるからこそ、人間は「何が自分にとっていいのか」を必死に探すことができるのだ。
理不尽な壁にぶつかり、複雑なエラーを抱えながら働くからこそ、一日の終わりに飲む冷えたビールが最高に美味いんじゃないか!
​……と、大人の男らしくハードボイルドに締めくくりたいところだが、残念なことに私はビールが死ぬほど嫌いである。苦いし。
​せめて今夜は、冷蔵庫の奥にこっそり隠しておいたキンキンに冷えたジンジャーエール(強炭酸)という名の充電液で、自分自身をフルチャージしようと思う。
 
​明日もまた、満員電車という障害物に当たりながら、上司という巨大な壁に「ガンッ!」とぶつかりに行くのだろう。
 
そんな私だが、今日は今日、明日は明日だ。一日の中で起こることには不満もたくさんあるけれど、なんだかんだで楽しいことだってちゃんとある。
​明日を少しでも楽しく生きるために。
とりあえず今はジンジャーエールを片手に、ぼちぼち行こうかな。

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